震災と会話ということで、3冊の本が思い浮かびました。
① 清水幾太郎著「流言蜚語」
② 田尻久子著「橙書店にて」(ちくま文庫)
③ 「災害と人間行動」(東海大学出版会)
①に
「 会話は二重の意味に於いて人間に必要である。
第一に生きるために必要であり、
第二に生きることを自覚するために必要である。
会話(一般に言語)の二つの側面の間の関係から
恐らく多くの問題が生れるのであろう・・・ 」(p122・著作集2)
②の『ヤッホー』と題する文に
「 ご近所さんの顔が見えるということが、いちばんうれしく
頼もしく感じたのは、地震のときだった。
知っている顔が見えて、こんにちは、と挨拶を交わす。
余震が来ると、大丈夫?と声をかけあう。
そんなささいなことで、気持ちの揺れがおさまっていく。
こわいね、こわかったね、一人でそう思っているより、
誰かと言い合うと、こわさが少し淡くなる。・・ 」(p233)
③は、1983年日本海中部地震の調査に基づく記録でした。
8章の「農村型災害と住民の対応ー激震時における人間行動」(田中二郎)
「揺れがおさまってから、2、3時間までの行動にみる特徴をみてみたい。
聞き取り調査によれば、この時間、隣近所で外に集まって地震について
話していたという人が少なくない。
『 揺れがおさまってから、外へ出てみて、
近所の人と修理計画などについていろいろと話した 』(30代、女性)
『 家に帰らず隣近所で話をしていた 』(40代、女性)
揺れの際、家の中にいた人でも、おさまってから外へ出たケースが多く、
また、余震が続いていたため、かなりの人たちが、隣近所の人々と
寄り集まって、この『話し合い』に加わっていた。
こうした行動は、地震が生みだした緊張を緩和し、
動揺を鎮め、さらには、今後の生活に関する情報を得ることにより、
不安感をやわらげるためのものであったと考えられる。
また、この時期は、次第に、外出中の家族との連絡もとれ、
互いに安否を確認できるようになったころでもある。・・・」(p219~220)