新書といえば、梅棹忠夫著「知的生産の技術」がある。
うん。一筋縄ではいかないので、ここはからめ手から。
加藤秀俊氏が梅棹忠夫著「知的生産の技術」を
とりあげた文があり、時代背景をとりあげなら、
新書の内容にふれてゆきます。こんな感じです。
「『かんがえる』ということを、
特別にえらばれた人びとの天才的努力の問題だ、
と信じていた多くの日本人にとって、
それを『技術』と断定したこの本は、
たぶんひとつの大きなショックであった。
この本に先行して、『わたしにも写せます』という
8ミリ撮影機のコマーシャルがあったが、・・・
このコマーシャルとおなじ健康さを持っている」
( p73「ベストセラー物語 下」朝日選書 )
これは、選書8ページほどの文なのですが、
最初の方で、こう時代背景を切りとります。
「・・かんがえてみると、全共闘と梅棹忠夫は、
ほぼ同時期に、まったくおなじ教育への批判を
こころみていた、というふうにもみえる。
もちろん、全共闘は、わけのわからない泥沼のなかに
ふみこんで、不定形な感情の発散をくりかえすことになり、
あまり生産的な貢献をすることができなかった。
それにたいして、梅棹忠夫は、きわめて具体的、
かつ説得的に、いまの日本の知的訓練の欠陥を
この本をつうじて指摘している。・・・・」(p70)
この1960年代後半を、加藤氏は、こう指摘してゆきます。
「おびただしい活字が日本国じゅうに充満し、
ラジオやテレビからさまざまな映像や音声がとび出した。
本もつぎつぎに出た。企業のなかでは文書活動がやたらにふえ、
いわゆる『情報洪水』がはじまっていた。・・・・
おぼえておかなければならないことがらが
つぎつぎに目のまえにあらわれてくる。
手紙や文書もつくらなければならぬ。
とりわけ、あたらしいかんがえや提案をふくんだ
『創造的』な文章をまとめることがサラリーマン
社会でもひつようになっていた。すくなくとも、
その必要がおぼろげに感じられはじめていた。・・・」
(p71∼72)
はい。はじまっていた『情報洪水』に対して個人は
何ができるのか。まずは手痛いしっぺ返しを経験させようと
したのじゃないか?。洪水のなんたるかを味わえと。
山根一眞氏は『そうや、それでええのや』と梅棹さんに言われます。
「・・思いきって、『私はB6カードを先生がおっしゃるように
一万枚も買って、結局破綻しました』と、白状した。すると、
『そうや、それでええのや』と、おっしゃった。
つまり、B6カードを手掛けることは、
各人が自分なりに情報整理とはどういうものかを
学ぶことに意味がある。あなたはそれによって
自分なりの整理法をみつけた、それでいいのだ、
というのである。・・・唸った。」
(「梅棹忠夫著作集第11巻」の月報『怖いフレーズ』山根一眞 )
はい。この「ベストセラー物語 下」は、1978年に出ておりました。
この中で加藤秀俊氏はこう指摘されております。
「ほんとうは、この本に書かれていることの大部分は、
大学の一年生のときに、ひと月ほどでやっておくこと
のできることである。
その、あたりまえの基礎ができていないから、
やむをえず、梅棹忠夫はこの本をかいた。」(p70)
はい。65歳以上からの、再チャレンジ。
この『あたりまえの基礎』を学びます。
当ブログで、学び直せる気がしてくる。
はい。「これからはじめる知的生産」。
というので、晴天の庭の手入れよろしく、
わたしの、はじまりは本棚の手入れから。
それでは笑って。はい。チーズ。
『わたしにも写せます』ように。