和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「発心集」届く。

2023-08-15 | 古典
注文した鴨長明著「新版発心集」上下(角川ソフィア文庫・2014年)届く。
浅見和彦・伊東玉美訳注となっております。もちろん古本。

東日本大震災の2011年に刊行されていた
浅見和彦校訂・訳の鴨長明著「方丈記」(ちくま学芸文庫)の
印象が鮮やかだったので、同じ浅見の名前があるこの文庫を注文しました。


「新版発心集」下の、浅見和彦氏の解説の最後にこうあります。

「『方丈記』には鴨長明の生涯のあらましが綴られている。
 それゆえ、『方丈記』は自伝的文学と評されることが多い。

 一方、この『発心集』には長明の情念が表出し、色濃くにじみ出ている。
 
 『方丈記』が長明の自伝的な作品だとすれば、この
 『発心集』は長明の自画像的な作品ということができるかもしれない。」
                       ( p339 )


はい。この興味深い本なのですが、本を手に入れると
それだけで満足してしまいやすい私ですので、まずは、
『発心集 序』の現代語訳からすこし引用し終ります。


「仏が教えて下さったことがある。
 『 心の師とはなるとも、心を師としてはいけない 』と。
 本当にその通りだ。・・・・・・・

 それゆえ、常に我が心ははかなく、愚かであるということを忘れないで、
 かの仏の教えにしたがい、心許すことなくし、迷いの世界を立ち離れ・・

 それはたとえていうなら、
 牧童が暴れ回る馬を連れて、遠い土地まで行くようなものである。
 ただ心には強弱もあり、また浅深もある。

 また一方、自らの心をおしはかるに、善に背くというわけでもない、
 また悪から遠ざかっているというわけでもない。

 まるで風に吹かれてなびきやすい草のようだ。あるいはまた、
 浪の上に映る月影の静まりにくいのと全く同じだ。

 いったいどのようにして、この愚かな心を教えさとしたらいいのだろうか。」
                 ( 上巻現代語訳 p248~249 )

さてっと、この本は、いったいどのようにして、私みたいな愚か者が、
本を放り投げる心を、教えさとし、読み続けさせてくれるのだろうか。
と今からワクワクしてくるのでした。

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