和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

井戸端会議。編集会議。

2021-06-04 | 本棚並べ
板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書・1973年)に
井戸端会議が語られる場面があり、改めて印象深く読み直しました。

「読んだり考えたりして蓄積された知識は、
将来の使用のために整理し管理しておかなければならない。

井戸端会議の達者な人は、情報量には乏しくないけれども、
その整理・管理が自我流に頭の中に入っているだけなので、
せっかくの情報が噂のレベルより先に進むことができない。・・
つまり、井戸端会議の議員さんたちは情報を乱雑にとり入れて、
その取捨ができないで、情報をプールする方法がきわめてまずい
わけである。・・・」(p86)


うん。これは1973年の文でした。
小高賢歌集(現代短歌文庫・砂子屋書房・1995年)の
はじめのほうをひらくと、こんな短歌がありました。

 争いて論じ勝つこと何ならん
    やわらかな言葉選りゆく編集会議 
            (詩集・耳の伝説より)

はい。「編集とはどのような仕事なのか」のなかに
その編集会議らしき箇所がありました。

「編集者にもいろいろなタイプがある。
みずからプランにこだわり、なかなか引かない人間もいる。
駄目だといっても粘る。そのひとりのために苦労し、
編集会議がうまくいかなくなることすらある。

プランを採択するより、ダメだということを
いかに納得させるかに苦労することもまれではない。

その意味において編集会議は闘争でもある。
議論は平等であるが、最後は編集長権限で裁断することが、
それゆえ必要になってくるのである。」(p85)

鷲尾賢也氏の名編集長ぶりはどうだったのでしょう。
その鷲尾氏が退社したのは、2003年(平成15)59歳。
著者略年譜をひらくと、その年に
「上智大学で15回にわたり出版編集論を講義」とあり
翌年の平成16年に
「前年の上智大学での講義を元に
 『編集とはどのような仕事なのか』を刊行」とあります。

な~んだ。この本は大学生への講義が元になっていたんですね。
本を読み、魅力的な講義になったのだろうなあと思い描きます。



コメント (2)
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