200円でした。1988(昭和63)年刊行の古本。
「京都自然紀行 くらしの中の自然をたずねて」(人文書院)
中島暢太郎監修 京都地学教育研究会編。
序文は、監修者が書かれており、こうあります。
「この本を書いているのは、京都府下の高等学校で
地学を教えている先生方です。地学という教科は、
教科書で教えるだけでなく、実地に自然を観察する
ことを大切にするという特色を持っています。」
うん。現在、高校地学の先生は、絶滅危惧種だと
雑誌で読んだことがあります。それと同時に
「実地に自然を観察することの大切さ」が
高校から消えてしまったのかどうか?
それはそうと、序文を続けさせてください。
「・・・柿本人麻呂の
あしひきの山川の瀬の響(な)るなへに
弓月(ゆつき)が獄(たけ)に雲立ち渡る
は上流の山に積乱雲がそびえて雷雨が降っているため
谷川の水が音を立てて増水してきたという気象現象をあざやかに
示しています。私たちもこのような表現力を駆使したかったのですが、
そこまで力が及ばなかったのが残念です。」
はい。素敵な序文となっておりました。
さてっと、目次のはじめの方に、「祇園祭と疫病」とある。
うん。そこから引用してみます。
「祇園祭の由来にも表われているように、
平安京千年の歴史には度々疫病が流行しています。
記録に残る最初は大同3年(808)1月で、疫病が
今でいう何の病気に当たるかはわかりませんが
強力な伝染病の一種であったと思われます。
当時、京の町は疫病で倒れた人々のおびただしい
屍で埋まるという、思いもよらぬ有様だったようです。
貞観3年(861)8月には赤痢が流行し、10歳以下の
子供たちがばたばたと倒れていきました。
同5年1月には流行性感冒が襲い、同14年、同18年、
延長7年(929)、天暦1年(947)、同9年と疫病流行が相次ぎました。
正暦5年(994)5~6月のかつてない大規模な疫病の流行の時は、
堀川の水が死人によって溢れるほどになったといいます。・・・・・
この疫病の死者は、五位以上の貴族だけで67人に及びました。
また、疫神が横行するという噂によってみな門戸を閉じ、疫神を
船岡山に祭って今宮社とし、御霊会を行なったと記されています。」
(p20)
その前のページから引用します。
「今では京都最大の観光行事となっている祇園祭が
八坂神社(通称祇園さん)の祭礼で、正式には
『祇園御霊会(ぎおん ごりょうえ)』と呼ばれている
ことはあまり知られていないようです。
御霊というのは死者の霊魂のことですが、
天災や疫病、戦争などのため非業の最後をとげ、この世に
怨みを残して死んだ人の霊魂をいうことが多いようです。
・・・・・・
政争の犠牲者が怨霊となり、度々疫病が流行するのは
その祟りであると考えられました。これらの御霊を鎮めるために
行なわれたのが『御霊会』で、貞観5年(863)5月20日に神泉苑で
行なわれたのが最初のことです。・・・・・
八坂神社は、古くは祇園社・感神院と呼ばれ、
延長4年(926)6月、修行僧が建立した祇園天神堂が
始まりとされています。・・・・・
祇園御霊会が初めて行なわれたのは貞観11年(869)で、
天下に悪疫が流行したとき、勅命によって66本の鉾を作って
神泉苑へ送ったと社伝に記されています。
100年後の天禄1年(970)6月14日、朝廷によって・・・・
祭礼が行なわれ、以後毎年の催しとなったといいます。
平安末期以後朝廷の力が衰えるのと反対に、
祭りは民衆の手で盛んになっていきます。
応仁の乱の頃は一時中断しましたが、その後再び盛んになりました。
山鉾の前掛・胴掛・見送などに外国からのゴブラン織や
綴錦(つづれにしき)が使われたり、名工の彫った人形や飾りが
多く、動く美術館と呼ばれているほど豪華になったことからもうかがえます。」
(p19~20)
地学とは、別の箇所を引用してしまったかもしれません。
せっかくなので、この本の「おわりに」からも引用。
「この本の執筆者が属する京都地学教育研究会は
昭和24年に数人の高校教師によって設立されました。
そして40年を経た今、京都府下の高校教師を中心として
約90名の研究会に成長しています。私たちは・・・・・
この『京都自然紀行』の発刊を思い立ちました。・・・」
うん。高校の地学教師が輝いていた頃の一冊なのですね。
最後に、43名の執筆者・編集協力者の氏名と、その高校名が
記されておりました。はい。ここにはその高校名を列挙してみます。
福知山高・嵯峨野高・綾部高・東稜高・八幡高・桃山高・久御山高・山城高
綾部高・立命館高・聖母学院高・西舞鶴高・園部高・精華高・北稜高
洛東高・西宇治高・南丹高・洛水高・北嵯峨高・東宇治高・日吉ヶ丘高
京都女子高・平安高・洛水高・須知高・南丹高・加悦谷高・山城高
光華高・東山高・福知山高・立命館高・洛東高・南八幡高・桃山高
峰山高・東山高・光華高・元堀川高定・堀川高・木津高・北稜高。
数頁だけ、パラパラ読みするのは申し訳なくなります。
またの機会に、読もうと思いながら、本棚へ戻します。