清水幾太郎著作集2(講談社)の月報は藤竹曉氏。
そこにこんな箇所がありました。
「『流言蜚語』は戦前の日本社会学が生んだ名著である。
『流言蜚語』の基礎にはイメージの問題がある。
先生の独創性は、流言蜚語をアブノーマルなニュース
としてとらえた点に求められる。・・・・・
本書は二・二六事件直後に発生した流言蜚語の氾濫をテーマに、
先生が『中央公論』と『文芸春秋』に同時に寄せた二本の原稿を
もとにして、一気に書かれた。
もちろんその背景には、先生が中学三年生のときに遭遇された
関東大震災における流言蜚語の経験があったことは言うまでもない。
『流言蜚語』が読者を摑まえ、最後まで離さない魅力は、
言論が不自由になってきた社会状況のもとで、
流言蜚語の分析に託しながら、精一杯の抗議をなさる
先生の姿が本書の隅々にまで漲っているからである。
『流言蜚語』は先生の学術的著作の中ではもっとも文学的
とでも呼べるような社会学的に美しく、しゃれた表現が
ちりばめられている点でも異色である。・・・・ 」
はい。途中で引用をやめときます。
私には清水幾太郎著「流言蜚語」は、はなから歯が立たないので、
パラパラ読みに終始しているのですが、そうか
『もっとも文学的とでも呼べるような社会学的に美しく、しゃれた表現』
というのは、たとえば、こんな箇所かもしれないと
一人合点する言葉を最後に引用しておくことに。
「・・完全に嘘であるにも拘わらず、
現実以上に真実であるやうな流言蜚語があるのである。
優れた芸術が現実よりももっと現実的であるやうに、
優れた流言蜚語といふものがあるとするならば、それは
現実に与へられてゐる以上の真実味を深く湛へたものでなければならぬ。
・・・・優れた芸術が現実以上に真実を伝へるといふことは
何人も否定しないであろう。
併し学問もまた同じやうな性質を持ってゐないであろうか。
・・・・ 」( p30 著作集2 )
はい。さわりの箇所だけなのですが、引用してみました。
まあ、私としては、これ以上読み進められそうもないし、
とりあえずは、ここまでにしておきます。