すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

当たり前の環境から離れてみても

2006年06月27日 | 教育ノート
便利さに鈍感になってはいけないと思う。時々昔のことを思い返してみるようなことも必要だ。
ロハスという考え方にも興味があって、それにも少し触れながら書いてみた。



 先週行われたコスモスラインの苗植え作業には、T電力の方々が例年通りに作業協力してくださいました。開会式での代表者の挨拶に「電力の安定供給」という話題がありました。仮に事故等があっても短時間で復旧できる体制が整っていることは、私たちにとって本当に有難いものだと思います。しかし逆に、それが当たり前になり過ぎている環境についても少し考えてしまいました。

 数年前務めていた地域で、ある時、1時間を越える長い停電になった夜がありました。その翌日、ある子の日記に、その停電によって起こった様々な出来事がいきいきと書かれていました。今の子供たちはそれほど長い停電は経験がないでしょうが、昭和40年代頃までは結構日常的であったし、その度にローソクが活躍していました。久しぶりの停電で、ローソクの灯りを頼りに過ごした時間は、きっと子供たちには新鮮であり、年配者にとっては懐かしく、いつもと違う家族の会話があったのではないでしょうか。

 先日の学校評議員会の際、ひとしきり「小刀」の話題で盛り上がりました。以前と比べて、様々な道具を扱えなくなっている現実があります。鉛筆削りに鉛筆を差し込むことはできても、小刀で先を削り尖らせることがはたして今、どれだけの子にできるでしょうか。必要がないからいいのでしょうか…。停電とローソクのことも何か似ている気がします。自分の手で支配できる範囲を超えて、個人ではどうにもならない所まで急激に膨らんでいる環境とどう付き合っていくのか、悩んでしまうところです。

 ところで、新聞等でも取り上げられましたが、数年前から「夏至の夜2時間をローソクで暮らそう」という「100万人のキャンドルナイト」運動が展開されています。一軒にしてみれば、環境への働きかけはほんのわずかでしょうが、ローソクだけで夜を過ごしてみれば、心に感ずることは意外と大きいのかもしれません。今年は昨日が夏至でしたが、まだまだ日は長い季節が続きます。機会がありましたらぜひ…。(6/22)