本を読むにも、テクニックがあると気づかせて頂けたのは、
丸谷才一著「思考のレッスン」(文藝春秋・のち文春文庫)でした。
読めばいい、だけではなさそうなのです。
丸谷】 たとえば『古今』を読むなら、
窪田空穂の本で読むのが僕は一番好きです。
岩波の『日本古典文学大系』版の『古今』は、
どうも読みにくい。活字の組み方も悪いし、
注釈も何だか事務的な感じで、簡単すぎてよくわからない。
それにくらべると窪田空穂の注は、
心がこもっているようでいいなあと思って読んでいました。
同じ岩波でも、『新日本古典文学大系』の小島憲之・新井栄蔵
両氏の注はいいですね。組み方もいいような気がします。
( レッスン4・本を読むコツ )
このレッスン4に、『ドン・キホーテ』が出て来るのでした。
丸谷】 ぜひお勧めしたいのは、
翻訳小説は何種類かの訳を読んでみることです。
僕は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』が、
会田由先生の訳ではどうにもダメで読めなかった。
ところが堀口大學訳は読めたんですね。
詩がたくさん入っている小説ですが、
大學訳はその翻訳が実によくて、すらすら読めた。
ただし、困ったことに大學訳のセルバンテスは正篇しかないから、
僕は、続篇を読んでないんです。
はい。ここからが本題。
いつだったか、中村光夫さんにその話をしたんです。
『 評論を書いていて、セルバンテスの「ドン・キホーテ」に
ついて触れたくなることがありますね。そのとき、
カッコして( 私は正篇だけしか読んでないが )
なんて書くと文章が締らなくなるし、
あまりにも良心的ぶってるようでもある。
しかし書かないと、嘘をついているような感じがあって
具合が悪いし、困っているんです 』
そのとき、中村さんは笑いながら、こんな話をした。
『 正宗白鳥が僕に、「 明治の文学者のものを読んでいると、
よくもこんなにたくさん外国の本のことを引き合いに出す
と思っておかしくなる 」と言ったことがあってね 』
『 それはどういう意味ですか 』
『 つまり読まないのに読んだふりして書いてる、ということだね 』
たしかに明治文学を読むと、むやみに西洋人の名前が出てきます。
あの頃、まだ翻訳はないだろうし、原著だってなかなか手に入らない
はずなのに、あんなに西洋をひけらかすのは、読まないで
書いているに違いない。白鳥は、同時代人だから
実情をよく知ってたんでしょう(笑)。
ということで、ああ、ブログはいいですね。
あれも読んでいない。これも読んでいないと、
気軽に書きこみする。その楽しみがあります。
私は翻訳小説はダメ。
日本の小説も駄目なので、
外国ものはなおダメです(笑)。
それにしても、英日翻訳を通信講座で
学ぶなんてすごい。その志がいいなあ。
私はただただ、漫画とテレビの子でした。
以前の翻訳は 日本語として こなれてない作品も多くて~ そういうのは疲れるので 先へ読み進めない。
それで 私は日本語は まあ大丈夫だからと
通信講座で 英日翻訳を学びました。
でも 元々の英語力がないせいで 誤訳ばかり(笑)
結構長い間 受講しましたが もうあきらめてしまいました。翻訳とは難しいものです。。。
「翻訳」と聞くと 私の達成できなかった
過去の哀しい学習を思い出します(笑)