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数字は、ねらいの明確さである

2006年06月14日 | 教育ノート
「『数字』の問題」の続編である。
 書き始めたら、様々なことが思い浮かんできた。



「数字の良さは解釈が一つしかないことである。」 

 これは、熊本県海浦小学校の学校版ポートフォリオ『進潮』と名づけられた冊子の中に、当時の吉永校長が書かれた一文です。海浦小は全国に先駆けて学年の「必達目標」を、外部へ公開したことで知られています。(例「単元テストの平均点が85点以上」「小学校の漢字を400字読むことができる(3年)」)
 吉永校長は、冒頭の文に続けて「必達目標」の良さを説きながらも、こんなふうに続けています。

「ポイントは設定基準の数値化だった。設定するに当たり、最も悩んだことは数値の根拠であり、妥当性だった。私たちは、この面の研究が圧倒的に不足している。」

 確かにその通りで、こういった類の研究、資料は、文科省関係でも極めて少ないはずです。
 先日、3年生のことで「筆速」が話題になりました。その折に思い出したのは、かつて「視写・聴写」の研究をしたときに参考にした、青木幹勇先生(国語教育の大家)の著書でした。

「低学年で1分間に15~20字 中学年で20字~25字 高学年で25字~30字を目標にして この数値を上回った速度で、しかもきれいな文字で書かれるとさらによい」 『第三の書く』(国土社)

 先生方も感じているでしょうが、「筆速」は学習を進めるうえでかなり重要なポイントの一つです。個々に差があり、その差が全体の活動におよぼす影響も見逃せません。従って、「全員残らずある程度のレベルまで」をねらいたい事項といえます。そうなると、目標は数値を入れて文章化されるでしょう。

「明確にねらいが定まれば、それは数字となって表われてくる」
…これが一つの結論ではないでしょうか。 (6/9)