鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

蕎麦の結実

2021年11月15日 08時57分57秒 | 農事



花盛時の蕎麦の花;2018.9.22撮影

蕎麦の実は、小さな花からは想像しにくい黄緑色の種が太ってきて、やがてそれが黒く硬くなって収穫期となる。
初めて蕎麦を作り始めたときには、周りに『昔は作ったけれど今は作っていない』と言う人ばかりだった。
そうして、うまくいった話は聞かせてもらえずに、失敗談が多かった。
市の農協本部に教えてもらってやり始め、秋の収穫時期と思われる頃には、黒く熟した種と黄緑色の成熟中が混ざる茎を持っていった。
黄緑が少しまざっているくらいが収穫時期とも教えてもらったものだった。
私の天候にたいする希望的予測と総ての条件が裏目にでて今年は全くの失敗に終わり、わずかしか採れなかった。
そうして収穫時にこぼれた種からまたすいすいと伸びるのがあって、ぽつんぽつんと茎が立ち上がって花も咲き、種もできていたりする。
この種と言おうか実と言おうか、これは黄緑から黒になるべきところを紅く染まっている。
わずかな蕎麦の実作り体験の中で初めて見た。
紅葉と同じ仕組みで、種の外皮が寒さに当たり紅く染まってしまったのだろうか。
私の蕎麦作りは年々ひどくなり成功したことがない。
こちらだって、頬を染めたいくらいのもんだ。


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石にハマる その3

2021年11月14日 07時51分00秒 | 日記










毎日石運びをやっているうちに、力の入れ方出し方の要領も分かってきて、すっかり自信も湧く。
少し前までなら、やろうともしなかった大きさの石に挑み、意外にもうまく出来ている。
そうして今日はこれだ、と一輪車を石に添わせてみただけで、いくらなんでもこれは無理だろうと思った。
それでも両手と頭を使い、一瞬の力技を試したが石はびくともしなかった。
大きくても軽い石があったりするのだが、こいつはみっちりと密度の高い石だった。
一輪車に載せるのはあきらめて、今回は20mほどだったから転がしていく。
一気にはせずに、3mほど転がしては別のことをやって力の回復を図り息を整える。
この石には平らな部分があって、そこが下になっている姿が安定していて見栄えがする。
しかしその状態から転がすのが一番重くて一気にはできない。
何回も揺らして反動をつけ、ようやく転がすのだが、筋肉がみりみり音をたてることさえある。
設置場所は池の縁と決めているので、今までやってきたように斜面の上からずり落とそうとは思ったが、それは危険と判断した。
平らな面が大きいなら、それもありなのだが、こいつはかなり丸みもあるので、下から支えてずり落とす際に転がり始めたら支えきれない。
この重さだと、いざというときに逃げ切れないだろうと、前日の指を挟んだ経験が警告する。
3枚め画像が設置したところだが、前日一輪車に載せることのできた右上のやつと比べてみると、不可能も納得の大きさだった。
さて、転がしてでもこの大きさまでいけたとなると、つぎはどいつだ、と鼻息荒く腕も鳴る思い。
その候補が4枚目なのだが、こいつは一輪車を添わせてみるまでもなく、地道に転がし作戦でいくしかない。
挑むのには良いサイズなのだが、形が悪くてハマる場所がない。
ままこのピースはどうしたものか、それなら次はどれになどと物色中だったのだが、全く想定外の事情が生じ、私の石遊びは長期中断せざるを得なくなった。
雪囲いやその他の雪害対策を素早く終わらせて、多少まだ早い作物も収穫して帰らなければならない。
今年の遊びは終わったのだ。
そうそう遊びにハマらせてもらえないのが、わが人生なのだからして、石と戯れるのはまた来年になる。
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石にハマる その2

2021年11月13日 07時40分40秒 | 日記










朝の事々を終えてから、『よし!』と立ち上がり、腕をぶんぶん回し腰をくねくね振って石に向かう。
昨夕挑んだ状態のままになっている一輪車の縁を左手で押し、右手を石の下に差し込んで、朝一のリフレッシュした筋力で持ち上げる。
そのはずが、びくともしない。
荷台の鉄板がぺこぺこ鳴るくらいに力は入れているのに、石は動じないというのか平静を保っているというのか、どうにもならない。
結局この石はこの近辺に置くしかないのかと落胆あきらめモードになったが、頭を使おうと決めて帽子をとってくる。
同級生が亡き夫のものだけれど使って呉れと荷物一箱送ってくれた中に入っていた高級品。
亡き彼は派手好き高級品好みというわけで、私にすれば一生縁のないブランドものばかりで、ゴルフ用と思われるキャップをここで使う。
帽子を被った頭を荷台の縁に押し付け、石に覆いかぶさるように頭突きと全身の力で起こそうという考え。
誰かに見られたら『何をやってるんだろう・・頭がおかしくなったか』という異様な姿だろうけれど、一瞬に全力をかける。
動く・・上がる・・いけるぞ・・と、体でもっていき、一輪車が立つ時に勢い余って反対に倒れたらおおごとなので、立つ間際は慎重にやる。
慎重にやったは良いけれど、石が重すぎて、荷台の上で水平になりながら、ずりずりとずれたときに指をはさんでしまう。
引き抜くのが一瞬遅れ、指の先が少し痛かっただけだったから、すぐに手袋を外して指を口に入れる。
内出血はするかもしれないけれど、この程度なら大丈夫という感触で一安心。
これを入力している時点ではどの指だったかも判らなくなっているから問題なし。
ふらふらしながら、小さな段差を避けつつ回り道をして50m近くを運び、慎重に落して、少しずらしたところが3枚目。
4枚目は予定していた場所に納まったところだが、離れて観てみると、重かったことや苦労したことなんぞ誰も判ってくれないだろうと思われる程に前からここに在りましたという風情が小癪だ。
そうしてまた、動かしたい候補があらわれる。
どちらが重いか、今までの最高重量か、とにかくキャップをかぶった頭を使ってのチャレンジは続く。
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石にハマる

2021年11月12日 07時42分42秒 | 日記










一輪車に独りで載せられる大きさの石なら、ふらつくことはあっても何とか運ぶことができる。
移動距離が数m程度ならば、転がしていけば済むけれど、高低差があったりすれば、車輪が力を発揮する。
割ったり斫(はつ)ったりする気はなくて、ただただ散らばってある石を並べ、積んで、すっきりさせたいだけなのだ。
すっきりさせたいのは石積みの形というより、私自身の気持ち。
石を動かすのにハマってしまうのはなぜか、たぶん、単純に腕力と全身の筋力と少しばかりの工夫で事を成し得る快感に尽きる。
そうして筋肉遊びをしていると、石に人の表情が浮かんでいるように思われて『おっ!』と思うことがある。
別に人恋しいから人の顔を石に見てしまうのではないだろう。
むしろ、石を触っていることで日頃の荒(すさ)んだ心がほぐされ、人心地ついた優しい気持ちになっているからではないかと。
3枚目の眼窩のようなくぼみにに丸石を入れて点睛としたのは私のいたずらで、これはヤラセやり過ぎ。
4枚目は福笑いのような石で顔無しという風情なのだが、これにペンキなんかで目鼻なんぞ描いたら、せっかくの石が台無しになる。
5枚目は夕方になって、こいつを運んだら止めようと取り掛かったけれど、エネルギー切れか、今までで一番重いのか、挫折。
朝一番気力体力万全な状態で再挑戦する予定だが、すでにやる気満々、体操をして腰をぐるぐる回してからのこと。
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昨日の小さな意外

2021年11月11日 08時07分08秒 | 日記




もうピーマンは抜いてしまおうと思っていたのに、捜してみると葉の陰から食べられるサイズが見つかったりするので決断できない。
そうして昨日見つかったのが、ツートンカラーのピーマン。
赤と緑なら食欲は湧くけれど、艶のないナスのような半分は腐っていそうなので、面白いと思うものの触らなかった。
シイタケのほだ木に、もうエノキタケは出ないだろうと思っていたのに、前日の雨が良い塩梅だったのか、またかなり採れた。
これだけ出ていると、形と色の良いものだけを選んだりして、野沢菜の間引き菜も入れ、味噌汁にした。
大体お椀で5杯分の汁になり朝昼晩とで完食した。
野沢菜は意外に良い味で、野生のエノキタケはナメコに劣らない。
いつも夜中だけ雨が降って欲しい。
そうなれば毎日毎食茸汁だ。
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不飲川

2021年11月10日 14時00分00秒 | 旅行

 
帰省する長距離ドライブの始めの方で不飲川の標識を撮った。
琵琶湖湖岸道路(さざなみ街道)で信号待ち中に車中からスマホを構えたのだけれど、サイクリング姿の若者が少し邪魔だった。
こちらを見たようだったが、撮ろうとしているのが不飲川の標識とすぐ納得したようで少しバックしてくれた。
直ぐ暗くなって夜間走行になったので、今回の500kmの間に撮ったのは、これだけだった。
確か、ずっと前にも取り上げたような気がして、ブログ内の検索をしたら、2014/10/30に『不飲橋』というタイトルで上げていた。
水源は愛知郡愛荘町にある不飲池で、『将門の首を洗ったら・・』と書いたが、今回検索したら、『将門を切った刀を洗ったら・・』という記述もあった。
『不飲橋』という標識を撮り、今回は『不飲川』の標識を撮ったのだから、不飲の元になった『不飲池』を次は撮るべし、飲まず食わずになる前に。


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冬支度の必需品

2021年11月09日 11時40分11秒 | 仕方








荒縄と聞けば、都会に暮らしている人は古典的な犯罪がらみの不吉なイメージを描いたりするかも知れない。
冬支度のニュースでいつも紹介される金沢兼六園の植木に施される雪吊りの縄が荒縄で、これは一回使って用を終えたら燃やされる。
金沢の積雪量なら雪吊りで良いだろうけれど、2m3mと降り積もる雪国ではそうはいかなくて、丸太やコモや板を使って雪囲いをする。
私は間伐した竹竿があるのだからと適当な長さに切って使い、縛るのも荷造り用のPPロープなどで代用していい加減にやったところ、ものの見事に失敗となったのが、大変な積雪となってしまった先の冬。
雪は垂直に落ちてきて、静かに解けていくものだとイメージしたら大間違いなのだ。
吹雪もあれば、吹き溜まりもあれば、日向日陰もあり、偏った積もり方解け方で重さがいびつな負荷となり、皆がやっているように永年の経験で確定している方法を真似ないと雪害が増すことになる。
今回からは、雪害対策はきちんと先人の知恵を真似てやるつもりなので、値段リサーチをした。
どこでもほとんど同じ金額で売っているようなので、ケチらずにやらないと、後で損をする。
丸太で植木を囲うのも3本より4本が確実だから、組んで荒縄でしばりつけないといけない。
どんな縄より荒縄が一番縛りやすくて太さもよい。
落し板というのは、家の一階にある窓という窓すべてを鎧(よろ)うための板で、意外に安い。
腐ったり折れたりしたのを繋いだりして使ってきたが、今年は10本ほど新調しなければならない。
運ぶのが大変だけれど、ホームセンターでは10km以内なら車を無料で貸してくれるとあるのだが、ウチは11kmほどなのだ。
融通を利かしてくれるかどうか、最近の店員は権限を任されていないのか、公務員みたいなのが多くてまことに困る。
最後の画像は、自作大根をおろすために茎を残しておいておろし完了後に見たら薔薇みたいだったので、少し整えて撮ってみた。
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霜月は茸の季節

2021年11月08日 12時33分44秒 | 農事








新潟県十日町の生家を、1週間留守にしただけなのにシイタケがわっと出ていた。
ナラタケ(当地ではアマンダレ)も一気にいつもの約束の場所に一面。
何か判らなかったけれど食べてから、野生のエノキタケだと教えてもらったヤツも終わり掛けだけれど生えている。
高速道路の休日割引が復活したので、深夜割引目当ての真夜中走行はしないでもよくなったのに出発が遅れて、生家に着いたのは午前4時過ぎ。
玄関を開ける前に、まだ真っ暗な中を気になっていたシイタケを見に行って成長の速さに驚いた。
9時まで熟睡をして、今度は畑を見たら白菜もキャベツもかなり大きくなっていて、ヒトより初動がおくれたのに何とかモノになりそうだ。
霜こそ降りなかったけれど、急に冷え込んだとも聞いている。
暖かくて陽が照るだけが植物を成長させるのではなく、寒くなると成長を早める野菜があり、茸も出てくるのがあると再認識した。
帰省して最初の調理は茸汁。
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石を祀る

2021年11月07日 04時07分00秒 | アングル






京都市右京区の一角に人の背丈ほどの低い社があって、お地蔵さんが何体か祀られているのだが、座布団に乗った石も2個あった。
石のことはよく知らないけれど、緑がかっているから閃緑岩か、赤白まだらは花崗岩か、もしかしたら安産祈願の安山岩か。
うちの田舎には石仏(いしぼとけ)といい、空から降ってきたものだと言い伝えられ祀られている石がある。
話に聞いているだけで、その隕石を実際に見たことはないのだけれど、信じられて祀られているものにケチをつける気はない。
こちらの2個の石は町内の地蔵盆で何か役目があるのか、とにかく2体の仏様あるいは神様として大事にされているようだ。
通りすがりに自転車をおりて拝んでいくおっさんがいたが、80歳くらいに見えたから、もうりっぱな爺さん。
私とて船頭さんの歌の『今年六十のお爺さん』を一回り越えてる爺(じじい)なのに、拝みもせずにスマホで祠を撮る。
最後の画像は少し前に田舎で撮ったのだが、里芋の茎を登りつめ行き止まりなので向きを変え急角度の下向き姿勢をかろうじて保ちつつ思案中に見える雨蛙。
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名残のちょうちょ(蝶蝶)

2021年11月06日 07時43分43秒 | 






病院の血液検査結果はまずまずということで、とって返す帰省の前に、スタッドレスを積んで自動車屋に行った。
雪国仕様にタイヤ交換してもらっている間、近くのホームセンターで時間をつぶす。
野外にある園芸コーナーは蜂や蝶が飛んでいて、なんとか撮れそうなのが青いサルビアの蜜を吸っていたセセリチョウ。
こいつは以前にも取り上げた筈と、見てみると昨年の11/7に『セセリチョウ』として載せていた。
今回の方がピントも合ってブレがなく撮れているけれどポーズがイマイチ、もっとしつこく迫るべきだった。
画像を観て『よくもまぁここまで毛深い』と感心したり、真っ黒い目に『何が哀しくてそんなにも暗い目を』などと想ったり。
妙に暖かい11月の小春日にアゲハはもう見当たらず、タテハチョウの仲間は飛んでいた。
キチョウもモンシロチョウも隣接した野菜畑に飛んでいて、園芸コーナーのキャベツ苗の葉っぱにはモンシロチョウの青虫もいた。
従業員が常に目を凝らしているだろうに運良く見逃されるヤツがいるようで、蛹になる手前の大きさに育ったのを見つけたから、条件反射的に自分のものでもないのに排除する。
『おっと撮ったら良かったな』と、また捜したら小さいのがいたので撮って、やっぱりこの世から排除。
『下向きにじっとして擬態するのだな』という発見はあった。

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宇治にて金木犀と茶畑と夕焼け

2021年11月05日 06時33分33秒 | 身の周りの植物






夕方になってから、散歩としては長すぎるけれど、直線距離でも3km以上はあるホームセンターを目指した。
途中、◯◯山と名付けられている住宅地を通るのだが、どこもかしこもと思うくらいに金木犀の匂いがほわほわと漂っていた。
普通なら枝の先は葉があり、満開の花群が葉の隙間という隙間から覗いている咲き方なのだが、違う咲き方の金木犀があった。
庭師の腕か家主の心意気か、花が全面に出て房状に咲き誇っていた。
昔は茶畑が大半だっただろう丘陵地が、今はほとんど宅地造成されて住宅地になっているのだが、茶畑も残っている場所がある。
茶畑だけにスマホを向けると、夕方でも自動露出で現実以上に明るく撮れた。
同じ場所で空の夕焼けを撮ろうとすれば、これまたいかにもの夕暮れ夕焼けとして撮れる。
ところが茶畑と夕焼けを一緒に撮ろうとすると、空だけ明るい黄昏になって茶畑は真っ黒になるのであきらめた。
朝から病院に行き、採血室と2科で診察、会計計算カウンターと自動支払機ブース、病院前の薬局へと歩き回り、それだけで3000歩近く。
一山越えてのホームセンター往復が13000歩余りで、合計16000歩越えは少し過剰かもしれない。
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宇治にて昆虫を観察と撮影

2021年11月04日 06時34分56秒 | 




もったいぶったタイトルにしたけれど、わが狭い庭の花にも何かが来ているようなので、そっと近づいて撮ってみた。
1枚目は大型のアシナガバチかと思ったけれど、腰がくびれていないし毛がぽわぽわと見えたから違うと確信しつつ近づいた。
アブのようでもありジガバチの仲間でもありそうで、調べてみたらオオムカシハナバチらしい。
大層な名前で、漢字で書けば大昔花蜂になるのだろうけれど、大昔の花蜂ではなくて、大きい昔花蜂なのだろう。
地中に巣を作るそうだから翅が体に沿って畳まれる体型で、飛ぶ姿もジガバチの仲間に似ているように思った。
偶然うまく撮れたので思うことだけれど、初めて見る変ったヤツだし、次はどこで観られるかわからない希少種だ、たぶん。
2枚目の上の方は、ハナアブの仲間に違いないので、そのように検索して、候補はナミルリイロハラナガハナアブ。
漢字で書けば並瑠璃色腹長花虻のはずで、これでも腹長とあるから、虻はずんぐりが基本体型ということか。
手前には小さい、やはりハナアブの仲間と思われるヤツが居るけれど、こういうのは捕まえてじっくり虫眼鏡や顕微鏡で調べるしか手はなさそうでお手上げだ。
夜に散歩したら、まだエンマコオロギと思われる鳴き声がひと声だけ聞こえた。
宇治にも虫は健在のようでほっとする。
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宇治にて石蕗(ツワブキ)と小菊と茶の花

2021年11月03日 07時30分00秒 | 身の周りの植物






宇治のうちの狭い庭に今咲いているのは石蕗と小菊と茶の花。
いずれも買ったものではなく、いただいたり、山に自生していたもの。
太陽も落ちてわずかに夕焼けが残っているたそがれのなかで撮った。
薄暮の光のもとでは赤っぽく写ることを認識した。
もっとも黄色い小菊はつぼみのときには赤らんでいて、赤みの花が咲くかと思えば、どれも黄色くなる。
茶の花はほとんどが俯いて咲くので撮り甲斐がないけれど、まんまるな莟と花の枝をトイレに飾ると渋い。
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名残の酔芙蓉

2021年11月02日 11時44分11秒 | 散歩は夢中




長距離ドライブをして宇治の自宅に着いたのが昨日の未明3時過ぎ。
ブラック缶コーヒー2本と緑茶とブラック・ブラック・ガムで眠気を抑えたせいで、疲れたのにうつらうつらとしか眠れない時間をダラダラと過ごした。
夕方になって、このまま一日が終わってしまうのでは身体に毒と思い、3km余り6000歩弱の散歩をした。
車道脇にガードレールがあり、一段下がった歩道との隙間に勝手に生えた酔芙蓉が大きく育っていた。
もしかしたら、酔芙蓉ではなく、赤い芙蓉かもしれないが酔芙蓉と思いたい。
葉がほとんどなくなっていて、割れたスカスカの実(?)から種がこぼれていそうなのに、まだ名残惜しげに花が咲いている。
いつまでも宴会場から去らない、異常に酒が強いか遅れてやってきた呑兵衛か、そんなくどい輩の姿なんぞを思い浮かべないこともない。
よく見れば、残った葉の筋に沿って毛虫が一匹、擬態のつもりのようだ。
毛虫にしては毛がまばらで、見たことがないタイプだけれど、見てくれが悪い。
酔芙蓉はわざわざ植えたり育てたりしなくても生えてしまう雑木のようだが、種を採って持ち帰った。
昨年は、他所の畑の隅にあって、道路にせりだしていた分の種を無断で採ったが、そのまま忘れてしまい蒔いていない。
こんどこそ田舎の何箇所かに蒔いてみるつもりだけれど、新潟では見た記憶がないので、雪国では育たないのかも知れない。
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ピーマンの葉叢にいる蛙

2021年11月01日 12時20分40秒 | 身の回りの生き物のこと








今年のピーマンはもう終わりで、花もあれば小さい実もあるけれど、もう食べられる大きさには育たない。
最後の収穫をしようと、取り残しがないよう探っていたら、シュレーゲルアオガエルがいた。
こいつは周りの葉をどかしても逃げることもせず、おだやかで撮っているうちに手に乗ってきた。
速筋がないのかと思うほどにスローモーだが、力を溜めておいてぴょんと跳ぶ。
手乗りから石の上に降ろしてやったのだが、カラスやモズに狙われぬようにと自覚しているのか、出来得る限りの速さで草薮の中に入っていった。
ピーマンの繁った葉の中は安全な餌場だったはずで、戻してやれば良かったのにと今ごろ思う。
シュレーゲルアオガエルをもてあそんでから、もう少しピーマンが隠れていないかと探していて見つけたのが最後の画像の蛙。
えらく太ったアマガエルで、このようなアングルから撮れることはめずらしい。
これを見ても、ピーマンの葉叢は、安全で効率の良い餌場なのだろうと思われる。
食べられるサイズは総て採ってきたが、1週間ほどの留守中、その後食べられるサイズに育つのがあるかどうか、それまで蛙たちの楽園であれ。
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