和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

草田男の夏。

2020-04-19 | 詩歌
今日の読売新聞(4月19日)の一面に、こうありました。

「新型コロナウイルスの感染拡大で、国内では18日、
新たに582人の感染者が確認され、クルーズ船を除く
累計感染者数は1万人を超えて1万432人に上った。

4月に入り連日、数百人規模で感染者が増えており、
30歳代以下の若い世代への感染の広がりも目立つ。

今月7日と16日に発令された緊急事態宣言を受けて
各地で実施されている外出自粛や休業要請により、
いかに感染拡大に歯止めがかかられるかが今後の焦点となる。」


うん。気持ちも縮こまりがちになる。
こんな際は、楽しい話をしたくなる。
本棚からとりだしたのは
中村弓子著「わが父草田男」(みすず書房・1996年)。

この本に、弓子さんが聞き手となって
山本健吉氏と対談している箇所がありました。
そのはじまりは山本氏でした。

「『メルヘンというと、どうしても私は草田男さんの
全体の話にわたってしまうんです。メルヘンだけ
っていようりも、草田男さんの全体の話をしているうちに、
メルヘンの話になるんじゃないかと思うんですが。・・・」
(p40)

そのあとに、中村草田男の童話集『風船の使者』が文部省の
芸術選奨をとった際のエピソードが語られていました。

「あのとき、選考委員に江藤(淳)君と、丹羽文雄氏も入ってたんです。
江藤君なんか非常に感心して、丹羽文雄氏もびっくりしたんです。
われわれ小説家っていうのは、人生の暗い面、恥ずかしいような面
ばっかり書くもんだと思っていた。こんな明るいというのか、
生命に溢れたというのか、輝かしい面ばっかりしか書かない人
っていうのは珍しい、そんな批評をやってましたよ。・・・」(p41)


うん。私は童話集『風船の使者』を読んでいません(笑)。
さて、つぎは中村弓子さんの文『わが父・草田男』から
そのはじまりを引用。うん。わたしは夏になると、自然に
この文を思いだします。今回は早めに取り出しました。

「  毒消し飲むやわが詩多産の夏来る

夏こそは父の季節であった。・・・・・
暑い季節がやってくると家族は全員げんなりしている中で、
『瀬戸内海の凪(なぎ)の暑さなんてこんなもんじゃありませんよ』
などと言いながら、まるで夏の暑さと光をエネルギーにしている
かのように、大汗をかきながらも毎日嬉々として句作に出かけていた。
 ・・・・・・・・

『文学というもは女々しい男のやるものなんですよ』
と父はよく言っていた。女々しいというわけは、
いわゆる生活力のある男々しい男はどんどん行動をして
現実をじっと見つめたりしない。だから非力な女々しい男こそが
現実を凝視できるのだ。しかしそれはやはり男でなければならない。
なぜならその現実から感受したものを取りだしまとめて作品化する
にはまた別の大変な力が必要だから。・・・・」(p57~58)

うん。草田男のメルヘンと、草田男の夏。
はい。昨夜は、BSの「オズの魔法使」を録画して見てました(笑)。


コメント
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