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成就感と有能感と…①

2006年06月20日 | 教育ノート
生徒指導関係の会で聴いたことと、最近読んだ本のことがだぶったので
上記のようなタイトルで書いてみた。


 S先生の講話の中で、一番印象的だったのは次の言葉でした。

「成就感だけでは、子どもは育たない」

 私たちの仕事は、おそらく「子どもに成就感を持たせる」方向で動いていることが非常に多いのではないかと思います。教科の内容がわかるようになった、できるようになった、達成した、勝った、いい成績をとった…それらのどれもそこに肯定的な評価の言葉かけがあり、子どもの活動を認める表現が多くなります。

 しかし、問題なのはやはりその過程なのです。過程の中で「考える」「悩む」という場が少なければ、どんなに結果が良かったとしてもその取り組みは子どもにとってどれほどの価値があるのか、ということを考えなければいけません。

 視点を変えれば、結果的に達成したというような成就感が少なくても、考え、悩むという体験さえ積めば、子どもは育っていくとも言えます。もちろん敗北感や無力感だけでいいというつもりはありませんが、今の風潮はあまりにも満足感や成就感を大切にしているような気もします。
(保護者の多くも同様でしょう。そうした子どもと保護者がいる現実が、相手なのです)

 さて、私はかなり以前から、キーワードとして「有能感」とか「自己肯定感」という言葉を考えてきました。初等中等教育でそうした意識を育むことはとても大切と思っています。しかし、先月読んだ新書『他人を見下す若者たち』(速水敏彦・講談社)で、この言葉を見かけてから、もう少し細かくその感覚を考えてみる必要があるかなと感じてきました。

「仮想的有能感」(他者軽視する行動や認知を伴って、本人が感じる有能だという習慣的感覚)

 正しく自己評価できない若者たちが増えていることの表れでもあります。
(6/19)