一輪車に独りで載せられる大きさの石なら、ふらつくことはあっても何とか運ぶことができる。
移動距離が数m程度ならば、転がしていけば済むけれど、高低差があったりすれば、車輪が力を発揮する。
割ったり斫(はつ)ったりする気はなくて、ただただ散らばってある石を並べ、積んで、すっきりさせたいだけなのだ。
すっきりさせたいのは石積みの形というより、私自身の気持ち。
石を動かすのにハマってしまうのはなぜか、たぶん、単純に腕力と全身の筋力と少しばかりの工夫で事を成し得る快感に尽きる。
そうして筋肉遊びをしていると、石に人の表情が浮かんでいるように思われて『おっ!』と思うことがある。
別に人恋しいから人の顔を石に見てしまうのではないだろう。
むしろ、石を触っていることで日頃の荒(すさ)んだ心がほぐされ、人心地ついた優しい気持ちになっているからではないかと。
3枚目の眼窩のようなくぼみにに丸石を入れて点睛としたのは私のいたずらで、これはヤラセやり過ぎ。
4枚目は福笑いのような石で顔無しという風情なのだが、これにペンキなんかで目鼻なんぞ描いたら、せっかくの石が台無しになる。
5枚目は夕方になって、こいつを運んだら止めようと取り掛かったけれど、エネルギー切れか、今までで一番重いのか、挫折。
朝一番気力体力万全な状態で再挑戦する予定だが、すでにやる気満々、体操をして腰をぐるぐる回してからのこと。