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成就感と有能感と…その2

2006年06月28日 | 教育ノート
書き続けているうちに、少しずれてきたようにも思ったが
結局、今の仕事に近づいていったように感じたので、そのまま続けてみた。



前回、正しく自己評価できない若者たちが増えているというようなことを書きました。
では、この現象と私たちの仕事がどう結びつくか、です。『他人を見下す若者たち』という本の中には、次のようなことも書かれていました。

◇誰の通知表もかなり好意的な評価が記される傾向の中で、自分が何が得意で何が不得意かと、その通知表だけを見て答えることは、子どもにとって意外とむずかしいことなのかもしれない。P69
◇最近の小・中学校における観点別絶対評価は、ある意味では、ここで言う「誰もが並み以上の感覚」を助長しているのかもしれない。~略~ 新しい評価は本人の明確な長所はわかりづらいが、何となく自分は並み以上という感覚を持ちやすいと思われる。P104

 言われてみればなるほどと思います。絶対評価は個の可能性を引き出すために考えられた形でしょうが、実際の運用において「柔らかな評価」が主流になり、結果、個の長所や弱点は際立たなくなったということでしょうか。「よさ」といい続けてきたことが逆に「よさ」を見えなくしてしまっている皮肉な現象と言えそうです。ではどうすればいいか、を考えたとき、(制度的なことを抜きにして)、結局は日常の言葉による働きかけを強めていくしかないでしょう。

 小規模校の児童は、対教師との交流、対外行事参加などの面で大きなメリットを持っています。人数が少ない分だけ話しかけられる頻度は高いはずです。またやる気さえあれば、各種大会など(もしかしたらあまりやる気がなくても)参加、出場、応募できる環境にあります。ここでもたくさんの目や手をかけられます。しかし、だから本当に子どもの心により多くの言葉が届いているのか、と自問してみたとき、小規模だから有利と断定はできない気がします。

 自分も含めてとかく教師は「この子はこういう子」という決めつけをしがちです。子ども自身も環境が限定されれば「自分はこうだ」と思い込む可能性も高くなりがちです。そうした隘路がある中で子どもを深く知り、「その子のよさ」を心に響く形で伝えるのは結構難しいことかもしれません。(無意識的にそうした言動をしている場合はあります。そしてまた、その逆もありですね) 6/26