いつかは、千利休を読んでみたいと、
思ったことがありました。
まず、古本で千利休関連の本を買っておく。
私がはじめたのは、それでした。
読まなくっても買っておくと
それなりに溜まってゆくものですね。
たとえば、桑田忠親著「定本 千利休」(角川文庫)
というのを買ってありました。はい。読んではおりませんでした。
そのあとがきをひらくと、そのはじまりにはこうありました。
「私が千利休の研究に志し、その根本史料である利休自筆書状の
蒐集を始めたのは、東京大学の史料編纂所に勤めていた昭和10年、
33歳の頃であるが、それらの根本史料をもとに、
『 千利休 』と題する評伝を著わしたのは、昭和17年、40歳の
ときである。・・・ 」(p232)
はい。今回初めてあとがきをひらいてみました。
それじゃってんで、本文のはじまりはどうなっているのか?
「 茶の湯というのは、要するに、遊びごとであり、
楽しみである。この点では、今も昔も同様であろう。・・ 」
(p8)
はい。本文は、こうはじまっています。
やはり、古本で購入した本に
臼井史朗著「 昭和の茶道 忘れ得ぬ人 (淡交社・平成5年)に
その桑田忠親がさまざまな方の中に登場しておりました。
そこからも引用。
「昭和61年2月15日の深夜のことである。
隣りの家から火が出た。博士(桑田忠親)の家は、
みるみるうちに類焼、全焼してしまった。・・・
すでにその頃、博士は83歳となっていたのである。
もうほんとうに晩年だった。3万冊にも及ぶ厖大な
蔵書と資料は、一瞬のうちに烏有(うゆう)に帰してしまった。
・・・・・
たまたま未亡人を訪ねた時、焼跡に黒こげになって残っていた
鞄の中から発見された、多くの手紙を拝見する機会を得た。
火煙をくぐり、水にぬれて残った手紙類ばかりであった。 」
こうして、松永耳庵・川端康成・井上靖・司馬遼太郎の手紙を
紹介したあとの最後には、こうありました。
「水と火をくぐりぬけ、ボロボロになってしまった
これらの来翰を見るにつけても、その学殖の文学への
ひろがりを嗅ぎわける思いがした。それは、
戦国時代を研究テーマとしたその核のひろがりでもあった。
とくに、茶道史を実証史学の爼(まないた)にのせ、
その研究成果を数多く公刊し、歴史理解への道を
大衆のためにひらいたその業績は、茶道史に不朽のものとして残る。
博士は、昭和62年5月逝去。85歳。生涯が学究一途の旅だった。 」
( ~p105 )
ちなみに、この本のはじまりは佐々木三味で、
そこには、終戦で焼けた道具類の手紙が紹介されておりました。
そこにも、火事のことがでてきております。
「 空爆避けの山疎開は山火事にて大事な道具を喪いし之由
其道具こそまことに数奇な運命とも可申候 」(p26)
とか
「 名古屋の友人伊藤幸楽主人は今様に 水ツケの焼け跡から
茶器類をホリ出シ 小生ニモ珍しき事なる旨通知ありたるに
蕨の絵をかき
春山に やけ太りたる わらびかな
と申送り候処 それらを取繕ふて 木曽川町の仮寓で
名古屋より疎開中の茶友を招き 会致度由
楽げに茶会記を添へ申来りて候
又左近君は爆風にて散々に家を崩されながら
之を自分にて幾分修理し 道具類を纏めつつある旨申来り
到処此喜劇のみ承わり居候
茶道には非常時無く 平常心是道 茲に御喜ひ申上候
敬具 」(p28)
うん。雑本ばかりですが、千利休の本もすこしづつ溜まってきたので、
パラパラと読み始められますように。まずはパラパラと、この秋は、
桑田忠親著「定本 千利休」(角川文庫)からひらけますように。