和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

如是如是(その通り、その通り)

2017-11-11 | 道しるべ
水野弥穂子(やおこ)訳「正法眼蔵随聞記」(ちくま学芸文庫)を
以前読んだことがあります。
その本を取り出してみると、付せんがあちこちに貼ってある。
それがきれいに、内容は忘れております(笑)。

けれども、その印象だけは残っていて、
古本で道元とか正法眼蔵とかの名前があると、
安ければ読まないのに、ついつい購入しておりました。

その購入本を読むのは、今でしょう。
とばかりに、とりあえず数冊を並べます。

水野弥穂子著「『正法眼蔵』を読む人のために」(大法輪閣)
もその一冊。うん。パラパラとですが、
この機会に読み始めました。

うん。最初の方には線が引いてありますので、
数ページほど、私はチャレンジしてやめております。
そこから、線を引いた箇所を引用。

「インドネシアでも、ボロブドールの遺蹟では、
大日如来がずらっと並んでいます。これは、
修行をすればみんな仏になるのだということを
知っていたためだろうと思います。
そして中国には、菩提達磨という・・
人間の姿でインドから来てくれたのです。・・
まさしく、仏は人間がなるものだという実物を
見せて下さったわけです。
それを信じた人々が、一代ごとに、
祖師の法を、受け継ぎ、実現してきた、
それが『諸仏』だったわけです。・・・
特に道元禅師は『諸仏』という言葉で、
仏教修行をして仏になっている人のことを
言っておられます。
そこをとりはずすと、
『正法眼蔵』が自己の話でなく、
遠い向こうの話になってしまいます。」(p13~14)


ということで、
今日はパラパラとめくっていって、
とりあえず、本の最後の言葉はというと

「因果を知ることは
仏の救いを知ることだったのです。
仏法は全自己の問題です。
因果を他人に押しつけるから
因果がいやな言葉になってしまうのです。
自己の因果は自己だけが完全に知るのです。
その中から、
無上菩提に向かう
確実な道が見出されるのです。」(p250)


はい。一回読んだだけじゃ、
わかりません(笑)。
コメント
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