「安房震災誌」の総説(p5~6)に
「終りに一言付記しておきたいことは、
本編各章に掲ぐる編纂の資料は、
各町村の被害状況を、
郡長から、各町村長に嘱託して・・・・
出来得る限り各町村の報告を尊重して、
その趣旨はひとつも変更したところはない。
したがって地震そのものの大小よりも、
地震を感受したその土地の人々の主観が、
報告書中に幾分反射されているところが
全くないでもなかったが・・・
却って当時各地方人のその感受さを、
そのまま表現したものとも見られ、
且つ後日の参考ともなることであろう。」
この編集方針のために、最初は、
読みづらくはあるのですが、
いざ、腰を据えて読み始めると、
これがかえって、「後日の参考」として、
現在のわれわれへと、
手渡された松明(たいまつ)なのだと、
そんなふうに、読み取れるのでした。
序文を依頼された山下謙一氏の文のなかに、
「文章亦精錬当時の光景紙背に徹し同情の念
湧出読了に堪えぬものがある。・・・」
と、あります。
当時の同時代にあっては、
直接の当事者でなくとも、
「同情の念湧出」として伝わります。
東日本大震災ののちに、「安房震災誌」を読む価値が、
まさに、ここにあるのだと思えてくるのでした。
「終りに一言付記しておきたいことは、
本編各章に掲ぐる編纂の資料は、
各町村の被害状況を、
郡長から、各町村長に嘱託して・・・・
出来得る限り各町村の報告を尊重して、
その趣旨はひとつも変更したところはない。
したがって地震そのものの大小よりも、
地震を感受したその土地の人々の主観が、
報告書中に幾分反射されているところが
全くないでもなかったが・・・
却って当時各地方人のその感受さを、
そのまま表現したものとも見られ、
且つ後日の参考ともなることであろう。」
この編集方針のために、最初は、
読みづらくはあるのですが、
いざ、腰を据えて読み始めると、
これがかえって、「後日の参考」として、
現在のわれわれへと、
手渡された松明(たいまつ)なのだと、
そんなふうに、読み取れるのでした。
序文を依頼された山下謙一氏の文のなかに、
「文章亦精錬当時の光景紙背に徹し同情の念
湧出読了に堪えぬものがある。・・・」
と、あります。
当時の同時代にあっては、
直接の当事者でなくとも、
「同情の念湧出」として伝わります。
東日本大震災ののちに、「安房震災誌」を読む価値が、
まさに、ここにあるのだと思えてくるのでした。