月刊雑誌Voice5月号の巻末コラム。
渡辺利夫氏の連載です。
日清戦争での後藤新平の業績をとりあげております。
途中から引用。
「日清戦争に勝利し凱旋する兵士の検疫事業は不可欠であった。
・・・罹患(りかん)した兵士を検疫なくして帰還させるわけにはいかない。
往時の陸軍次官の児玉源太郎は、そのために後藤を抜擢(ばってき)、
広島宇品(うじな)の似島(にのしま)、大阪の桜島、
下関の彦島(ひこしま)の三つの離島に検疫所を設置、
似島では3ヶ月間に441艘の船籍、13万7000人の検疫を展開した。
ドイツ留学時代に起居をともにした北里柴三郎の協力により
大型蒸気式消毒罐13基を導入してことにあたった。
後の記録によれば、3つの離島で罹患が証明された兵士の数は、
コレラ682人、腸チフス126人、赤痢179人であった。
この数の罹患者が検疫なくして国内の各地に帰還していった場合
の事態の深刻さはいかばかりのものであったか。
戦争に明け暮れていた欧米列強は、児玉・後藤の検疫事業に
大いに関心を寄せていたが、その迅速性と効率性に舌を巻いたらしい。
・・・ドイツ皇帝のヴィルヘルム二世は・・
その大成功に賛辞を惜しまなかったと伝えられる。
相馬(そうま)事件という奇怪なお家騒動に巻き込まれて
内務省衛生局長を辞し、浪々(ろうろう)の身をかこっていた
後藤はかくして復活。新たに台湾総督として赴任する
児玉に同道、総督府民政長官として植民経営史に
その名を残す・・・・・・」
雑誌Voiceの巻末コラムといえば、
谷沢永一の『巻末御免』が思い浮かびます。
うん。そのバトンがこうして引き継がれてる。
ちなみに、先月号のVoice4月号の巻末コラムからも
この機会に引用しておくことに。
そこでは、後藤新平の思想ということで語られておりました。
「後藤新平という官僚政治家がいる。・・・・
政治家の思想であれば、それが現実にどういう関わりを
もっていたかという観点が重要になろう。この観点からして
後藤は高く評価されるべき存在だと私は考える・・・・
後藤の台湾統治とは、思想と現実の見事な一致であった。
後藤思想の出発点であり、到達点ともなったフレーズが、
『人類モ亦(また)生物ノ1(ひとつ)ナリ』である。
人間とは『生理的動機』に発し、『生理的円満』を求め、
生命体としての生をまっとうするために生きる、そういう存在だ。
ならば、台湾住民が生理的円満を得んとどのような環境の中で
生きているのか。このことを徹底的に調査・研究したうえでなければ、
台湾統治のための政策の立案や施行などできない。・・・・
総督府民政長官として台湾の民政を担わされた後藤は、
一代の軍政家・児玉源太郎を総督に仰ぎ、
その権威と権力のもとで存分に働いた。・・・・・」
うん。新聞の一面コラムばかりがコラムではありませんでした。