古本で、ワイド版岩波文庫があると、
安ければ、つい買ってしまいます。
読まないけれど(笑)。
10月に火葬場で、お坊さんの隣りに座りました。
曹洞宗のお坊さんでしたので、
正法眼蔵随聞記くらいしか読んでいないのですが、
と話のきっかけをつくりました。
勉強になったのは、
曹洞宗には、両大本山があるということ。
永平寺と總持寺の両大本山。
そして、お隣で話させていただいたお坊さんは
總持寺で修業された方だそうです。
私は、ついつい曹洞宗とは永平寺とばかり
思って話していたのですが、ちょっと
気にさわられたかもしれません。
こういうときに、随聞記の
一節くらいスラスラでてくればよいのですが、
読んで良かったという印象だけなのが残念でした。
昨日は、ワイド版岩波文庫の正法眼蔵随聞記を
ひらきました。その最後に中村元氏の解説があり、
随聞記にも面山本と長円寺本とがあることを
今回初めて知りました。
ちなみに、岩波文庫は面山本を底本としていて、
ちくま学芸文庫の水野弥穂子訳の「正法眼蔵随聞記」と
講談社学術文庫の全訳注山崎正一「正法眼蔵随聞記」と
は、長円寺本を底本としていることを
今回はじめて知りました。
はい。勉強になります。
ちなみに、中村元氏の解説によりますと
長円寺本は
「この写本は、われわれに『随聞記』の古体を
知らせてくれる。一見意味の取りにくい語句や
文の続き具合をそのままに写してあるから、
書写に際しては特に恣意を加えなかったという
態度が推測される・・・」(p151)
うん。気になる箇所を読み比べる楽しみが出来ました。
ワイド版の方が手にとりやすいので
昨日は、そちらをまず開く。
昨日、開いた箇所には、こんなのがありました。
「在世の比丘(びく)必ずしも皆すぐれたるにあらず。
おもいよらぬに希有にあさましく下根なるもありき。
故に仏け種々の戒法等をまふけたまふこと、
皆わるき衆生下根のためなり。
人人皆な仏法の器なり。
かならず非器なりと思ふことなかれ。
依行(えぎょう)せば必ず証を得べきなり。
・・・・
学道の人ただ明日を期すことなかれ。
今日今時ばかり仏法に随て行じゆくべきなり。」(p100)
さて、ここを
長円寺本は、どう書かれていたのでしょう。
今日は、そこをさがしてみます。
安ければ、つい買ってしまいます。
読まないけれど(笑)。
10月に火葬場で、お坊さんの隣りに座りました。
曹洞宗のお坊さんでしたので、
正法眼蔵随聞記くらいしか読んでいないのですが、
と話のきっかけをつくりました。
勉強になったのは、
曹洞宗には、両大本山があるということ。
永平寺と總持寺の両大本山。
そして、お隣で話させていただいたお坊さんは
總持寺で修業された方だそうです。
私は、ついつい曹洞宗とは永平寺とばかり
思って話していたのですが、ちょっと
気にさわられたかもしれません。
こういうときに、随聞記の
一節くらいスラスラでてくればよいのですが、
読んで良かったという印象だけなのが残念でした。
昨日は、ワイド版岩波文庫の正法眼蔵随聞記を
ひらきました。その最後に中村元氏の解説があり、
随聞記にも面山本と長円寺本とがあることを
今回初めて知りました。
ちなみに、岩波文庫は面山本を底本としていて、
ちくま学芸文庫の水野弥穂子訳の「正法眼蔵随聞記」と
講談社学術文庫の全訳注山崎正一「正法眼蔵随聞記」と
は、長円寺本を底本としていることを
今回はじめて知りました。
はい。勉強になります。
ちなみに、中村元氏の解説によりますと
長円寺本は
「この写本は、われわれに『随聞記』の古体を
知らせてくれる。一見意味の取りにくい語句や
文の続き具合をそのままに写してあるから、
書写に際しては特に恣意を加えなかったという
態度が推測される・・・」(p151)
うん。気になる箇所を読み比べる楽しみが出来ました。
ワイド版の方が手にとりやすいので
昨日は、そちらをまず開く。
昨日、開いた箇所には、こんなのがありました。
「在世の比丘(びく)必ずしも皆すぐれたるにあらず。
おもいよらぬに希有にあさましく下根なるもありき。
故に仏け種々の戒法等をまふけたまふこと、
皆わるき衆生下根のためなり。
人人皆な仏法の器なり。
かならず非器なりと思ふことなかれ。
依行(えぎょう)せば必ず証を得べきなり。
・・・・
学道の人ただ明日を期すことなかれ。
今日今時ばかり仏法に随て行じゆくべきなり。」(p100)
さて、ここを
長円寺本は、どう書かれていたのでしょう。
今日は、そこをさがしてみます。