本の帯に「詩人の家を撮影」とある
「茨木のり子の家」(平凡社・2010年)があった。
この家でしかお目にかかれないような玄関ドアとその取っ手から
はじまる家の紹介写真。二階の書斎の本棚に、それはありました。
スクラップブックや別冊太陽にまじって「暮しの手帖」が何冊か。
さてっとKAWADE夢ムック(文藝別冊)の「花森安治」(2011年)に、
茨木のり子の文「『暮しの手帖』の発想と方法」を読むことができました。
そのはじまりから引用。
「『暮しの手帖』の創刊は、敗戦後まもなくの
1948年(昭和23年)の秋であった。 B5判、96頁で、定価は110円。
・・・・・・・
創刊号の出た翌年、私は結婚しているが、
色彩のまるで乏しかった当時、創刊号の表紙の
あざやかさは店頭で強く印象づけられたものの、
なぜかその時は買わなかった。
何号目かを友人が結婚祝いとして持参してくれて、
それからは毎号を買って現在に至っている。
約23年間にわたる読者であってみれば、
何がしかのことは言えなくてはならないだろう。・・・ 」(p129)
「わが家の『暮しの手帖』はむき出しで本棚に並び、
しかも背表紙に、その号のポイントとなる項目
二、三が書き出されている。
松江・精神分裂・ムウムウ
紬・ドレッシング
いなり寿司・空巣・湿疹
などなど・・・・
暮しの実態そのものが、まったく多次元の事柄の
待ったなしの同時進行という性格だからやむを得ない。
活用しつくすためには、本はおんぼろさんぼろとなろうとも、
たえず身近にあり、すぐひっぱり出せなければ意味がない。 」(p132)
茨木のり子さんが使う言葉の『おんぼろさんぼろ』。
上下二段組で16頁もあるこの文は、私にしてみると、
茨木のり子の詩の納得理解への魅力的な入門書です。
あれこれ引用したいのですが、最後に雑誌に関連してここを引用。
「いずれにしても、これほど勝手気ままに、
自分たちのやりたいようにやって、当初から節を曲げず、
なおかつ着実に部数が伸びてゆき、現在80万部(この文は昭和48年のもの)
というのは、考えてみれば、随分と太い話である。
志は壮だが、たちまちに沈没したとか挫折したとかは、
戦後いやになるほど私たちは見てきている。
出版業とのみは限らない。
何か新しい仕事を始めようとする人びとに、
意志をいささかも曲げることなく、かつ
あきないも十分成り立ってゆく『暮しの手帖』のいきかたは、
一種の勇気を与えてくれそうに思われる。
『 この雑誌にぼくたちは生涯を賭けている 』と、
花森安治は40号で語っているが、その気迫は十分に伝わってきて、
大言壮語を感じさせない。 」(p131)
たしか読んだなあ~と思って
自分の記録を見ましたら~
2011年12月に 和田浦海岸さんのサイトで
教えて頂いて読んだ~と書いてありました(笑)
写真など
珍しく はっきり覚えています。
居心地の良さそうなお家でしたね。。。
コメントありがとうございます。
そうそう。もう10年以上まえでしたか(笑)。
はい。本はかわらず本棚にありました。
なんだか、その家のほうがいまもあるのか、
ないのか、心配になりますが私は本で満足。