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こういう銘の墓石は珍しいのではないだろうか。
墓石マニアではないので詳しいわけではない。
生家の庭に転がっていたのだが草刈りの邪魔になるので、首なし仏像と一緒に先日移動させた。
ウチの集落では墓地が2箇所にある。
以前の墓参りは、古い方と新しい方の二箇所行くことになっていた。
古い方は、ハカンドと呼んでいた。
墓処がハカドコロでハカンドになったと思われる。
菩提寺であるお寺も以前は別の場所にあったのを引っ越してきたそうなので、その時に檀家となった家には、お寺隣接の新しい墓場が作られたのだろう。
ところが半世紀ほど前に、このお寺の檀家の分はお寺隣接の墓地に統合された。
各戸の面積は限られていたし、後に裏の道が拡張され狭められたこともあって、邪魔になる墓石ができてしまったのだ。
そうして、墓石などなかったウチの敷地内にゴロゴロと墓石が転がる事態が生じた。
墓参りなどほとんどしなかった父なのに、なぜか石そのものには強い執着があって、ウチに持ち込んだのだそうだ。
明治生まれの父は79歳で平成に変わる直前に力尽き、それらの石の扱いに私が悩まされている。
石は開眼供養の逆の開眼戻しという手続きを踏んであるので、形はどうあれ石でしかなく、どう扱おうとバチが当たることはない。
我が家のものだけではなく、他所のものや親類筋のものもあり、父は何かに利用しようと思ったのかもしれないが、織田信長が墓石を石段に利用したようにはいかなかったのかもしれない。
ところで、先祖代々ならわかるが、『等』は何だろう。
血の繋がりや婚姻関係がなくても、ゆるい大家族として、縁のあったものは等しく同じ墓に納められたということなのだろうか。
先日、田舎の近所の奥さんに『お前さんは、どこに入らんだの?』と聞かれた。
私は三男であり、外に所帯を持った分家だから、本家の墓には入らない・・・という原則のようなものがまだ雰囲気として残っているようだ。
私の墓は、この『先祖代々等』を使って、代々続いていくだろうニホンミツバチの巣の横にでも設えてくれたら良いのではないかと思ったりする。