百醜千拙草

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差別の問題

2014-01-21 | Weblog
40日の砂漠での断食の後で、何度も脅しや恐れや疑いを植え付け、誘惑しようとしたサタンを、キリストは断固として撥ね退け、ついに「サタンよ、去れ」との言葉によって、サタンは退きます。このサタンとの荒野の戦いで、イエスは全ての点で試されたと聖書にはあります。その間、イエスは気を緩めることもなく、忍び寄るサタンの誘惑を警戒し、それを否定しました。
困難な仕事を成し遂げるには、サタンの誘惑を撥ね除ける強い意志が必要です。

沖縄の米軍基地負担の改善を謳って選ばれたはずの沖縄県知事がどういうわけか(?)辺野古への移設を認めてしまい、沖縄県民と正義を愛する人々の怒りを買ったのは記憶に新しいです。辺野古への移設の容認の経緯を質問されて、(よほど触って欲しくない事情があったのでしょう)逆ギレして、あきれられました。
どうして、沖縄米軍基地に反対して知事になった人が、宗旨替えをしてしまうのか。いつ、どのようにサタンに誘惑されてしまったのでしょうか。

そして、辺野古移設反対を掲げた名護市市長が再選しました。沖縄県知事も今年いっぱいで任期切れ、これで辺野古への移設はとりあえず遠のいたと思われます。この市長はこれから、サタンの誘惑にさらされることになります。日本の場合は陰湿で、前の福島県の佐藤知事同様、誘惑が利かなければ、犯罪をでっちあげられて抹殺されることになりますから、ここは是非とも多くの人々が辺野古移設への経緯を注視して、この市長を国家による犯罪から守る努力が必要だろうと思います。

沖縄基地問題は、福島原発、などと構図は同じ、「差別」の問題です。極論すれば、都会、霞ヶ関が、己の利益のために、地方にイヤなものを押し付けてきたということです。事故を起こすまでの原発と異なり、沖縄の基地は、騒音、事故、米軍兵による度重なる暴行事件、様々な問題を起こしてきており、大多数の沖縄県民が、72年以降もずっと被害を受け続けて来ました。彼らの主張はずっと、ブレていません。その怒りは、「差別」とわかっていながら、あくまで沖縄にイヤなものを押し付け続け、鳩山氏を除いて、その改善を一度もマトモに考えようとさえしなかった日本政府に向けられています。その上で、ずっと味方だと思っていた沖縄県知事が最後の最後で、辺野古を容認したというガッカリする事件がおこったばかりです。
名護市長選の結果は、何十年と続きて来たブレない沖縄県民の人の願いの表れです。

このニュースを伝える時事の記事を見て、その傲慢さに怒りがこみ上げました。

安倍政権、移設シナリオに狂い=日米関係に影響も-名護市長選

本文は省略しますが、この記事の中に、沖縄県民の人の長年の苦しみ、地方への差別、といった地元の人の目線に立った記述は、皆無、「ゼロ」です。全てのことが上からの目線、政府にとって、日本にとって、アベに取って、辺野古移設反対派が市長に選ばれたことが「困る」としか書いてありません。こういう記事を書く「差別的人間」が中央にいて、差別をますます広げて行くのです。

これは、利害が直接絡む与党、政府、マスコミだけの態度ではありません。本土や都会に住む一般人が「沖縄や地方は、その分の金を受け取っているのだから文句を言うな」というような傲慢で思いやりに欠ける発言をしているのをネットで見かけます。工作員だと思いたいですが、困っている人に付け込んで、札束で頬を張るような、人間として最低の行為を肯定するようなことを言って恥じないのですから、こういう人はきっと金のためなら命も惜しくないのでしょう。いつから日本人はこれほどまでに下品で浅ましくなったのだろう、と思わずにはおれません。

「自分さえ良ければいい」それが、この国を運営する人間の多くが考えていることです。大多数の都会に住む日本人も、実のところは、差別があろうと自分に迷惑が及ばなければ構わない、と思っているのかも知れません。自分の生活で手いっぱい、沖縄の人の苦難に同情しているヒマはない、というのが本音でしょう。そうかも知れません。それでも、少なくとも日本の根強い「地方差別」の存在を知っておくことは大切だと思います。「自分さえ良ければいい」人でも、いつ明日は我が身になるかも知れませんし。

ところで、この間、灘中学校の算数の入試問題を解いてみました。半分しか出来ませんでした。この問題を小学生が60分で解いて、よく出来た子供を選んで入学させるのです。東大入試も似たようなものでしょう。これらの算数の問題はよく出来ていますが、どうせやるのなら、60分ではなく、一週間ぐらい時間を与えてやらせて、もっとも独創的な方法で解答した人を選ぶようにした方が、日本の将来のためだろうと思います。(結局、こういった進学に進んだ人間が東大に行って役人になるのですから)これらの算数の問題で限られた時間で効率よく正解を出すには、じっくり考えているヒマはありません。パターン認識で覚え込んだ問題例のどれに近いかを探し出して方法を当てはめるしかありません。思考力を試すのではなく、結局は記憶力です。つまり、解答がある場合に、人よりも「早く」正解にたどりつく能力のある人間を選ぶ試験です。進学校、東大、を経て、官僚というコースは、既にある答えを早く見つけて競争に勝つことに長けた人間を、養成、選択するというプロセスのようです。しかるに、世の中の多くの問題には、正解もなければ、しばしば60分以内に「早く」答えを出す必要もないものが多いと思います。正解のない問題を多角的、独創的な視点を持って考え、将来、振り返ってはじめて、ベストであったと評価されるような判断ができる人間がリーダーシップを取るべきです。日本の競争社会は、むしろ不適切な為政者を選び出すように働いているのかも知れません。

そう思うと、沖縄米軍基地問題が、返還から40年以上経っても何一つ改善しないのも分るような気がします。政治を裏で操る官僚にとって、米軍基地の県外移設、対米自立という「独創的」な解答はありえない(なぜなら、そういう解答パターンが過去になかったから)のではないでしょうか。だから、現状を見て、最適解を編み出す努力をせずに、過去の解答パターンに現実をむりやり合わせようとしているのではないでしょうか。それで、戦後70年近くたっても、日本はアメリカの植民地でありつづけているのではないでしょうか。
コメント (2)
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