はじめて、道元の本に興味を持ったのは、
阿部謹也氏が新聞に書いていた文でした。
それは、あとに阿部謹也著「読書の軌跡」(筑摩書房)に
入っておりました。
短文なのですが、
「正法眼蔵随聞記」を紹介して
「江戸時代以前の書物の中で私が大学生の頃に
よんで大きな希望を抱かせてくれたのがこの書物である」
とはじまっておりました。
本によると、1990年に新聞に掲載された文でした。
それでもって、「正法眼蔵随聞記」を読んで
分からないながらも、印象に残っておりました。
それから、今月になって
道元の「正法眼蔵」の現代語訳を読み始める。
はい。増谷文雄氏の全訳注が読める楽しみ。
たとえば、各巻のはじめに「開題」という文が
あります。正法眼蔵に立ち向かう、増谷氏の
フットワークが読める箇所です。
ひとつ引用。
「なるほど、道元の文章はむつかしい。
特にこの『正法眼蔵』は難解至極である。
わたしもその現代語訳をはじめて、
日々悪戦苦闘の連続である。だが、・・・
道元その人もまた、なにとぞして
理解させようとして、語をかさね
句をつらねているのである。
繰り返し繰り返しして読んでいると、
その気持ちがよく判るのである。・・」
(p15~16・「正法眼蔵二」講談社学術文庫)
阿部謹也氏が新聞に書いていた文でした。
それは、あとに阿部謹也著「読書の軌跡」(筑摩書房)に
入っておりました。
短文なのですが、
「正法眼蔵随聞記」を紹介して
「江戸時代以前の書物の中で私が大学生の頃に
よんで大きな希望を抱かせてくれたのがこの書物である」
とはじまっておりました。
本によると、1990年に新聞に掲載された文でした。
それでもって、「正法眼蔵随聞記」を読んで
分からないながらも、印象に残っておりました。
それから、今月になって
道元の「正法眼蔵」の現代語訳を読み始める。
はい。増谷文雄氏の全訳注が読める楽しみ。
たとえば、各巻のはじめに「開題」という文が
あります。正法眼蔵に立ち向かう、増谷氏の
フットワークが読める箇所です。
ひとつ引用。
「なるほど、道元の文章はむつかしい。
特にこの『正法眼蔵』は難解至極である。
わたしもその現代語訳をはじめて、
日々悪戦苦闘の連続である。だが、・・・
道元その人もまた、なにとぞして
理解させようとして、語をかさね
句をつらねているのである。
繰り返し繰り返しして読んでいると、
その気持ちがよく判るのである。・・」
(p15~16・「正法眼蔵二」講談社学術文庫)