和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

切手。

2015-01-21 | 手紙
手紙を出すには、まず切手。
ということで(笑)、記念切手を購入。

「ピーターラビットの暮らし」82円切手
10枚シール。これは今月9日に出たもの。
シール式で貼るのが簡単。
絵模様も子供から大人まで楽しめる。

もう一種類は、昨年9月2日に発売した
記念切手「季節のおもいでシリーズ」
「第3集 秋」。
たまたま、郵便局に残っていたもので、
原画は黒井健。
東山魁夷みたいな、湖や路のある風景。

さてっと、
今年は手紙を書く。
のです。
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今年は手紙。

2015-01-17 | 手紙
よし、今年は手紙を書く。
と、自分に言い聞かせる。
それでないと、
書かないタイプです(笑)。
うん。何度でも言おう。
今年は手紙を書く。


今年は、新聞を2紙購読。
2紙は、産経新聞と読売新聞。

今日の読売一面は
「阪神大震災きょう20年」と縦見出し。
発生 1995年1月17日午前5時46分
震源地 淡路島北部
マグニチュード 7.3
死者数 6534人
負傷者数 4万3792人
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賀状。

2014-12-30 | 手紙
年賀状で昨日思い浮かんだのは、
そういえば、池波正太郎に
それについての短文があったなあ、
ということでした。
とりあえず、朝日文庫の
「新年の二つの別れ」
(池波正太郎エッセイシリーズ3)
をめくってみる。
そこに、「賀状」と題する
4頁ほどの文。
思い浮かんだのも何かの縁。
短いので読んでみる。

「正月が来ると、私はもう翌年の
年賀状を考え、これを注文してしまう。」
とはじまっておりました。

「さて・・・・・。
賀状などというものはムダなもの
だという意見もあって、それはそれでよい。
だが私などは年ごとに賀状には凝るほうである。
デザインを考えたり紙質をえらんだりする
ことがたのしく、また、そうした細かい
俗なことに気をつかうのが、とりも直さず、
私の書く時代小説の基盤になっているのだから、
私は俗に生き、世俗にひたりこんで生きている。」

「年に一度のあいさつのやりとりで、
年に一度も会わぬ知人が多いのだから、
いちいち自分で書き、その相手の名をみて
旧交をなつかしくおもいうかべるのは、
うれしいことである。
そうしたゆとりをもちながら賀状の宛名を
書きたいので、正月早々、来年のを注文しても
私には決しておそくはないのだ。
注文して出来上がってくるのが三月
はじめごろで、それから月に何枚か、
ゆっくりと書きたい。
今年はダメであったが、出来るなら
毛筆でやりたい。というのは、
習字をやりたいのだが、なかなかに
暇がなく、習字がわりといっては
何だけれども、筆と硯と用箋は
いつも机上におき、手紙をもらったら、
すぐにその場で、毛筆で返事を書いてしまう。
そうして、少しずつでも生来の悪筆を
なおしてゆきたいし、ふしぎなもので、
またいくらかはマシになってゆくものである。」

こうして、読んでいると
ゆったりした気分になってきて、
年末の後片付けは進まず(笑)。

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武将の手紙。

2014-12-29 | 手紙
気になるので、角川選書の
二木謙一著「戦国武将の手紙を読む」を
古本で注文。

熊谷書店(仙台市青葉区一番町)
500円+送料80円=580円
本文はきれい。

「まえがき」のはじまりを引用。

「歴史研究の材料として、最も史料的な
価値が高いものは古文書(こもんじょ)である。
古文書とは文字をもって自己の意思を特定の
他の人に示したもので、平たくいえば発行者と
受け取り人がある古文献をいう。・・・・・
このように記すと、いかにもむずかしく感じられ
るであろう。けれども、一般に手紙・書簡と
呼ばれているものも古文書であり、・・・
さまざまな名称の古文書も、総じていえば
手紙の1種なのである。」

もう少し引用を続けます。

「手紙を書くことは、現代では普通のこと
であるが、古代や中世の日本では非日常な
ことであった。それは文字を知り、また高価で
希少な紙を使用することができたのは、
ごく一部の階層に限られていたからである。
手紙による伝達が広く一般にまで普及したのは、
室町時代頃からであった。それ以前の奈良時代の
文書のほとんどは公的なものであり、平安・鎌倉
時代には、貴族や上流武士などの一部においては
私的な手紙を書くこともなされたが、全体的には
やはり公的文書が多かった。それが鎌倉末期に
なると、地方の豪族や百姓たちの間にも、
わずかな漢字を交えて平がなや片カナによる
文書を書くことがみられるようになり、さらに
室町時代には、日常の私的な意思の伝達を文書で
行うことが上下の社会にゆきわたり、
往来物(おうらいもの)と呼ばれる手紙の文案集
のようなものまでがさかんに読まれた。かくして
手紙は、時代の下降とともに、日本人の生活の
中に浸透していったのである。
古文書は、いずれも各時代の人や社会をうかがう
貴重な史料であるが、私が最も興味をひくのは、
やはり戦国武将の手紙である。・・・」

この本は実物の手紙の写真は、
おもいっきり省かれて(少しはあります)
人物絵の写真とともに、活字にした手紙を
解読・解説しているようです。

私事。とうとう今年は、
年賀葉書に一行のコメントも書かずに、
ほとんどを、出してしまいました(笑)。

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句読点濁点なし。

2014-12-20 | 手紙
外山滋比古著「国語は好きですか」
(大修館書店・2014年)に

「毛筆で書かれる手紙に句読点を
つけるのは不作法である。失礼になる。」
(p95)

とあります。
さてっと、同じ大修館書店から
「漢字文化を考える」(1991年)が
出ておりました。第一部のはじまりは
「漢字とかな」と題する山本七平氏の
講演でした。そこを引用。

「幕末でも仮名ばかりの手紙というのは
今でも残っております。特に女性に宛てた
手紙は仮名にするのが当たり前だったらしくて、
これがよく女手と言われる理由ですが、決して
女性だけが仮名を使って男性が漢文を使っていた
わけではないのです。その証拠に、信長も秀吉も
全部仮名だけです。・・・
幕末、明治になるすれすれの手紙ですと、パリに
いる渋沢栄一が千代夫人に送った手紙が今残って
おりますけれども、こういうのも全部仮名であり
ます。信長と同じように句読点濁点なしですから、
今になると相当読みづらい。
しかし、普通の手紙ですとだんだん漢字交りに
なってまいります。」(p32~33)

そして、こんな箇所も

「『候』がある場合はそこが句読点みたいな形です」
(p30)
うん。この講演がプクプクと思い浮かびました(笑)。
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同楽の手紙。

2014-10-16 | 手紙
仰臥漫録のなかの
明治34年10月20日に
こんな箇所。

「同楽の手紙に曰く
過般(かはん)『日本』紙上【墨汁一滴】やみ
また俳句も不出相成(いでずあいなり)候節は
まことに落胆致候
しかしまた『週報』に御選句之出(いで)候ゆえ
いささか力を得候えども小生は
もし御訃音(ごふいん)之広告出候かと
『日本』来るごとに該欄(がいらん)を
真先に披見致居(ひけんいたしおり)候・・・

真率にしていささかも隠さざるところは
はなはだ愛すべし
晩餐虚子とともにす 鰻の蒲焼、ふじ豆、
柚みそ、飯一わん、粥二わん、柿二つ、
無花果(いちじく)二つ
夕刻前便通及びホータイ取替、夜便通  」


以下は、長谷川櫂氏の解説から

子規は明治35年9月19日、
35歳で結核のためになくなる。・・
二十代の終わりにはカリエスと診断される。
これは菌が骨にまで感染して患部を溶かし、
化膿させる結核の末期的な症状である。
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柿と礼状。

2014-09-25 | 手紙
未読の
柴田宵曲著「評伝正岡子規」(岩波文庫)を
とりだして、パラパラ。

その明治30年の箇所に、

送秋山真之米国行(あきやまさねゆきべいこくゆきをおくる)
君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く

これがp189で、数ページあとのp193には
こんな箇所がありました。

「10月10日、京都から帰って来た桂湖村(かつらこそん)氏が愚庵の庭になった『つりがね』という柿と松茸とを居士(子規)の病牀にもたらした。その日の日記には『愚庵の柿つりがねといへるをもらひて』と前書して柿の句が記されているが、居士はこの柿について愚庵和尚に何もいってやらなかった。毎日小説執筆中であったため、取紛れて手紙を書く暇がなかったのかも知れぬ。居士が愚庵和尚へ礼状をしたためたのは10月28日の夜で、その翌朝湖村氏の来訪を受けた。湖村氏のもとに愚庵和尚の寄せ来った端書には歌が六首記されており、その最後の一首に『正岡はまさきくてあるか柿の実のあまきともいはずしぶきともいはず』とあったのは、和尚が湖村氏に柿を託して以来、杳然(ようぜん)として消息なきを訝ったのである。居士はこの歌を読んで、直に追かけて次の手紙を和尚に贈った。・・・・」

うん。このあとに子規の手紙と短歌とが続いており楽しめます(笑)。
また、柿が出回るころに、
この柿と礼状の箇所を読み返せれば。
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候文の手紙の便利。

2014-09-21 | 手紙
いつもは、一読して顧みずに、
次の本へ、となるのですが、
三浦勝也著「近代日本語と文語文」は
指南書を読む要領で、再読する楽しみ
がありました。

最初の方にこうあります。

「以前二十歳前後の学生たちを相手に
『国語表現』という講義を担当していたとき、
面白い経験をしたことがあります。
一年間の講義もそろそろ終わりに近づいたころ、
二回分ほどの時間を使って手紙の書き方の
説明と実践を試みました。講義の付録の
つもりです。すると説明を始めるや一年の
大半を退屈を我慢して聴いていた(ふりをしていた)
学生たちが、真剣な顔でノートをとり始めたのです。
話の内容といえば、拝啓で始まり敬具で終わること、
自分のことは後回しにしてまず相手のご機嫌を
うかがうこと、文中、相手の名前はなるべく
行の下に置かないように、自分の名前は上に
ならないようにしたほうがいいだろうといった
程度の、言わば手紙のイロハ、講義の名にも
値しないような事柄です。しかし、学生たちの
この反応は、ほぼ毎年、例外なく同じでした。
その時、かれらが小・中・高を通じて、
手紙の書き方、その言葉遣いなどを教えられて
こなかったこと、若い世代といえども改まった
場できちんとものを言う(書く)ことができる
ようにしておきたいと欲していることを知り
ました。」(p29)

うん。うん。
もうすこし引用を続けます。

「現代の日本人は文語文を書かなくなりましたが、
文章の骨格や表現のしかたから見ると、『拝啓、
向寒の候皆さまにはますますご健勝の御事と
存じます。』というおなじみの儀礼的な手紙文は、
あきらかに昔の候文の流れを引いています。
いわば口語文の中の文語的文章といっていいか
もしれません。つまり現代の日本人といえども
文語風の表現というものは必要であり、欲して
もいるのです。
真心溢れる手紙というものはもちろんもらって
嬉しいにちがいないにしても、私たちのやり取り
する手紙の大半は儀礼的なものです。しかし、
ものを贈って、常套句のみの手紙であっても
自筆で返事をもらったときは、その人に対する
信頼は増すものであることを私たちは知っています。
手紙というものを現代人が書かなくなった理由には、
・ ・・・決まり文句で手紙を書くことができなく
なったことも理由の一つだと思います。たしかに、
中元や歳暮の礼状を書くたびに沈思黙考していては
身がもちません。
候文というのは、覚えてしまうとなかなか便利なもの
だったよと、新米の教員だったころ明治生まれの
古参の先輩から聞いたことがあります。
文語体には文語体の効用もあったのです。」(p30~31)
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暑中見舞。

2014-07-14 | 手紙
とりあえず。
6人の方へ、「暑中見舞」の葉書を昨日出す。
うん。家で暑中にいるよりも、
葉書発信をすることに(笑)。
明日も、暑中葉書をだそう。
と思う。
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タテ・ヨコ。

2014-06-24 | 手紙
外山滋比古著「国語は好きですか」(大修館書店)
が新刊で出ている。
うん。愉しみができた(笑)。ゆっくり読もう。

とりあえず。一箇所引用しておきます。
「タテとヨコ」と題した文の最後。

「・・・・ヨコ書きの日本語の害は、
眼を悪くするくらいではおさまらない。
心の目を見えにくくしてしまうおそれがある。
日本人のメンタリティにかかわる問題である。
放置しておくのは思考の怠慢である。

日本人はもっと国語を大切にしないといけない。
外国語は実用性をもつが、心を育むことは難しい。

つい先日、こんなことがあった。
未知の女性から手紙がきた。書家なのであろう。
展示会を開くので、その作品を作っているという。
ある作品説明のために、私がかつて新聞に書いた
エッセイを使わせてほしいというのである。
その新聞の切り抜きも添えてあった。
そんな使い方をされては迷惑だから『困ります』と
ことわりの手紙を書いた。その終わりに、書家と言って
おられる方が、横書きの手紙を書かれるのは感心しません、
日本語はタテに書くように出来ています。このごろ
若い人を中心にヨコ書きが普通のようになっているが、
書に親しむ人がヨコ書きとはいただけないと遠慮なく
書き添えた。相手は中年の人らしく、恐縮したような
手紙をよこした。書家だったら、
日本語、日本の文字を大事にしてほしい。」(p56~57)

先日、
ある方と話していて、
その人の娘さんが、大学を卒業してから、
学校の書の先生になりたいと、もう一度、
書の勉強をしなおしたというのでした。
めでたく高校の先生になられたのだそうですが、
書の先生じゃなくて、けっきょくは、
国語の先生になったようです。

うん。その若い国語の先生が
これから、タテ・ヨコを
どのようにクリアしてゆくのか。
などと思ったりするのでした。

ちなみに、わたしの場合
ヨコ書きのワープロ文字を
封筒で送る際には、
宛名書きと挨拶の手紙がどちらも
手書きのタテ字が多い気がします。
ただ、行儀が悪いので、
縦書きだと、どうしても
文字を汚しやすいんだなあこれが。
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宛名書き。

2013-12-24 | 手紙
今日は、年賀はがきの宛名書き。
裏は、今年印象に残った本を並べた写真。
この頃、毎年の定番となりました。

うん。元旦の新聞の出版社の広告みたいになります。

さって、今日で終わると思った宛名書き、
明日に持越し。

どんどん、宛名の字が踊りだします(笑)。
まあ、いつものことといえば、そうです。



毎日新聞の「この3冊」で
山正和氏が選んだのは、3冊とも鷲田清一氏の本。
その選評は
「阪大総長の激務のなかでも筆を休めなかった筆者だが、
退職後、今年は奔流のように3冊の本を出した。
偉業を祝って、異例だがこれを今年の『この3冊』に推したい。
・・・・」

鷲田氏の本は、読む気にならなかったのですが、
この際、読んでみますか。
ということで、3冊中の2番目と3番目
「おとなの背中」(角川学芸出版)
「パラレルな知性」(晶文社)
の2冊を注文。
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およしなさい。

2013-01-17 | 手紙
テレビで「ビブリア古書堂の事件手帖」の第一回目を見ました。
本は読まないです(笑)。
さてっと、印象に残ったのは、
古書店をたずねる大輔くんが、
本をひらくとめまいがするということでした。
うん。わかるなあ。
おそらく、学生時代をすごしたのでしょうから、
教科書は大丈夫なのでしょう。
すると、本は小説のことなのかなあ。

私は、高校の時に、
漱石の三部作を教科書のように読んでおりました。
それで、内容はすっかり忘れてしまったのですが、
代助という名前は、思い浮かびました。
うん。漱石を高校の時に
読んだのが、私の小説嫌いと関係があるのかもしれない(笑)。

いまは、坊っちゃんも吾輩は猫であるも
とてもたのしい。

漱石が小学生に手紙を書いた文が思い浮かびます。

「 あの『心』といふ小説のなかにある先生という人はもう死んでしまひました、名前はありますがあなたが覚えても役に立たない人です。あなたは小学の六年でよくあんなものをよみますね、あれは小供がよんでためになるものぢやありませんからおよしなさい、あなたは私の住所をだれに聞きましたか、 
    四月二十四日         夏目金之助 」
 
これは大正三年の手紙。ファンレターへの返事なのでした。
テレビの中では、大輔くんが小学校の低学年のころにお祖母さんの本棚から漱石全集の一冊をぬきとって、それをお祖母さんにみつかり、はげしく叱られる場面があるのでした。それが原因で、本をひらくとめまいがして本を読めなくなる原因となっているようなのでした。
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残暑お見舞い。

2012-08-11 | 手紙
お借りした詩集の感想を
書いて手紙を出す。
読了後すぐに書けばよいものを、
オリンピックを見たりしていて、
ついつい後回しにしておりました。
ということで、今日手紙を出す。

ああ、今日は土曜日だった。
日曜日は郵便局は配達しないのだ。
それとも、お盆休みは、
まるっきり配達しないのだろうか?
と手紙を投函してから、
セミの声を聞きながら、
ますます汗が出たりします。

え~。
残暑お見舞申し上げます。
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いい手紙をもらった。

2012-06-13 | 手紙
藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)の気になった箇所。

「特定の人を想定することが大事なのは、小説やエッセイも同じです。おおまかな読者層をイメージしている書き手は多いかもしれませんが、『層』に顔はありません。具体的な顔を思い浮かべて、この人はこれでおもしろがってくれるだろうか、涙してくれるだろうかと考えながら書くほうが、文章にも緊張感が出ます。
プロの書き手は、その点で恵まれているのかもしれません。読者の前にまずは編集者というプロの読み手がいるので、原稿用紙に向かえば否応なしにその顔が思い浮かびます。まず編集者を納得させることができるかどうかが第一関門になるわけです。・・・」(p30)

編集者といえば、
曽野綾子著「人間の基本」(新潮新書)の第一章は、こうはじまっていました。

「私が作家として駆け出しの頃、よく家に来ていた年配の編集者がいました。」

この新書には、もう一箇所、編集者に近い方の登場している箇所があります。

「産経新聞の私の担当者だった記者が少し前に亡くなりましたが、息子さんの話によると、お父さんは若い頃しょっちゅう同僚の新聞記者を連れてきて、お酒を飲みながら遅くまで色々な話をしていたそうです。狭い部屋での雑魚寝はいつものこと・・・大の読書家の父親がさまざまな話をしているのを横で聴いている時間はとりわけ楽しかったといいます。」(p144)


ここに、登場する担当記者が、気になっておりました。
そして、曽野綾子著「自分の財産」(産経新聞社)をひらいていたら、その担当記者のことが詳しく語られておりました。

ということで、せっかく読めたので、少し長く引用させてもらいます。


「産経新聞社の読者に、たまには新聞社の内幕を聞かせたい。記者たちはいつも自分が書くばかりで、書かれる立場にないのはおかしいのだから。・・・・
彼らはまず第一に知的であった。よく勉強していたが、自分の知性の表現に対して穏やかでユーモラスで謙虚だった。ということは、自分の考えと違う人を高圧的に裁く闘争的な姿勢など、全く示さなかった。自分が人道的であることを売り物にするような幼稚な点も全くなかった。
彼らは、独特の表現と生き方で、私たち書き手を魅了した。連載中に、彼らの一人に担当記者として世話になった作家たちは、皆彼らの性格をとことん好きになった。一人の男性作家などは『オレはお前が産経にいる限りこの連載を止めないからな』と言ったという笑い話が残っている。
しかし彼らは、世間的に常識的な生涯を送るという点では、性格的にも運命的にも失格者であったようだ。新聞社で大変出世したという話は聞かない。しかし産経新聞社が独自の路線を保てたのは、彼らのような強烈な個性を持っている記者がいたからだろう。
美点ばかり書くと嘘くさい。そのうちの二人は私の知るところ、深酒深たばこである。最近そのうちの一人が亡くなって、私はもう中年のご子息からいい手紙をもらった。
それによると、亡くなった父上は大の読書家であった。新聞社の社宅だったあまり広くもない2DKの家は、図書館のように本であふれていた。私が奥さんなら、文句を言いそうな光景だ。しかし子供から見た父は、いつでも質問に答えてくれる博識な父だった。・・・・新聞の強靭さは、社員の人間力にあるのだろう。」(p40~42)

曽野綾子著「自分の財産」は、
現在も産経新聞連載の『透明な歳月の光」(2007年5月14日~2011年12月28日収録)から表題に沿ったものを掲載し、追記した本なのだそうです。

以前は、新聞の連載は、読まなくても保存してあるから、本になっても買わないでいようと、みみっちい考えでおりました。気になる連載が一冊の本になるなんて、祝福して、お祝いがてら買うべきだなあ、と反省するこの頃。
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ころっとだまされてしまう。

2012-05-01 | 手紙
昨日対談本を読む。
読んだのは、曽野綾子・クライン孝子「いまを生きる覚悟」(到知出版社)。

この感想をどう整理すればよいだろうなあ。
そう思っていたら、日下公人氏の言葉が思い浮かびました。

「思考力や読解力を磨くためには、関連情報や雑情報、噂や身近な人の体験話が必要で、そうした『下地』が足りない人は、新聞や学者の話を聞いてころっとだまされてしまう。」(p54・日下公人著「思考力の磨き方」php研究所)

とりあえず、「いまを生きる覚悟」から引用してみましょう。

「・・満身創痍の被災後でも、こんなに民主主義国家の運営がよくできる国は世界にたくさんあるものじゃないでしょう。それでも『こんな日本に誰がした』と言う人もいる。この災害という不幸から何かを学ぶか、何も学ばないかは、個人の消化力にかかっているということです。」(p23・曽野)

クライン】 どん底のいいところは、無駄なものが自然淘汰されるという点でしょう?その点では、いまの日本の状況はすっきりすることができる絶好のチャンスで、決して悪いことばかりではないと思います。
曽野】 この際、どん底とはいかなるものかっていう、その一端でも垣間見ておくべきでしょう。その機会を与えられたんですから。
クライン】 実際、曽野さんや私がどん底だったあの敗戦直後のことを思い返すと、いろいろありました。結果的には、そのどん底状態から一刻も早く這い出したくて、無我夢中で生きていた人生だった感じがしますね。(p93)

このお二人が、どのように結びつくのだろう?
という、出会いにも興味があります。

「私の人生において、最もラッキーだと思っているのは、曽野さんとご縁をいただけたことです。最初のきっかけは、私がドイツから手紙を出したんですよね。一種のファンレターです。当然返事なんかもらえると思っていなかったのに、返事が来て、ものすごく感激しました。確か『ある神話の背景』という作品を読んだ直後だったと思います。」(p41・クライン)
手紙といえば、余談になりますが、
曽野綾子著「人間の基本」(新潮新書)に

「日本郵政は就職先として上位の人気企業かもしれませんが、どうして日本郵政へ行きたいのか、社外取締役の一人としては言いにくいのですが、理由が思いあたらないのです。人間が字を書かなくなった時代ですから、郵便事業が年々赤字続きなのは当然です。いつになったら郵便事業を止めるのか、誰も口にしませんが、私は『もう止めた方がいい』と思っています。」(p108)

うん。何とも刺激的なお言葉。
脱線ついでに、この対談で「手紙」が登場する箇所。

曽野】 ・・いま思い返してみると、私の母はすごい教育をしてくれたと思います。まず、私に作文教育をしました。毎週日曜日に作文を一つ書かないと遊ばせてもらえなかったのです。
クライン】 それが今日の作家・曽野綾子の原点なんですね。
曽野】 確かにそうなんですが、母が何のために私に作文教育をしたかというと、まず第一に『いい恋文を書けるように』ですって(笑)。それから『あなたがろくでもない人と結婚して、食い詰めて一家心中を考えるかもしれない。その時、最後にいい金の無心をできる手紙を書けるように』。実はその続きもあって、『食べられなくなって親子心中を考えるほど追いつめられたら、盗みなさい。ただし盗むにも場所がある。必ず見つかるところで盗みなさい。そうするとその店の人が捕まえて警察へ突き出してくれるから、警察でご飯を食べさせてもらえる』と、はっきり私にそう言いましたよ。・・・(p56~57)

曽野】 私はよく『不幸は私有財産だ』って言っているんです。(p62)

曽野】 いま、日本では人を殺すことは人生最大の失敗だということも教えません。犯罪についても、芸能人がテレビで『万引きくらいみんなしているよ』と平然と言うような感覚です。一応の規範意識を子供のころに植えつけて、それを大人になって受け入れるか拒否するかを煩悶していくことが、人生をどう生きるかという問いにつながっていくのではないかと思います。(p117)


クライン】 ・・・いきなり、帝国ホテルの人事部宛てに『採用試験があれば受けさせてください』と懇願の手紙を書いたところ、何と試験の通知が来たのです。あの時は、『えっ』っていう感じでびっくりしましたね。採用試験に受かるとは夢にも思っていませんでした・・・(p67)

曽野】 1980年代でしたが、マダガスカルに支援に行くきっかけになったんですけれども、その時手がけていた新聞の連載小説の取材のために、マダガスカルの修道会が運営していた産院を訪ねたんです。いま以上にひどく貧しい時代で、石鹸もない、紐もない、紙もない、薬包紙すらないんです。私が出した手紙をシスターがとっておいて、十センチ四方くらいに切って、それに薬を包んで渡していたような時代です。(p109~110)

曽野】 私もいろいろ尊敬する人はいますけれど、忘れられない人と言えば、子供の時におっぱいをもらったおばあちゃん。・・・・
ばーばちゃんは小学校をやっと出たくらいで、平仮名交じりの下手くそな字で手紙を書いてくるような人ですからね。でも、本当にすばらしく肝のすわった人だった。(p166~168)


対談本の最後は曽野さんの言葉でおわっておりました。
それを引用しましょ。


「この時代に、この人生はいまの自分しか生きられません。そういう覚悟をもって、老いも若きも、人のせいにせず、自立して生きることが、『人生の大原則』です。これまでも、この先も、ずっとこの原則は変わらないと思っています。」(p229)
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