産経新聞1月13日の一面トップは
「中国 社説すり替え くすぶる火種」となっており
「改革志向の中国週刊誌、南方週末の社説が中国共産党賛美の内容にすり替えられた問題は・・」とはじまります。
具体的な記事は、こうはじまっております。
「12日付の香港紙、明報によると、河南省の東方今報は1面に『南方週末』の題字を載せ、その横に『私たちは一緒にいる』との見出しで、支持を表明した。・・・言語統制に反発して社長が辞意を表明した北京の新京報も・・暗に支援。・・・
中国では憲法35条で『言論、出版、集会、結社、デモの自由』が認められながら、その実、新聞やテレビなどのメディアは、共産党の主義や主張を代弁し宣伝する『喉と舌』と位置づけられ、中央から地方まで共産党宣伝部が、すべての国内メディアを管理し人事権も握ってきた。・・・共産党は、表向きは高圧姿勢を控えながらもメディア監視を強化。インターネットで『南方』など関連語句を検索不能にするなど、神経をとがらせている。・・・」
せっかくなので、
この機会に、日本での歌壇の言語統制について、
これも現在形なのでした。
朝日新聞の歌壇がつまらない、
と前々から私は思っておりました。
私はつまらないので、読まないのですが、
どなたか、その理由を教えてくださる方が
いないかなあと、つねづね思っていたわけです。
それに答えてくださったのが
2012年10月21日産経新聞一面。
清湖口敏の『言のついでに』でした。
この機会ですから、丁寧に引用してみたいと
思います。
「・・・朝日歌壇の、日付はやや古いが8月20日付の入選歌を見て驚いた。反原発の歌がずらりと並び、どこの運動組織が発行する機関紙の短歌欄かと思ったほどだ。便宜上、番号を付して引けば、
① 原発の再稼動否(いな)蟻のごとくにかく集ふ穴あけたくて
② 100円の帽子被って参加した脱原発デモの後のかき氷
③ 原発を残して死ねじと歩く老爺気負わずノーと夕風のごと
④ 国会を囲む原発NOの輪に我も入りたし病みても切に
といった具合で、4人の選者のうちS氏が①、②、③を第一、第二、第三首に入選させ、T氏が②を第一首、④を第二首に選んでいる。入選歌の序列は明確ではないが、新聞の俳歌壇では第一句(首)から1席、2席、3席・・とする例が多く、評が付くのも主に第三あたりまでだから、その日の朝日歌壇では反原発の歌が上位を独占したと受け止めた読者も少なくなかったに違いない。ちなみにT氏選の第三首は『まほろばの青海原を飛ぶ鶚(みさご)その名を騙(かた)るものをにくしむ』で、垂直離陸輸送機オスプレイ(鶚の英語名)の沖縄配備を批判する歌だった。・・」
このあとに感想を丁寧に綴られておられるのですが、ちょっと飛ばして
「・・そこでこんな想像をした。もしや選者は、歌の出来より朝日新聞の主義論調を優先させたのではなかろうかと。ばかな、錚々(そうそう)たる同歌壇の選者に限ってそんな俗念などあるはずがないと反論されるのは承知している。私もそう信じたい。が、以前に読んだ『「差別表現」を考える』(平成7年、光文社刊)の中の一文がどうしても忘れられないのだ。某新聞地方版で俳句の選をしているという人が、こんな告白をしていた。彼は新聞社から、『雲の峰畦づたいに来る郵便夫』の『郵便夫』は差別語だから選からはずしてほしいと言われた。その後も何かとやりとりがあった末に、『私は、「夫」に恐怖症となり、それらしい文字のある俳句は、選からはずしてしまう』ようになったという。朝日歌壇で『反原発』が優遇される背景には選者の【配慮】があったとしても、特段の不思議はなさそうである。・・・18年1月30日付朝日歌壇で『戦犯を祀る日本の気が知れぬ ヒトラーを祀る国など無きがに』が入選したのも、選者T氏が思想的に共感したからだろうか。真相はどうあれ、戦勝国の論理で不当に戦犯とされた日本人と、ユダヤ人を大量に虐殺したヒトラーとを同質にみる歌が日本の新聞に載るとは尋常でない。・・・」
うん。この清湖口敏氏の文を引用しておいて、
また、何年かして読み直してみたいと思っております。
そして、朝日の歌壇・朝日の俳壇。
歌壇がどのように政治色に染まるのか。
今度は、どなたが選んでいるのかも注意してみます。
それに、
鳩山惑星の「宇宙人」を再生産してるような、あの社説。
「中国 社説すり替え くすぶる火種」となっており
「改革志向の中国週刊誌、南方週末の社説が中国共産党賛美の内容にすり替えられた問題は・・」とはじまります。
具体的な記事は、こうはじまっております。
「12日付の香港紙、明報によると、河南省の東方今報は1面に『南方週末』の題字を載せ、その横に『私たちは一緒にいる』との見出しで、支持を表明した。・・・言語統制に反発して社長が辞意を表明した北京の新京報も・・暗に支援。・・・
中国では憲法35条で『言論、出版、集会、結社、デモの自由』が認められながら、その実、新聞やテレビなどのメディアは、共産党の主義や主張を代弁し宣伝する『喉と舌』と位置づけられ、中央から地方まで共産党宣伝部が、すべての国内メディアを管理し人事権も握ってきた。・・・共産党は、表向きは高圧姿勢を控えながらもメディア監視を強化。インターネットで『南方』など関連語句を検索不能にするなど、神経をとがらせている。・・・」
せっかくなので、
この機会に、日本での歌壇の言語統制について、
これも現在形なのでした。
朝日新聞の歌壇がつまらない、
と前々から私は思っておりました。
私はつまらないので、読まないのですが、
どなたか、その理由を教えてくださる方が
いないかなあと、つねづね思っていたわけです。
それに答えてくださったのが
2012年10月21日産経新聞一面。
清湖口敏の『言のついでに』でした。
この機会ですから、丁寧に引用してみたいと
思います。
「・・・朝日歌壇の、日付はやや古いが8月20日付の入選歌を見て驚いた。反原発の歌がずらりと並び、どこの運動組織が発行する機関紙の短歌欄かと思ったほどだ。便宜上、番号を付して引けば、
① 原発の再稼動否(いな)蟻のごとくにかく集ふ穴あけたくて
② 100円の帽子被って参加した脱原発デモの後のかき氷
③ 原発を残して死ねじと歩く老爺気負わずノーと夕風のごと
④ 国会を囲む原発NOの輪に我も入りたし病みても切に
といった具合で、4人の選者のうちS氏が①、②、③を第一、第二、第三首に入選させ、T氏が②を第一首、④を第二首に選んでいる。入選歌の序列は明確ではないが、新聞の俳歌壇では第一句(首)から1席、2席、3席・・とする例が多く、評が付くのも主に第三あたりまでだから、その日の朝日歌壇では反原発の歌が上位を独占したと受け止めた読者も少なくなかったに違いない。ちなみにT氏選の第三首は『まほろばの青海原を飛ぶ鶚(みさご)その名を騙(かた)るものをにくしむ』で、垂直離陸輸送機オスプレイ(鶚の英語名)の沖縄配備を批判する歌だった。・・」
このあとに感想を丁寧に綴られておられるのですが、ちょっと飛ばして
「・・そこでこんな想像をした。もしや選者は、歌の出来より朝日新聞の主義論調を優先させたのではなかろうかと。ばかな、錚々(そうそう)たる同歌壇の選者に限ってそんな俗念などあるはずがないと反論されるのは承知している。私もそう信じたい。が、以前に読んだ『「差別表現」を考える』(平成7年、光文社刊)の中の一文がどうしても忘れられないのだ。某新聞地方版で俳句の選をしているという人が、こんな告白をしていた。彼は新聞社から、『雲の峰畦づたいに来る郵便夫』の『郵便夫』は差別語だから選からはずしてほしいと言われた。その後も何かとやりとりがあった末に、『私は、「夫」に恐怖症となり、それらしい文字のある俳句は、選からはずしてしまう』ようになったという。朝日歌壇で『反原発』が優遇される背景には選者の【配慮】があったとしても、特段の不思議はなさそうである。・・・18年1月30日付朝日歌壇で『戦犯を祀る日本の気が知れぬ ヒトラーを祀る国など無きがに』が入選したのも、選者T氏が思想的に共感したからだろうか。真相はどうあれ、戦勝国の論理で不当に戦犯とされた日本人と、ユダヤ人を大量に虐殺したヒトラーとを同質にみる歌が日本の新聞に載るとは尋常でない。・・・」
うん。この清湖口敏氏の文を引用しておいて、
また、何年かして読み直してみたいと思っております。
そして、朝日の歌壇・朝日の俳壇。
歌壇がどのように政治色に染まるのか。
今度は、どなたが選んでいるのかも注意してみます。
それに、
鳩山惑星の「宇宙人」を再生産してるような、あの社説。