読まないままに、古本で買った利休の本に
山本兼一著「利休の風景」(淡交社・2012年)がありました。
せっかくなので、パラパラめくるとこんな箇所がありました。
「井戸茶碗は、もとはといえば朝鮮の飯茶碗である
――というのが、日本での通説であった。 」
そのあとに、柳宗悦の評論を引用しておりました。
「 それは朝鮮の飯茶碗である。それも貧乏人が普段ざらに使う茶碗である。
全くの下手物である。典型的な雑器である。一番値の安い並物である。
・・・・・ (柳宗悦「茶と美」講談社学術文庫)
そんなありきたりの雑器の美を日本の茶人が見出し、賞玩したからこそ、
井戸茶碗に価値が出たというのが柳氏の主張であった。
この説はたいへん広く流布された。・・・・・
しかし、最近、韓国の陶工申翰均(シンハンギュン)氏が、
井戸茶碗の由来について新説を唱えている。
井戸茶碗は、日常の食事のための雑器ではなく、
先祖を供養するときに使う祭器だったというのが、申氏の主張である。
井戸茶碗は、神の器だった――というのだ。
たしかに、井戸茶碗が日常の雑器ならば、いくらなんでも
もうすこし韓国に残っていてもよさそうなものだが、
現在、韓国内に伝えられている古い井戸茶碗はまったくないという。
・・・・
井戸茶碗が祭器であったことの証明のひとつとして‥」(~p105)
このあとに、韓国の三代古刹の通度寺(トンドサ)の礼拝図に
「 祖霊を祀る祭器として井戸茶碗が描かれている 」と記したあとに
「 そもそも朝鮮人の人たちは、茶碗を手に持って食事をする習慣がない。
茶碗や丼は、机に置いたまま、そこから匙を使って食事する。
この習慣は、かなり古い時代から現代にいたるまで続いている。
・・・・その食べ方からすれば、高台が高くて小さな
井戸茶碗は、はなはだ不安定である。
ご飯の茶碗としてはたいへん使いにくい。
その話を申氏から聴いて、わたしは大いに頷いた。
歴史の定説や常識のなかには、まったくの誤解や誤伝が
たくさんひそんでいる。井戸茶碗が飯茶碗だったというのも、
そんな常識の嘘のひとつにほかなるまい。 」(~p106)
はい。パラパラでも読んでみるものですね。
うん。うん。と頷きながら読みました。
ところどころ端折りましたが、端折りすぎたかもしれないと、
この箇所を最後に引用。
「 なぜ、残っていないのか?
神聖な祭器であった井戸茶碗は、もともと数が少ないうえ、ある期間が
過ぎると、粉々に砕いて土のなかに埋めてしまったからだという。」(p105)
はい。神聖な祭器を茶道では大切にあつかい。
本来、粉々に砕いて土のなかに埋められてしまう
はずだった祭器を、茶道では井戸茶碗として伝えている。
何だか井戸茶碗への歴史回答を得たような手ごたえで、
本に載る、井戸茶碗の写真を見入ることとなりました。