和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

尋常小学国語読本。

2013-01-28 | 前書・後書。
織田正吉著「日本のユーモア」全3巻(筑摩書房)の
2巻目まで、とりあえず読みました(笑)。
3巻目は、小咄を章立てして、並べてある巻なので、
とりあえずは、ここまでにしておきます。
3巻目の「はじめに」は
2巻目の丁寧な要約というか、まとめになっております。
そういえば、この全3巻は、前書きと後書きが素敵なのです。
たとえば、第1巻の「あとがきに代えて」では
小林一茶の句を
「・・子規のいうようにユーモアを持つ点で得意な作風と見える。しかし、芭蕉が確立した俳句でもなく、『誹風柳多留』が生んだ川柳でもない鵺(ぬえ)のような一茶の句は、俳句としては芭蕉以下、川柳として見れば『柳多留』に数歩譲り、いわば両者混淆のいぶかしいカクテルの味が大衆的支持を受けているのである。」

ありがたい。これで一茶の句の受け止め方を教わりました。
第1巻を読んでから、この「あとがきに代えて」を読むと、
また、味わいがあるのです(笑)。

さてっと、第3巻の「あとがきに代えて」には、
こんな箇所があるのでした。

「先人の遺してくれた文化遺産であるという認識を持って、これらの小咄を継承しなければならないと思う。江戸小咄の継承は、戦前、国定の国語教科書(「尋常小学国語読本」)まで続いていた。私自身習った『尋常小学国語読本』には、わずかではあったが江戸小咄が採られていた。本書でつけた題名でいうと『鳥の町』『軽口五色帋』を出典とする『貸家札』、『鹿の子餅』の『早業』、同『爪の論法』などである。教科書から江戸小咄の類が一掃されるのは、昭和16年、『国民学校令』の公布によって、それまでの尋常小学校と高等小学校が国民学校初等科と高等科に改称されたのにともない、国定教科書が全面改訂されて以後のことである。
小咄は小学校の教室にはなじまないものであった。小咄にはやはり炉辺がよく似合う。・・・とはいっても、江戸小咄が小学校の正門から教室に入っていたことの意義は決して小さくない。すくなくとも当時の文部省は、江戸小咄を文化遺産あるいは教養として国民に伝えるべきだという認識を持っていたのである。」

うん。これが最後の箇所でした。
コメント
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