人手不足で苦しんでおります。プロジェクト二本が最終ストレッチに向けて第三コーナーを回りつつある段階なのにもかかわらず、関わっていた主力の二人が戦線離脱、加えて、研究費申請に向けて色々とやらねばならないことで頭が一杯で、数年来のもう一つのプロジェクトは放置状態です。
プロジェクトも、全貌が見えてそろそろまとめに入ろうとする頃から苦しくなりますね。若いときなら、苦しくても一気にやってしまおうとしたものでしたが、もはや気力と体力的にそういう訳にもいかず、苦しいときはペースを落してとにかく無理をせずに着実に歩を進めていくことにフォーカスして日々を過ごしております。
さて、先日の内田樹の研究室の記事。現代の貨幣制資本主義社会の愚かしさが見事に解説されています。
それで、ふと思ったのですが、近年、基礎医学研究も「生身」の体を離れつつある危うさを感じることが多くなり、なるほど、無理な経済成長を望む政府と同じロジックで研究界も動いているのかも知れないと思いました。
最近のCell, Natureの姉妹紙に乗る論文の少なからずが、NGSなどの大量データに依存した研究です。簡単には追試はできないし、プライマリーデータを解析することも容易ではありません。つまり、読者やレビューアがデータを第三者の目から見て独自に評価するというようなことがすでに困難になっており、著者らのデータ解釈と示されている二次データを信じるしかないという論文が多くなってきました。
また、株の自動取引ではないですが、NGSなどの大量のデータのメタアナリシスとなってくると、そのデータの解釈さえ生身の人間にはできず、コンピュータに依存せざるを得ないというような事態になっています。この手の論文は、門外漢にはもはや理解不能です。そして、こうした大量データは、しばしば独立して解釈できないのに、論文の結論を支持するために必要なものと考えられているような風潮さえあります。データの解釈はこれからコンピュータがすることになり、論文の結論も、遠からずコンピュータが出すことになるでしょう。そうなれば、論文のレビューもコンピュータ、そのうち、論文を書くのも実験するのもコンピュータと機械、出てくる科学論文の結論はコンピュータにしか理解できない、そんな時代が来るかも知れません。
この地に足が付いていない感というか、実体との乖離感、は大変、危ういものだと思います。
以下、(既にお読みになった方も多いかとは思いますが)内田樹の研究室から一部抜粋。
2016.07.22
日弁連での講演の「おまけ」部分
、、、、
例えば、今では株の売買というのはほとんどコンピュータのアルゴリズムがやっている。計算式が1秒間で千回というような速度で株の売り買いをしている。、、、、すでに経済自体人間のコントロールを離れている。金融経済というのはそういうものです。もう生身の人間の生活とは関わりがない。
実体経済というのは人間の衣食住をベースにして動きます。、、、だから、実体経済で動いている限り、経済活動の規模には限度がある。人間の身体という限界がある。消費活動はどれほど倒錯的なものであっても、結局は身体という限度を超えることはできない。、、、、でも、それではもう経済成長ができないということがわかった。身体というリミッターを外して、人間の経済活動を無制限のものにしようと考えた人がいた。それが金融経済です。
ここで起きている出来事はもう生身の人間の身体とは関わりがない。だって、これはもう消費活動じゃないからです。商品やサービスを買うわけじゃない。金で金を買うのです。株を買い、不動産を買い、国債を買い、石油を買い、金を買い、外貨を買う。これらはすべて金の代替物です。
もう現代の経済活動は人間の生理的要求を充たすためではなくて、お金の自己運動になっている。ただ、ぐるぐる回っているだけです。もう人間は関係ない。だから、極端な話、ある日パンデミックで世界の70億人が絶滅したとしても、その翌日に証券取引所ではアルゴリズムが元気よく株の売り買いをしているはずです。もう人間抜きで経済活動が行われている。
経済はもう成長しないのです。
経済活動には身体という限界があり、人間の頭数を無限に増やすことは地球環境というリミッターがあってできない。
、、、この人口推移でなお経済成長しようとしたらできることはいくつもありません。
一つは戦争をすること。戦争というのは極めて活発な経済活動を導きます。どこでもいい、どこかに戦争を仕掛ける。戦争が始れば私的財産を洗いざらいひっかき出してマーケットに投じることができる。「欲しがりません勝つまでは」で社会福祉も医療も教育も、金にならないセクターには一文も投じなくて済む。軍需産業は大儲けできる。成金たちが車を買ったり、シャンペン飲んだり、豪邸建てたりすれば、そういう富裕層向けの小売り業も「トリクルダウン」に浴するかも知れない。、、、兵器産業というのは資本主義にとっては理想の商品です。ふつうの商品の場合、商品をマーケットに投下すると、ある時点でマーケットは飽和する。、、、、でも、兵器には「飽和」ということがない。というのは、兵器の主務とは兵器を破壊することだからです。マーケットに兵器が投下されればされるほど、破壊される兵器の数が増える。対立や憎しみが激化すればするほど兵器へのニーズは増大する。、、、実際にこの間経団連のえらい人が言っていましたね。「そろそろ戦争でも起こってもらわないと、経済が回らないから」って。それが本音だと思いますよ。
実際に経済成長率というのは、戦争や内乱やクーデタの国において非常に高いのです。、、、、
もう一つ、経済成長のための秘策があります。それは日本の里山を居住不能にすることです。、、、みんな里山を捨てて都市部に出てくる。これで行政コストは大幅に削減できます。里山居住者は地方都市に集められる。離農した人たちには賃労働者になるしかない。仕事が選べないのだから、雇用条件はどこまで切り下げられても文句は言えない。そこで暮らすか、東京に出るしかない。そうすれば、人口6000万人くらいまで減っても、経済成長の余地がある。日本人全員を賃労働者にして、都市にぎゅうぎゅう詰めにして、消費させればいいんです。「日本のシンガポール化」です。
日本もそういう社会体制にすればまだ経済成長できるかもしれない。、、、
でも、日本にはシンガポール化を妨げる「困った」要素があります。それが里山の豊かな自然です。
温帯モンスーンの深い山林があり、水が豊かで、植生も動物種も多様である。だから、都市生活を捨てた若い人たちが今次々と里山に移住しています。移住して農業をやったり、養蜂をやったり、林業をやったり、役場に勤めたり、教師になったり、いろんなことをやっている。今はたぶん年間数万規模ですが、おそらく数年のうちに十万を超えるでしょう。都市から地方への人口拡散が起きている。政府としてはそんなことをされては困るわけです。限界集落が消滅しないで、低空飛行のまま長く続くことになるわけですから、行政サービスを続けなければいけない。おまけに、この地方移住者たちはあまり貨幣を使わない。物々交換や手間暇の交換という直接的なやりとりで生活の基本的な資源を調達しようとする。そういう脱貨幣、脱市場の経済活動を意識的にめざしている。ご本人たちは自給自足と交換経済でかなり豊かな生活を享受できるのだけれど、こういう経済活動はGDPには一円も貢献しない。地下経済ですから、財務省も経産省も把握できないし、課税もできない。これは政府としては非常にいやなことなわけです。
、、、
だから、われわれが言うべきなのは「もう経済成長なんかしなくていいじゃないか」ということなんです。今行われているすべての制度改革は、改憲も含めて、すべて「ありえない経済成長」のためのシステム改変なんです。、、、、
プロジェクトも、全貌が見えてそろそろまとめに入ろうとする頃から苦しくなりますね。若いときなら、苦しくても一気にやってしまおうとしたものでしたが、もはや気力と体力的にそういう訳にもいかず、苦しいときはペースを落してとにかく無理をせずに着実に歩を進めていくことにフォーカスして日々を過ごしております。
さて、先日の内田樹の研究室の記事。現代の貨幣制資本主義社会の愚かしさが見事に解説されています。
それで、ふと思ったのですが、近年、基礎医学研究も「生身」の体を離れつつある危うさを感じることが多くなり、なるほど、無理な経済成長を望む政府と同じロジックで研究界も動いているのかも知れないと思いました。
最近のCell, Natureの姉妹紙に乗る論文の少なからずが、NGSなどの大量データに依存した研究です。簡単には追試はできないし、プライマリーデータを解析することも容易ではありません。つまり、読者やレビューアがデータを第三者の目から見て独自に評価するというようなことがすでに困難になっており、著者らのデータ解釈と示されている二次データを信じるしかないという論文が多くなってきました。
また、株の自動取引ではないですが、NGSなどの大量のデータのメタアナリシスとなってくると、そのデータの解釈さえ生身の人間にはできず、コンピュータに依存せざるを得ないというような事態になっています。この手の論文は、門外漢にはもはや理解不能です。そして、こうした大量データは、しばしば独立して解釈できないのに、論文の結論を支持するために必要なものと考えられているような風潮さえあります。データの解釈はこれからコンピュータがすることになり、論文の結論も、遠からずコンピュータが出すことになるでしょう。そうなれば、論文のレビューもコンピュータ、そのうち、論文を書くのも実験するのもコンピュータと機械、出てくる科学論文の結論はコンピュータにしか理解できない、そんな時代が来るかも知れません。
この地に足が付いていない感というか、実体との乖離感、は大変、危ういものだと思います。
以下、(既にお読みになった方も多いかとは思いますが)内田樹の研究室から一部抜粋。
2016.07.22
日弁連での講演の「おまけ」部分
、、、、
例えば、今では株の売買というのはほとんどコンピュータのアルゴリズムがやっている。計算式が1秒間で千回というような速度で株の売り買いをしている。、、、、すでに経済自体人間のコントロールを離れている。金融経済というのはそういうものです。もう生身の人間の生活とは関わりがない。
実体経済というのは人間の衣食住をベースにして動きます。、、、だから、実体経済で動いている限り、経済活動の規模には限度がある。人間の身体という限界がある。消費活動はどれほど倒錯的なものであっても、結局は身体という限度を超えることはできない。、、、、でも、それではもう経済成長ができないということがわかった。身体というリミッターを外して、人間の経済活動を無制限のものにしようと考えた人がいた。それが金融経済です。
ここで起きている出来事はもう生身の人間の身体とは関わりがない。だって、これはもう消費活動じゃないからです。商品やサービスを買うわけじゃない。金で金を買うのです。株を買い、不動産を買い、国債を買い、石油を買い、金を買い、外貨を買う。これらはすべて金の代替物です。
もう現代の経済活動は人間の生理的要求を充たすためではなくて、お金の自己運動になっている。ただ、ぐるぐる回っているだけです。もう人間は関係ない。だから、極端な話、ある日パンデミックで世界の70億人が絶滅したとしても、その翌日に証券取引所ではアルゴリズムが元気よく株の売り買いをしているはずです。もう人間抜きで経済活動が行われている。
経済はもう成長しないのです。
経済活動には身体という限界があり、人間の頭数を無限に増やすことは地球環境というリミッターがあってできない。
、、、この人口推移でなお経済成長しようとしたらできることはいくつもありません。
一つは戦争をすること。戦争というのは極めて活発な経済活動を導きます。どこでもいい、どこかに戦争を仕掛ける。戦争が始れば私的財産を洗いざらいひっかき出してマーケットに投じることができる。「欲しがりません勝つまでは」で社会福祉も医療も教育も、金にならないセクターには一文も投じなくて済む。軍需産業は大儲けできる。成金たちが車を買ったり、シャンペン飲んだり、豪邸建てたりすれば、そういう富裕層向けの小売り業も「トリクルダウン」に浴するかも知れない。、、、兵器産業というのは資本主義にとっては理想の商品です。ふつうの商品の場合、商品をマーケットに投下すると、ある時点でマーケットは飽和する。、、、、でも、兵器には「飽和」ということがない。というのは、兵器の主務とは兵器を破壊することだからです。マーケットに兵器が投下されればされるほど、破壊される兵器の数が増える。対立や憎しみが激化すればするほど兵器へのニーズは増大する。、、、実際にこの間経団連のえらい人が言っていましたね。「そろそろ戦争でも起こってもらわないと、経済が回らないから」って。それが本音だと思いますよ。
実際に経済成長率というのは、戦争や内乱やクーデタの国において非常に高いのです。、、、、
もう一つ、経済成長のための秘策があります。それは日本の里山を居住不能にすることです。、、、みんな里山を捨てて都市部に出てくる。これで行政コストは大幅に削減できます。里山居住者は地方都市に集められる。離農した人たちには賃労働者になるしかない。仕事が選べないのだから、雇用条件はどこまで切り下げられても文句は言えない。そこで暮らすか、東京に出るしかない。そうすれば、人口6000万人くらいまで減っても、経済成長の余地がある。日本人全員を賃労働者にして、都市にぎゅうぎゅう詰めにして、消費させればいいんです。「日本のシンガポール化」です。
日本もそういう社会体制にすればまだ経済成長できるかもしれない。、、、
でも、日本にはシンガポール化を妨げる「困った」要素があります。それが里山の豊かな自然です。
温帯モンスーンの深い山林があり、水が豊かで、植生も動物種も多様である。だから、都市生活を捨てた若い人たちが今次々と里山に移住しています。移住して農業をやったり、養蜂をやったり、林業をやったり、役場に勤めたり、教師になったり、いろんなことをやっている。今はたぶん年間数万規模ですが、おそらく数年のうちに十万を超えるでしょう。都市から地方への人口拡散が起きている。政府としてはそんなことをされては困るわけです。限界集落が消滅しないで、低空飛行のまま長く続くことになるわけですから、行政サービスを続けなければいけない。おまけに、この地方移住者たちはあまり貨幣を使わない。物々交換や手間暇の交換という直接的なやりとりで生活の基本的な資源を調達しようとする。そういう脱貨幣、脱市場の経済活動を意識的にめざしている。ご本人たちは自給自足と交換経済でかなり豊かな生活を享受できるのだけれど、こういう経済活動はGDPには一円も貢献しない。地下経済ですから、財務省も経産省も把握できないし、課税もできない。これは政府としては非常にいやなことなわけです。
、、、
だから、われわれが言うべきなのは「もう経済成長なんかしなくていいじゃないか」ということなんです。今行われているすべての制度改革は、改憲も含めて、すべて「ありえない経済成長」のためのシステム改変なんです。、、、、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます