和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

冬ごもり。

2020-04-07 | 手紙
本棚から芳賀徹著「詩歌の森へ」(中公新書)を出してくる。
以前に読んで圧倒され、あとで再読しようと本棚に置いて。
はい。それっきりとなっておりました(笑)。

あとがきをひらくと、こうはじまっておりました。

「この本に収めた『詩歌の森へ』全143章は、もと
『日本経済新聞』の毎日曜の文化欄に連載したものである。
連載は平成11年(1999年)4月4日から
同13年(2001年)12月30日まで、2年9ヶ月におよんだ。」

「『詩歌の森へ』は、はじめ私なりの日本詞華選を編めばよいのだ
と考え・・自分のこれまでの読書体験や研究生活のなかで
めぐりあった詩歌で、とくに好きになって愛誦している作品、
あるいは日本詩歌の歴史の上でとくに面白いと思った作品
・・・それに若干の評語や感想をそえれば・・と考えていた。
それも、大岡信さんの『朝日』紙上の『折々のうた』のように
毎日の連載で永遠につづくというような途方もないことを
するわけではない。・・・」(p350)

本には、以前読んだ際の付せんが多く貼ってあって、
ずいぶんに気になったのだろうと思うのですが、
はい。内容はすっかり忘れております(笑)。
それでも、充実した読書の後味は残っております。

さてっと、パラパラとめくると、ところどころに
京都という地名が登場しているのに気づく。

それはそうと、二カ所を引用。

はじめに、『冬籠り』。

「『日本経済新聞』俳壇の『1999年の秀作』に、
藤田湘子氏選で『志ん生もカラヤンも好き冬ごもり』
という句が入っていた。前橋の原田要三というかたの作である。

思わず微笑した。東西文化の粋をたのしみながらの冬籠り、
うらやましいではないか。『志ん生もカラヤンも』とは
二十世紀日本人のみに許された特権。
『好き』という軽い言いかたも効いている。
冬籠りという万葉以来の古語、芭蕉以来の季語が
こうして二十一世紀に生きながらえるのはめでたい。」
(p98)


はい。二つ目は蕪村。そのはじまりは

「穎原(えばら)退蔵編『蕪村全集』という分厚い1冊の本がある。」

新聞の連載ですから短い、新書で4ページの文です。

「すばらしい書物だった。ことにはじめて読む蕪村の書簡は
・・・・・・・読みすすめるうちに私のなかには、はるかに遠い
徳川の日本、そして18世紀の京都への郷愁がしきりに湧いて、
しばし茫然とすることさえあった。


 春もさむき春にて御座候。
 いかが御暮被成(おくらしなされ)候や、
 御(おん)ゆかしく、奉存(ぞんじたてまつり)候。
 しかれば春興小冊、漸(ようやく)出板に付、
 早速御めにかけ申候。・・・・・・


たとえばこれは安永6年(1777年)、蕪村数え62歳の年の2月に、
彼の新体詩『春風馬堤曲』をものせた一門の新春句帖
『夜半楽(やはんらく)』ができ上がり、これを伏見の門人に
送ったときの添え状である。・・・・

ごく普通の時候の挨拶だったのかもしれない。
だがそれが『春もさむき春』から3つの短文の
畳みかけで言われるとき、そこにおのずから
相手へのこまやかな、まさに慇懃(いんぎん)な
心づかいがにじみ出る。

『御ゆかしく奉存候』とは、蕪村書簡の愛用語。
本来の『御なつかしくも問はまほし』の意味での、
なんとすてきな使いかただろう。・・・」
(p240)

はい。再読も、パラパラ読みで、もう満腹。
また、本棚へ。






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