すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

些細な怪我を大袈裟に

2012年02月16日 | 雑記帳
 もはや豪雪だった昨年並みの積雪量となり,連日何かしら排雪作業をすることが日課となっている。

 エアコン室外機と壁の間に挟まっている氷片を取り除こうと手を伸ばしたら,指先に痛みがはしった。つき指になったかなと一瞬思ったが,作業後に動かしてみるとそうでもないらしい。

 左手のどの指を押しても痛くはない。しかし,人差し指を曲げると手の甲から薬指周辺がとても痛い。筋とか腱とかだろうか。

 その日は痛みをとるスプレーをかけてみたが,夜中に時々激痛があり目覚めてしまうほどだ。
 とにかく人差し指を曲げると駄目であることがわかった。
 しかしこの程度では医者にいくほどでもないし,とりあえず動かないように人差し指,中指,薬指をテーピングでぐるぐる巻きにしてみた。

 「普段は気づかない小指の存在も,けがをしたことでその有難味がわかる」なんてことはよく目にしたり耳にしたりするものだ。ただこれは小指どころの話ではない。
 右利きなのでそんなに支障ないと思ったのが浅はかだった。

 ワイシャツの袖のボタンは左側片方しか掛けることができないし,前方のボタンかけも左手の特に人差し指のおさえなしには,まるでバツゲームでもやっている気分である。

 靴下はもうかなり以前から5本指ソックスにしているが,これも時間がかかるので履くのを断念。
 車の運転はどうにかなった。それでも結構気を遣い,疲れてしまう。

 職場にいってパソコンのキーボードに向かうと,あれーーーっという感じだ。
 よし,左手は親指一本で,と決意した(二日目にもなるとだいぶ速くなる)。

 食事も出来るにはできるが,器を持ったり何かを押さえたりすることはずいぶん大事なんだなあと思わせられる。それからお風呂,シャンプー,そしてトイレ…尾籠な話になるが,結構大変だし,右手に変えようとすれば,変な身体のねじれを感じたりする。

 誰しも何度かは経験するであろう些細な怪我。落ち着くと教えられることは改めて多い。
 これは身体ばかりのことでないと思うことも結構ある。
 傍目にはクダラナイことだろうが,早い回復を願って大袈裟に記してみたい。

1 相棒は大事にしよう…親指の相棒は人差し指だ。いかにこの二人!が共同で働いているか,いかに片方でできる仕事が限られているか痛感した。

2 同条件なのに大きな差がでるのは,使用頻度の問題だ…右手でしていること,左手でしていること,おそらくは無意識的に積み重ねられてきたことだ。実際はほぼどちらも同条件なので同一の仕事量が当然だと思うが,ずいぶんと差がついていると改めて思う。

3 意識するだけで動きを封じることは難しい…テーピングも外したくなるが,外せば1分もしないうちに神経がそこから離れて,指が動きだし,また痛みが…。なんといっても縛っておくことです。

 こんな小さな怪我一つでわかることが,全部,仕事や暮らしにおける働きの原則になっていることに,ちょっとびっくりする自分がいる。

 しかし,もっとも肝心なのは「4 なけりゃないなりに,動けなきゃ動けないなりに工夫してやる」ということなんだろうけど。

巨人は正反対の方向から

2012年02月15日 | 読書
 『橋本治と内田樹』(ちくま文庫)

 「二大巨人」という形容詞はふさわしくないのだろうか。
 いずれ,自分はこの対談集の大部分読みとれなかったので,到底立ち向かえない相手という意味で正しいと思っている。

 もう第一章から駄目でついていけなかった。
 橋本治という不可解極まりない?存在のことばに,さすがの内田教授も「はあ。」という返答を何度か重ねている。
 私ごときが理解しようなどとは百年早いよ,という声が聞こえる気がする。

 二章になったら,多少教育の話題も出てきたりして,なるほどと時々うなずける場面もでてくるが,それでも話は至るところで様々な方向へとび,また訳がわからなくなる。

 せめて,ああこれは近づけるかもしれないと思ったことぐらいメモしておきたいと,ページ端を折った箇所を書きつけてみる。


 (橋本)
 技術って,「だいたいできてるから,もうちょっとちゃんとできる」って形で進歩するんだと思うんで,「遊ぶ」ということが実は技術の習得だということを忘れちゃったから,「だいたい」からジリジリジリッと完成度高めていくことができなくなったんだろうなと思うんですよね。


 (橋本)
 服は自分を見せるためにあるんじゃないんです。服を見せるためにあるんです。服が似合うためには,着た自分を引き算するしかないんです。

 
 (内田)
 脳はむしろ経験をファイルして,カタログ化して,どんどん片づけようとするでしょ。でもね,きちんと分類して,ファイルしちゃうと,もうストックとして引き出すことができなくなるんですよ。



 ところが,キーボードをたたいて改めて文字にしてみると,どうもこれらは常識的とは言えないとはっきりするわけで,そうした物事を疑ってみる,いや極端に言えば逆さにしたところに見えてくる真実もあるという共通点に気付く。

 そういえば,エピソードとして取り上げられた『淀五郎』という芝居噺の筋も,死ぬ気の役者に対して心構えなどで諭すのでなく,純然たる技術論を語って教えるという件があり,興味深かった。

 全ては正反対の方向から攻めてみる,という一つの人生訓が浮かびあがってくる。

 そうすれば,この立ち打ちできない対談集だって,「へえへえ,実にわかりやすくて,彼等はこんなこと言っているんですよ」とあえて口にしてみることだって,まんざら無駄とは言えない気もする。

「見とり」の現実から考える

2012年02月14日 | 教育ノート
 今月初めに最後の校内授業研を行った時,協議の中でこんな声が出た。

 「学習活動の仕方として,一斉型で全体への発表ではなく,グループ内での発表で終わる形に変わってきているようだ。そういう場合の見とりの難しさを感じる。」

 「見とり」という言葉は,今年度の協議を振り返っても,かなりの頻度で出てきたように思う。今回何故か妙にその一言が気になったこともあり,少し考えて整理できれば,いいまとめになるのではないかと考えた。

 校内報である『声日記』に二回続けて(といってもB版なので少ない量だが)記してみた。
 項目立ては以下の通り。

◆そもそも「見とり」とは…
◆積極的な姿勢を具体的に表すと
◆「子どもを見る目」は鍛えられていたのか
◆学習の飽きを見取る
◆見取りの実際
◆言語的情報の見取り


 「見とり」=「見取り」は,教育現場ではいつ頃から使われ出したのだろう。自分が採用になった三十年ほど前はそんな言葉はなかったような気がした。
 そして検索をかけてみると,圧倒的に生活科実践の例が多い。そのあたりから一般化した?と考えるのが妥当だろう。

 とすると,生活科がもたらした学習形態の変化をある意味で象徴しているのではないかと考えられる。
 つまり,一斉から個への活動変換は,ただ「見る」だけではなく,「見取る」ことをより強く要求したのだと思う。
 
 その場合,「見取る」とは,着眼点を明確にして個を見る,全体を見る,そして次へつなげる積極的な姿勢を表していると言ってよいだろう。

 しかしここで問題なのは,何を,どのように見るかという具体的なことである。こういった研究は,昔からどうもあまり進んでいないように思える。
 特に言語の見取りはできても,姿や仕草の見取りについては,まだまだと言えるのではないか。私の知るレベルでは,上條晴夫先生の90年代の著書が依然として大きな存在である。

 ペア,グループといった形態における見取りを考えると,やはり非言語的情報をどのようにして見るか,そして言語情報をいかに効率的に見るか,という2点に絞られるように思う。

 今,自分が授業でどんなふうに子どもを見取っているのか,そしてそれは自分の学級づくりや授業づくり構想と合致しているのか…そこだけでも突き詰めてみれば,かなり実践の筋道がすっきりして整合性が保てるのではないだろうか。

懐情の原形に触れる

2012年02月12日 | 読書
 「ほぼ日」のサイトを見ていて,その題名に惹かれて衝動的というか直感的に買ってしまった本である。

 『懐情の原形 ~ナラン(日本)への置手紙』(ボヤンヒシグ 英治出版)

 著者はモンゴルからの留学生であった。
 短い詩とエッセイが綴られている。
 なかなかめぐりあうことのなかった表現だと感じた。
 彼が生まれたモンゴルは映像の中でしか知らないが,荒涼たる草原に吹き渡る,冷たく透き通る風にさらされた言葉だと思った。

 著者はモンゴル語,中国語そして日本語を使いこなすことが出来る。
 母語であるモンゴル語こそが中心になっていることは間違いないだろうが,それが核のように存在していて,きっと学んだ言語を「ことば」として磨き上げていく思考の糸が,強く太いなのだと思う。

 小さい頃,僕は吃りがひどかった

で始まる「石の重み」という冒頭にある詩は,情報化とかグローバルとか喧しく誇りっぽい空気の中で,知らず知らずのうちに消耗しきっている自分の姿を突きつけられた気がした。
 その詩はこんなふうに結ばれるのである。

 口が走ってゆく
 僕は とり残される



 愛情と称していいものか迷うが,人とめぐり合い暮らすことの暖かさをこんなふうに表現された詩を読んだのも久しぶりだ。「河魚」という題名である。

 一緒にさまよった
 それは 道ではなく
 河をさがす 旅であった

 いつか河は彼女そのものであった



 「顔だちが中国人にも似ていないし,実はモンゴル人にも似ていない」と書く著者は,様々な国(場所)で「○○人か」と問われるのだという。日本での問われ方に思わず笑ってしまい,同時に親近感がわいた。

 「おまえ,秋田県出身かい」

 さて,強く惹かれたこの題名にある「懐情」は「かいじょう」と読むことには間違いないが,実は,調べても辞書に存在しない。しかし,意味が通じてしまうところが,漢字の素晴らしさだと思う。
 そして,それはよく考えてみると「なつかしいこころ」と「なつかしいようす」の融合された意味ととらえることもできる。

 懐古ということにはこだわらないが,懐かしさこそ生きるうえでの指針という人もいるのではないかと思う。
 自分もまたその一人のような気がする。

研究発表会参加の呟き

2012年02月11日 | 雑記帳
 木曜日,金曜日と県総合教育センターで行われた研究発表会に参加した。
 http://www.akita-c.ed.jp/~ckyk/action/publica/index.html

 前回はいつ参加したのか思い出せないほど御無沙汰だった。
 正直なところ,厳寒の2月に行うことが足を遠のかせる原因になっている。しかし,やはり今しかないのかなあとも思う。

 スタートの講演と提言,締めくくりのシンポジウムが設定されてはいるが,中心は分野別研究発表である。形式は20分の発表+10分の質疑応答で通される。
 私は,初日が「授業改善」4コマ,二日目が「国語科」3コマ,そして最後に放射線のことを扱った「博士号教員における出前授業デモンストレーション」に参加した。

 いずれも興味深い内容で,それについては来週あたりに学校でポイントだけでも紹介したいと考えている。
 ここには(たぶん)十数年ぶりに参加したこの会で感じた印象や気づきを簡単にメモしておこうと思う。

○どの発表も無駄なく組み立てられているが…
 時間厳守がほぼ守られていて,資料もコンパクト,そして学力調査などの客観的データを示している。そういう意味で大変効率的な感じがする。
 ただ内容を見ると,やはりこの時間枠で語れないものもあるし,倍ぐらいかけてじっくりと聴き,検討してみたいと思わされる発表もあった。なかに模擬授業を入れたりすることも面白い。時間的な余裕も含め,そういう柔軟性をもった形式もあっていい。

○教師の伝える力はどうだったか…
 発表のスタイルは,プロジェクター使用のプレゼンが全部であった。少し画一的で,演台で原稿に目を落としている姿が多かった。
 二日間で十人を超える教員の「発表」を聞いたが,自分の音声言語という面で工夫されていたかというと残念な気がするし,また同時にそういうことにあまり時間を割かれない現実も感じてしまう。
 秀逸だったのは,かつての同僚だった。演台に立たず画面を横に背負う感じで語りかけていた。これはあのスタイルだなと感じていて,終了後に雑談したら,やはり出てきたあの名前。Steve Jobsである。伝える思いの具現化を図ろうとする姿である。

○他県参加者の多さ,積極性に…
 「学力日本一」の看板?に集まるのだろうか。かつてはそんなに目立たなかったと思うが,全体会のなかでも特定のスペースが用意されているほどだった。
 この時期にわざわざ来るのだから意識も高いと思うが,まあ県内では常識になっていることなどを訊くという場面もあったりして,このあたりはもしかしたら,特設コーナーでも設けたら…などという考えも浮かんだ。
 また,ここらで本県実践を批判的にみる方々に登壇していただき話を聞いてみる…という過激な?アイデアもぽっと…。

1年目のゆるうい決意

2012年02月09日 | 雑記帳
 デジイチのα55を買ってからちょうど1年。
 車に積みこんではいるが,なかなか使用頻度があがらない。

 実は一番撮りたいのは,授業中の子どもの表情なのである。しかしどうもそれだと仕事と趣味の境が曖昧になってしまうようで自信がない。
 従って,授業風景はもっぱら,同時期に購入したリコーCXである。

 学校のホームページ(こちら→http://www.yutopia.or.jp/~miwasho/)も写真主体であるが,日々の記録が中心なので写真として面白いとは正直言い難い。(まあBLOG時代は結構いい線いっていたが,衰退の一方である)


 ちょっとした合間にとれるのが植物で,鉢モノは特に手軽だ。
 去年も「放春花」の記録をつけたので,今年もと思い,1月下旬から早々に記録を始めた。
ケチって安い値段のものを買ったが,それはそれなりに味わい深いものである。
 フォトページ(こちら→http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/)

 雪景色も当然対象としている。ただやはり腰にくると言おうか,単なるセヤンデ(方言で「おっくうがる」)いるのか,なかなか雪原に立つ機会を持てない。
 厳しい場面よりも,やさしく温かい場面がいいなあ…春が来ないかなあ,と単純に考えているのだが,やはりそれは軟弱だなあと思い返す。

 冬の厳しさからあるからこそ春の喜びが…という北方人類不滅の原則を忘れてはいけませんぜ。

 今度の休日こそ,雪国らしいショットを決めてみたい。

 いや,せめて二月内に…と,すぐにトーンダウン。
 外はまた吹雪が吹きすさんでおりますもので。

日向と日陰,作家の資質

2012年02月08日 | 読書
 『ひなた』(吉田修一 光文社文庫)

 帯には「隠れた傑作」というコピー。
 本当にそういう作品ってあるものかなあと思うが,ファンの一人としては,文庫になっていればすぐ手が出てしまう。

 読み終わって感じるのは,これも帯にあるとおり「ありふれたおはなし」,確かにその通りだと思う。
 「どうしてこうも心揺さぶられるのでしょう」というところまではいかないが,淡々としたストーリーの中に,それぞれの人物が抱える「暗さ」のようなものが見え隠れする構成で,それは露わにならないのかという気持ちになったりして,少しどきどきする。

 そして,わかったのが「ひなた」という題名の意図である。
 四人の視点で描かれるこの話の接点は,「ひなた」ということに象徴される平凡な日常生活であり,その明るさや温かさによって,人は生き続けている。
 一人ひとりはもちろんそればかりでない,いわば「ひかげ」を持っていて,それはごく自然なことであり,誰にも当てはまる姿なのだろう。
 ひなただけに生きる能天気な人など,この世に何人存在するのだろうと思う。


 いやあ,それにしても作家という者は,観察力が優れているものだなと改めて感じる箇所がいくつかあった。
 こういう感性は,取材ということもあるのかもしれないが,日常の出来事からそれらをつまみ出し,表現にもっていくまでよほどの思考があるのだろうか。それとも直感といえばいいのだろうか。

 今回,特にピックアップしたいのは,次の三つ。

 渋い声のやつと日本酒飲むとうまいんだよ。

 誰よりも自分を見ているはずの自分に,本当にいいものを身につけさせてやることは,決して無駄なことではないような気がする。

 グループではなく,一人で駅に立っている学生というのは,どうして賢そうに見えるのだろうか。


 どれも,はああっと思った。
 ストーリー上の流れの中で出てきた何気ない言葉ではあるが,結局は作家自身の好みや人生観に裏打ちされたものかなあ,とも思う。

 たぶん,「ひなた」という日常の観察によって,「ひかげ」という非日常あるいは反日常または脱日常といったことを想像できることが,作家の資質なのだ。
 そんな考えが浮かぶ。

ただただ懐かしいと思うとき

2012年02月07日 | 教育ノート
 来週の入学説明会の挨拶を考えていて,ふと自分が一年生担任だった頃に「伸びていく子の特徴」という記事を学級通信に書いたことを思い出した。それを入れ込んだ形で話してみようと決めた。

 家へ帰って,いつも整理中の2階の書棚から当時のものを探した。合本にしたのがあるはずだが,その前に「学級通信増刊号」と銘打った「親子文集」が出てきた。

 「子どものページ」「思い出のページ」「親のページ」という構成である。わずか9名の学級だったので量的には少ないが,思い入れがたっぷりと詰まっている冊子である。

 「思い出のページ」は日刊で発行した学級通信から数編選び出しており,そのなかに「伸びていく子の特徴」もあったのでほっと一安心。

 さて,それはともかくどうしても他のページに目がいって読み込んでしまう。

 4月のひらがなの授業の様子,ひたすら「はてな」を書かせ続けたこと,「ねえねえ,お母さんって忙しいんだね」と訊くことから始まる宿題,「かぞえぼうつかみどり大会」の算数学習…かすかに記憶として蘇ってくる。

 我ながら,ああいいなあと思ったのは,「12月3日 1時間目のこと」と題した記録だった。
 その日は冬一番の寒さが,ずいぶん強く霜がついた。そして空は真っ青。朝から子どもたちを外へ連れ出して,「影」や「氷」について体験させ,文章を書かせたようだ。
 子どもたちの作文を紹介したあとに,次のように結んでいる(どちらかというと補足だが)。

 「氷で空手」「霜柱ふみ,ぶつけ」などずいぶん遊んだので,服がかなり汚れた子もいました。すみません。学校の池の水溜まりで,震えていた魚の小さな命を二つ救ったことに免じてお許しください。

 ああ,こんな瞬間があったんだなあと今更ながらにただただ懐かしい。
 
 あとがきには,一年生担任になれた嬉しさが綴られていた。
 「教師冥利につきる」という言葉もある。
 また,実にエラそうだが,「共育」~共に育つが親や教師の資質,なんてことまで…。

 92年3月の刊である。
 あれから20年,ずいぶん離れてしまったけれど…。

夕焼けポストのような味

2012年02月05日 | 読書
 ドリアン助川が,以前『ダ・カーポ』という雑誌で,たしか「自分相談」と題したコーナーを持っていて,自作自演?の人生相談をしていたことがあった。これが本当に面白く,フィットするなあと楽しみにしていたことを思い出す。
 ドリアンは,ラジオや新聞などでも人生相談的なコーナーを持っているらしく,もはやその道のプロなのだろうか。

 『夕焼けポスト』(ドリアン助川 宝島社)

 今回のこの単行本は,幻想的に登場する「夕焼けポスト」に投函された架空の手紙に対して,返事を書き続けるある男の決意やためらいや納得を,「人の国」(インドであろう)への旅を通して描いた物語である。帯にもあるが,ファンタジーという類になるだろう。

 歴史的な有名人から,名もなき罪人,そして大震災後を生きる公務員まで,投函する者は様々な設定で手紙を書くが,誰しもがその心の重さを振り払いたい思いを持っている。

 それに対して,主人公たる「あなた」は,角度を変えるという考え方を駆使しながら,激励や寄り添い,時には扇動という形で返信をしたためる。

 角度を変えるは,最終的に「観自在」という悟りにいきつく。
 キーマンとなる少年との十五年ぶりの邂逅(いや約束された再会というべきか)がクライマックスとも言えるが,このあたりの表現が素晴らしく,「あなた」という二人称を使いながら読者を物語に引き込む。


 さて,私も人から相談を受けることは珍しくない。しかし,それに対して自分が明確に応えているとは思えないときがある。

 内容やその時の状況によっての違いが大きいが,唯一できることと言えば,やはり「聞く」だろうし,それは「聴く」という構えがなければ駄目だろう。

 よく,訊く人はすでに自分の心の中に答えを持っているものだ,という言い方をすることがある。どんな場合にも当てはまるかと言えばそうでもない気がするが,概ねそれは正しい。
 何事であっても解決できるのは自分であり,ゼロからのスタートでそこまでたどり着くことはない。結局,自分の中に解決につながる何かが芽を出しているはずだ。

 そうすれば,「角度を変える」の他に,距離を変える,大きさを変えるという視点も出てくるだろう。そうやって芽に気づかせることが,相談というもののコツか。

 この本には「心がラクになるたったひとつの方法」という副題が添えられている。それは「角度を変える・観自在」で間違いない。
 とすると「方法」でいいのか,と思ってしまうが,ここは「手立て・手段」ではなく,思考対象の取り扱い方という哲学的な意味によることがわかる。

 
 夕刻に,朝絞って瓶詰めされた日本酒を,知り合いの方からいただいた。
 http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-585b.html
 立春の酒は,なんとなく夕焼けポストのような味がした。

学習形態の工夫,第1ラウンド

2012年02月03日 | 教育ノート
 今週,今年度最後の校内授業研が持たれた。

 「考える声、伝える声、高めあう声の育成」という研究主題のもとに,今年は「学習形態の工夫を通して」という副題を添えた。実質はこの副題に関わる,つまり学習形態の工夫を視点とした授業研究を中心として進めてきた。

 もちろん授業研究の協議会が主たる場となったが、研究主任に前もって頼み,「学習形態の工夫」を入れ込む形で私自身が担当するミニ研修を4回持たせてもらった。

 「学習形態の工夫」を最初に取り上げた回については、構想をメモしてあった。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/7ca2950f9eba5d266c45416b41b89f69

 課題として掲げたのは「学習形態の工夫とは、何を研修することなのか」。
 最終的に大きく二つの切り込む視点を提示した。
 「学習形態の設定と変化・転換」を中心にするか、「個別の学習形態の重点化」を中心にするか、見通しを持つためである。

 2回目は、二学期の冒頭にこんな切り口から入った。

 「学習形態の工夫」を疑ってみる

 一学期の研究授業がどうだったということではなく、全般的に感じていたことをこんな表現で表してみた。

 つまり、学習形態を一斉だけではなく、ペア・グループへ変化させたり、個の活動を入れたりする工夫は表面上は出来つつあったが,その形態によってどんな力がつくのかが意識的であったか,計画的であったかを問い直したいと考えた。

 以下の三つの点を示した。

 ○学習のねらいにそった形態なのか
 ○その学習形態にどれだけ慣れているのか
 ○その学習形態にふさわしい場所、時間なのか

 具体的には、ペア・グループ指導の事例が多かったが、要は、自覚的に学習形態を使いこなしているのか、そのための準備に落ちはないのか、といったことを強調した。

 そして、三学期。冬休みの最終日に行った。
 ここでは、「言語活動と学習形態」ということを中心にした。
 「言語活動の充実」が新学習指導要領のキーワードであるのは周知のことだが、実際に今までとの相違を明確にできるのかと問われればやや心許ない。本校が推進している学習形態の工夫という点に結び付けてみれば、案外際立つこともあるのではないかと思った。

 つまり、その形態ではどんな言語活動ができますか、有効ですか、ということ。
 また逆に,ある言語活動をさせるのにその形態は相応しいのですか,ということである。
 「外言活動」としての言語活動を、量的に保障し、質的向上を図るための学習形態,そんなふうに括れるだろうか。

 とすると,一斉で有効な活動,グループやペアでこそ生きる活動…が見えてくるだろう。

 1年間(実質は10カ月程度)を通して、いくつかの収穫はあった。
 ただもう一度,「学習形態の工夫とは,何を研修することなのか」そして「何のために学習形態を工夫するのか」を,俯瞰的にとらえてみないと,結局は小手先の技術論に留まってしまうという思いが強い。

 ともあれ「学習者編成」という意味での学習形態の工夫は、やはり徹底して継続することを決めて取り組むべきと考えられる。
 「一斉⇔個」であっても「グループ中心」であっても、授業という限られた時間の中で子どもの力をジャンプさせるためには、一定期間が必要だと考えている。

 ふらふらしていては、足に力が入らず、強い踏み込みができない。これは学習形態に限らないことだろうが…。
 少し長い第1ラウンドだったが,ポイントはとれただろうか,