透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

朝カフェ読書

2019-07-21 | A 読書日記



 今朝(20日)、スタバで朝カフェ読書をする。今朝の定員さんもオーダー不要、ホットのショートをマグカップでサービスしてくれる。2階のいつもの席で『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子/新潮文庫を読む。神奈川県の栄光学園の中高生の歴史好き17人に対して行われた5日間の集中講義の記録だ。

高校生の時に受けた日本史の授業の補習(?)のつもりで読み始めるも、レベルの高い講義で、加藤先生の質問にズバリ答えることができない・・・。

**(前略)戦前の日本の憲法原理ってなんでしょう。戦前期の日本社会を成り立たせていた基本的な秩序とはどういうものか。事後的に見れば、アメリカが戦争の勝利によって、それを変えたということになります。最も簡単にいえば、二文字から三文字で表現できてしまう言葉ですが、なんだかわかりますか。**(52,3頁)

この問いには二文字から三文字をヒントに当てずっぽうで「国体」と答えた。正解だった。 **戦前期の憲法原理を一言でいえば「国体」でした。「天皇制」といいかえてかまいません。(54頁)

**ところで、リチャード三世ってとても有名ですが、なにで知られている人物でしょうか。** (73頁)  ??

答えはシェイクスピア。栄光学園の生徒はすぐ答えている。**すぐ出てくるところが、栄光学園の生徒、恐るべしであります。**と加藤先生。


とにかく最後まで読むことにする。


 目次を見るとページ数を横向きに表示している。なぜ通常通りの表示にしなかったのだろう・・・。


デザインのルール

2019-07-19 | A あれこれ

  

 今回はレバーハンドルを例に、デザインの「ルール」について。

住宅の玄関は引き違い戸ではなく、開き戸が多くなった。理由として洋風のデザインの増加や開き戸の方が施錠しやすいということなどが挙げられるだろう。

さて、この開き戸、かつては握り玉をつけることが多かったが、最近ではレバーハンドルが圧倒的に多くなった。メーカーのカタログには材質や形状が異なるたくさんの製品が載っている。上のレバーハンドルの写真はあるメーカーのカタログに載っている製品。

別に確認するまでもないことだが、レバーハンドルは上の写真の例だと右手でレバーを下げる(時計回りに回転させる)という操作をするということは経験上分かるが、ふたつを比較した場合、どちらがその操作をイメージしやすいだろう・・・。

回転させるという操作が視覚的に伝わってくるのは右だ。左はレバーハンドル初めてっていう人なら手前に引いてしまうかもしれない。

操作方法が見ただけで分かることが人が操作するもの(家電製品でも道具でも建築部品でもなんでも)のデザインの基本的なルール。

視覚的に操作方法が分かること、というルールはまだ世の中の常識ではないようだ。この条件を満たす製品がまだまだ少ない(どのメーカーでも事情は同じ)。あるいはデザイン過多によって減ってしまったのか。

操作方法が分からなくて戸惑ったという経験がないだろうか。 

小さな子ども、ハンディを持った人、そして私のように老人力がついてきた人にも操作方法が分かりやすいことがデザインのルール(いわゆるユニバーサルデザイン)だといわれて久しいが、このルールに基づくデザインが常識になるのはまだまだ先のことのようだ。


2007年1月6日に投稿した記事に加筆、再掲した。


リットルの表記

2019-07-17 | A あれこれ

 2011年以降、小中学校では L 、mL 、dL のような表記( L を大文字)で教えているそうだ。 牛乳200mではなく、200mL。200mという従来の表記でも間違いではないようだが、推奨されていないという。このことはしばらく前まで全く知らなかった。

  
 大日本図書のホームページより転載した。

このことについて、市販の飲み物の容器にはどのように表記してあるか調べてみた。勤務先の休憩室の冷蔵庫に各人が飲み物を入れている。そっと、庫外に出して表記を確認した。

   

全ての飲み物が上の写真のような表記のいずれかで、mLという表記のものはなかった。右は私がコンビニで買った牛乳の紙パックの表記。



手元にある技術資料には上の写真のようにLが使われている。いずれ飲み物の内容量の表記もmLとなるだろう。

参考HP


 




― 火の見櫓のある風景

2019-07-17 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)火の見櫓のある風景 塩尻市下西条 3脚66型 撮影日190715 

 15日に見た火の見櫓9基の内、5基は既に見たものだった。火の見櫓は季節や天候、時間帯によっても印象が変わるし、見落としていることに気がつくこともあるから、何回見てもこれで終わり、ということにはならない。


走行距離:約70km

 


1204 塩尻市上西条の火の見櫓

2019-07-16 | A 火の見櫓っておもしろい


1204(再 始めてではないが番号を付けてなかった)塩尻市上西条 3脚66型 撮影日190715



 昨日(15日)、行きは県道14号を岡谷市から南下、帰りは辰野町から国道153号を北上した。善知鳥(うとう)峠を下ったところで脇道に入り、西条地区の火の見櫓を再訪した。集落内の生活道路沿いに立つ火の見櫓。見張り台の高さ約10.5メートル、総高約13.5(=10.5+3)メートルと推測する。





 

この火の見櫓は3つのユニットに分けて製作されたようで、櫓に接合部が上下2ヶ所ある。左は櫓の下側の接合部、上下の柱材を重ね、ボルトで接合している。右は上側の接合部、添え板を使って接合している。



外付け梯子を架けてある面にだけ、脚部に円弧状の部材を付けてある。正面であることを示すことを意図したサインのようなものか。



外付け梯子の上端部 等辺山形鋼を曲げてボルトで踊り場の床の部材と接合している。


 


― 短い脚

2019-07-16 | A 火の見櫓っておもしろい

岡谷市川岸中の火の見櫓


(再)岡谷市川岸中 4脚44型 撮影日190715

 2012年7月以来7年ぶりの再訪。脚が短いことにすぐ気がつく。背の高い火の見櫓だ。見張り台の高さは約12メートル、3メートル加えて総高は約15メートル。脚間は2.5メートル。12年に見た時はこのようなことには一切触れていなかった(過去ログ)。



見張り台直下にある簡易な踊り場、消火ホースを掛けるフックが並んでいることから、ホースを掛けるための作業床であることが分かる。



つるりんちょな半鐘には半鐘シールが貼ってある。


踊り場に吊り下げてある半鐘は乳や帯付き


ごつくて短い脚



部材の接合部。リベット接合とボルト接合併用、丸鋼のブレースはひっかけ接合(勝手につけた名前)。ボルトとリベットはどのように使い分けていたのだろう・・・。櫓を複数のユニットに分けて鉄工所で組み立てて現地に運搬し、現地で一体化して建て起こしただろうから、鉄工所でリベットもボルトも使っていたことになるが。


 * 一部改稿した(ボルトとリベット併用について記述を修正した)。


― 「倉庫またぎ」

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい

辰野町平出の火の見櫓


(再) 辰野町平出 4脚44(倉庫またぎ)型 撮影日190715

倉庫をまたいで立つ火の見櫓。見張り台の高さは約9メートル、総高は約12.5メートル。脚のスパンは3メートル。火の用心の看板がついている。





この開口と手すりから、梯子は建設当初正面に設置されていたことが分かる。



倉庫の正面側にはブレースが設置できない。替わりに方杖を入れて補強している。


倉庫またぎの様子

付け替えられた梯子、ブレースが邪魔で何とも不自然だ。



 


1202 かわいい!

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい

岡谷市川岸東の火の見櫓



1202 岡谷市川岸東 撮影日190715

 この火の見櫓には「かわいい」という形容が相応しい。かわいいと思わせるのは櫓にちょこんとくっ付いている見張り台(と言っていいのか判断に迷うが)。こんなかわいい火の見櫓、初めて見た。高さはおよそ6メートル、見張り台の高さはおよそ3.3メートル。



下から見上げて見る。ホームベース型の床を方杖が支えている。

こんなのがあるから、火の見櫓巡りはやめられない。火の見櫓の世界に出口なし。



 


1201 岡谷市川岸西の火の見櫓

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1201 岡谷市川岸西 4脚4(1面持出し)4型 撮影日190715

 岡谷市から辰野町に至る長野県道14号沿いの岡谷市川岸の集落にも火の見櫓が何基か立っている。この辺りの集落は天竜川(天龍川は旧表記)沿いの斜面に形成されているから、火の見櫓の見張り台からは地区全体が俯瞰できるだろう。ということは、逆にこの火の見櫓は遠くからでも良く見えるということだ。



勘を頼りに狭い道を登って行き、一度引き返すなどしてこの火の見櫓に行きついた。まず、見張り台の形に目が行った。櫓の周りに持ち出すのではなく、1面だけ持ち出している。鋼板製の床面の先を突いている方杖が目立っている。これがこの火の見櫓の特徴と言ってよいだろう。

見張り台床面の高さは約11メートル、総高約14メートル、脚のスパンは1.8メートル。


踊り場の床も鋼板製



上の写真でもガセットプレートと脚の下端に孔が確認できるが、脚部の正面だけ、ブレースを外して(取り付けないで)開口するという大胆な処理。この梯子にも板を当てて登れないようにしてある。



接合部にリベットは使われておらず、すべてボルト。プレートの右下の孔はブレース用。



 


1200 岡谷市川岸東の火の見櫓

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1200 岡谷市川岸東 4脚44型 撮影日190715



 岡谷市川岸東地区の集落内に立つ火の見櫓。狭い生活道路を進んで行きついた。背が高く、見張台床面の高さ約13メートル、総高16.5メートルほど。脚スパン2.7メートル。

火の用心の看板を取り付けてある。岡谷市内の火の見櫓の梯子には板を取り付けて登ることができないようにしてあることが多いようだ。


よく目立つ大きな蕨手


踊り場にも半鐘を吊り下げてある。



接合部はリベットとボルトを併用している。どのように使い分けているのだろう・・・。ガセットプレートと柱材とはリベット接合、ガセットプレートと横架材(水平部材)及びブレースとはボルト接合、ということだろうか。なぜ?



設置してある銘板により昭和43年(1968年)の建設であることが分かった。脚は正面のみで、他の3面はブレースを付けてあり、櫓部分と同じ扱いをしている。


 


1199 岡谷市山下町の火の見櫓

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1199 岡谷市山下町 間下区民センター 3脚(3柱)〇3(櫓内)型 撮影日190715

 下諏訪町から岡谷市を経て辰野町に至る長野県道14号沿いの地域は自宅からそれ程遠くはない。だが出かける機会はほとんどなかった。3連休の最終日(15日)に出かけてきた。

カーナビ嬢のガイドに素直に従って、塩尻峠を越えて岡谷市入り。長野県道254号を走行していて、右側の脇道にこの火の見櫓が立っているのが見えた。そのまま通過してから引き返す。間下区センター(上の写真に写っている建物)の駐車場に車を停めて、観察した。







簡素なつくりの火の見櫓だ。屋根直下に床面があるが、低過ぎて立つことはできない(高さは1メートルくらいだろう)。どのように使うのだろう。この床に梯子の方を向いて腰かけて半鐘を叩くのだろうか。向きを変えて腰かけるのも結構大変なような気がする。



脚無し


 


「日本の思想」丸山真男

2019-07-15 | A 読書日記

図書カードで本を買う

図書カード6

 丸山真男の『日本の思想』岩波新書に収録されている「である」ことと「する」ことをまた読みたいと思った。この論考は2012年11月にも読んでいる(過去ログ)。なぜ、読みたくなるのだろう・・・。

自室の書棚にこの本を探したが、見つけることができなかった。昨日(14日)イオンモール松本で映画を観た後、未来屋書店で買い求めた。

奥付けを見ると1961年の発行で、2018年になんと第105刷発行となっている。名著は読み継がれていく。本離れが指摘されて久しいが、私は本の無い生活なんて考えられない。『華氏451度』に描かれた社会はディストピアだ。

**現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追求していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。** カバー折り返しの本書の内容紹介文。

やはり図書カードで買い求めた『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子/新潮文庫、どちらを先に読もう・・・。ここは購入順にするか。


 

 


「新聞記者」を観た

2019-07-14 | E 週末には映画を観よう

 イオンモール松本に初めて行き、イオンシネマ松本で公開中の映画「新聞記者」を観た(過去ログ)。

「医療系大学新設計画」に関する極秘情報を巡る動きとなれば、なんとなくあの事を想起させる。内閣情報調査室による真実を隠す情報操作・・・。

国家権力の闇に迫ろうとする東都新聞の女性記者・吉岡(シム・ウンギョン)の使命感。外務省から内閣情報調査室に出向中のエリート官僚・杉原(松坂桃季)、彼には奧さんと生まれたばかりの女の子がいる。この現実と正義感との葛藤。

国家権力に迫ろうとする吉岡とその権力に身を置く杉原、ふたりの出会いから展開していくサスペンス。日本でこのような内容の映画がつくられ、公開されたことに驚く(過去ログ)。

偶々、シネマで一緒になったバロ友(*)の内科医・M先生が映画終了後に私に問うた。「ラストで杉原が吉岡に向かって発した言葉は・・・」このシーンは無音なので読唇するしかなかった。私は「ごめん」と答えた。杉原の唇の動きから読み取れたのはこの言葉だった。杉原は調査室の上司・多田の甘言で「現実」を選択したのだ・・・。


*バロ友 松本市梓川にあったカフェ バロの常連客で、知り合いになった人たち。12日(金)の夜にバロ友のFさん、いわこすさん、ひーさま、安曇野のヤグラー・Tさんとで飲み会、いや食事会をした。