和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一山(いっさん)青し。

2020-04-08 | 詩歌
注本してあった古本が届く。
芳賀徹著「きのふの空」(中央公論美術出版・平成4年)。
定価は3600円。古本で500円+送料300円=800円。
古本屋は、古書ワルツ。うん。新刊なみの古本です。
はい。まだ未読です。

そういえば、芳賀徹著「詩歌の森へ」(中公新書・2002年)
は、詩歌を紹介する短文なのに、今回あらためて見ると、
京都がところどころに出てくるのでした。新書の著者略歴に
「現在、京都造形芸術大学学長」と出てくるので、
うん。自然とそうなるのかもしれません。
せっかくなので、パラリとひらいた箇所を引用。

「京都の町がいいのは、なんといっても、
東、北、西、と三方を山々に囲まれていることだ。
それらの山から流れ出た水が、二つの大きな清流となって、
町なかをぬけて南に走る。水音を聞きながら眼を上げれば、
川上にはいつも青々とかさなる山がある。
山々にくるまれた安らぎと、『山のあなたの空』へのあこがれと、
二つがともどもに心に宿る。人口140万の大都市では、
世界に稀有なことだろう。

ことに比叡山の中腹あたりから北を望むと、
鞍馬、貴船の峰々から奥へ、高くはないがすがたやさしい
丹波山地の山々が幾重にもつらなって、
その青い深さが心をさそう。
花背、雲ヶ畑などというすてきな地名も
いつ誰がつけたものなのか、まさにそのなかに
身を投げこみたくなるような緑のうねりだ。」

このあとに、詩歌をとりあげるのですが、
芳賀徹氏は、どんな詩をもってくるのか。

「  ほととぎすあすはあの山こえて行かう
   わが路遠く山に入る山のみどりかな
   分け入つても分け入つても青い山
   分け入れば水音

種田山頭火の
これらの『山行水行』の自由律の句が思いおこされてくる。
もちろんこれらは、詩人が生家の相つぐ不幸を経験した後に、
・・・・墨染めの衣に網代笠(あじろがさ)の乞食(こつじき)僧と
なって南北東西を放浪しながら作った句である。
いまの私たちがまねできるような旅ではないし、
京の山をよんだ句でもない。だがそれでも、
緑濃い山々に入ってゆくときの心おどり、
踏み入る一歩一歩に世事への執着を放下(ほうげ)した
緑に染まってゆく心身のかろやかさ、またさびしさを、
私たちはここに読み、共感することができる。」

うん。短いので残りの全文も引用しちゃいましょう(笑)。

「ところで、『分け入つても分け入つても』の句には、
『大正15年4月、解くすべもない惑ひを背負うて、
行乞流転(ぎょうこつるてん)の旅に出た』との前詞がある。
その前年に山頭火は熊本で禅門に入り、出家していた。
とするとこの句は、案外、唐の詩人羅鄴(らぎょう)の
一篇からとられたという禅語ーーー

 終日 長程(ちょうてい) 復(ま)た短程(たんてい)
 一山(いつさん)行き尽せば 一山青し

に学び、これに体験のリズムを与えたものであったか、
と私は考えている。」(p278~280)

はい。こうして全143章の詩歌が並ぶ壮観。
1章1章に立ちどまってしまい、最後まで読み続けられません(笑)。



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