和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

問題は本であった。

2017-11-04 | 道しるべ
「ラクして成果が上がる理系的仕事術」の
はじめに
「本書はまず、膨大な資料に埋もれて喘いでいる
人たちに捧げたい。目的を先行させることによって、
状況は一変することを知ってほしい。」(p4)

う~ん。
この言葉を反芻していたら、
梅棹忠夫著「裏がえしの自伝」(中公文庫)を思い出しました。
ひさしぶりに思い返したわけです(笑)。

それは、西堀栄三郎著「南極越冬記」にかかわることになる
梅棹忠夫氏でした。

というか、引用をはじめましょう。

「新聞・雑誌はおどろくべき分量のスペースをその報道にさいた。
問題は本であった。単行本であった。そのとき、
わたしの敬愛する桑原武夫大先輩から指令がきた。
西堀栄三郎著『南極越冬記』という本を、おまえがつくれ。
桑原さんのいわれることには、西堀にはどうせそんな本を
まとめる能力はないから、おまえがやれ。
出版社は岩波書店、岩波新書の一冊である。
話はもうできている。
・・・わたしは南極の現地経験はないけれど、
たしかに、極地についてはなにほどかの知識はある。
エクスペディションというものがどういうものであるかも
承知している。そのうえ、ご本人、西堀栄三郎博士の
人物もよくよく存じあげている。たしかに、
わたしはこの仕事の適任者のひとりではあっただろう。
・・・
西堀隊長のもってかえってこられた『素材』をみて、
おどろいた。大判の重厚な装丁のノートブックに、
ぎっしりと日記がかかれていた。ほかに、
科学的エッセイ、講演原稿など、山のようにある。
ものすごい分量である。これをどうして一冊にちぢめるか、
それが問題である。・・・大ナタをふるって
所定の分量にまでちぢめるのがわたしの役だった。


う~ん。ここで削らずに
もう少し「裏がえしの自伝」からの引用をつづけます。


このままの形ではどうにもならないので、
それをすべて原稿用紙にうつしてもらった。
200字づめ原稿用紙で数千枚あった。
わたしは岩波書店の熱海伊豆山の別荘にこもった。
ことがらの推移を追いながら、
しかも項目ごとにまとめ、
ところどころに科学的エッセイをはさむ。
自分で原稿をかくのではなく、
もっぱら原稿をけずる仕事だから、
らくといえばらくなのだが、
けっこう気ぼねがおれた。
割愛するにしのびない
おもしろい話がたくさんあるのだが、
新書一冊という制限のあることとて、
大はばにけずらざるをえなかった。
一週間以上もかかったかとおもう。
作業はついにおわった。そして、
異例のはやさで、西堀栄三郎著『南極越冬記』が世にでた。
(p84~85)



ちなみに、鎌田浩毅著
「ラクして成果が上がる理系的仕事術」の
第一章の最初の引用が
梅棹忠夫著「知的生産の技術」でした。
それを引用してから
鎌田氏はこう書いておりました。

「『知的生産の技術』は、1969年に出版され、
ベストセラーとなった。私が中学二年のときに、
一年先輩からよい本があると薦めてもらった本である。
はじめて新書を最後まで読み通し、
知的なショックを受けた覚えがある。・・・」(p20)


その「知的なショック」が何であったのかを
2006年に「ラクして成果が上がる理系的仕事術」で
解明してくれたのでした。ありがたい。




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