明けましておめでとうございます。
2020年の困難と数々の個人的な厄災を思えば、正直に「めでたい」という気持ちです。昨年は、本当に大変な年でした。年が変わったからといって急激に物事が変化するわけではないですけど、この年の区切りは精神的には多少の効果がありそうです。
2020の後半は、ここ数年のスランプの加えて次々に悪い事が縦続けに起こりました。幸いなのは、同時多発ではなく、一つ一つは独立しておきたので、なんとか対処できたことでした。とはいうものの、肉体的にも精神的にも半永久的なダメージが残りました。
昨年の初め、コロナ災害が本格化する前の小さな学会で、若手の研究者の人と雑談していたとき、「私はもう坂道を降り始めましたので」という言葉がふと口から出て、それに自分は大変驚きました。会話中の謙遜するべきところだったので、そういう言葉をが思いがけず出たのですけど、これは私の無意識の中にある本音だと感じました。無意識の中で、そろそろ次に移る時期が近づいているということを感じていたのだろうと思います。
自分では、いまだに研究にそれなりに情熱をもっていて、まだまだ面白いことを追求したいという欲もあり、気持ちはポスドク時代と変わっていないと思うのですけど、若い時の欲(それが少なからず研究へのモチベーションに繋がっていたと思うのですけど)、大発見して認められたいとか、よいポジションにつきたいとか、発見をもとにビジネスに進出したいとか、そんなことに対する興味がほぼないことに気がつきました。「坂道を降り始めた」というのは、そうした研究者なら思い描くような物質的目的に興味が無くなったということなのだと思いました。大発見したらうれしいには違いないでしょうけど、若い時のようにそこから将来につながる可能性というものが限られている今、私の研究のモチベーションはもっと個人的な内向的なものになっています。となると、私の心の喜びを満たすものは研究でなくてもいいかも知れないという気持ちも芽生え始めました。
客観的に見れば、私はとっくの昔に若手ではなくなり、あと数年したら老後を心配し出す年に差し掛かっています。事実、昨年、大学院時代にお世話になった先生方が定年前後で急逝されたことを思うと、私も残された時間はそう長くないかも知れないと考えざるを得ません。
残された時間でやることの優先順位を考えて積極的に残りの人生の計画を練るべきか、それとも成り行きと直感にまかせてプッツリと突然に命の糸が切れるまで、日々の充実だけを考えて生きるべきか、などと悩みながら時間を無駄にしております。とりあえず、子供が一人前になり、私の親の世代の問題が落ち着くという優先項目があるので、それからの話ではあるのですけど。
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