板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書・1973年)に
井戸端会議が語られる場面があり、改めて印象深く読み直しました。
「読んだり考えたりして蓄積された知識は、
将来の使用のために整理し管理しておかなければならない。
井戸端会議の達者な人は、情報量には乏しくないけれども、
その整理・管理が自我流に頭の中に入っているだけなので、
せっかくの情報が噂のレベルより先に進むことができない。・・
つまり、井戸端会議の議員さんたちは情報を乱雑にとり入れて、
その取捨ができないで、情報をプールする方法がきわめてまずい
わけである。・・・」(p86)
うん。これは1973年の文でした。
小高賢歌集(現代短歌文庫・砂子屋書房・1995年)の
はじめのほうをひらくと、こんな短歌がありました。
争いて論じ勝つこと何ならん
やわらかな言葉選りゆく編集会議
(詩集・耳の伝説より)
はい。「編集とはどのような仕事なのか」のなかに
その編集会議らしき箇所がありました。
「編集者にもいろいろなタイプがある。
みずからプランにこだわり、なかなか引かない人間もいる。
駄目だといっても粘る。そのひとりのために苦労し、
編集会議がうまくいかなくなることすらある。
プランを採択するより、ダメだということを
いかに納得させるかに苦労することもまれではない。
その意味において編集会議は闘争でもある。
議論は平等であるが、最後は編集長権限で裁断することが、
それゆえ必要になってくるのである。」(p85)
鷲尾賢也氏の名編集長ぶりはどうだったのでしょう。
その鷲尾氏が退社したのは、2003年(平成15)59歳。
著者略年譜をひらくと、その年に
「上智大学で15回にわたり出版編集論を講義」とあり
翌年の平成16年に
「前年の上智大学での講義を元に
『編集とはどのような仕事なのか』を刊行」とあります。
な~んだ。この本は大学生への講義が元になっていたんですね。
本を読み、魅力的な講義になったのだろうなあと思い描きます。