ネットで古本を注文する際、有難いことに表紙画像を確認できる。
アマゾンだと、それを拡大できて、帯の文句まで読める。
ちょっと前でしたが、庄野潤三著「丘の明り」(筑摩書房)。
これが凾入りで帯があり、その帯をよめました。
「 庄野潤三作品集 永井龍男
庄野潤三という人は、日本の作家の
誰も持っていない境地を切り開いた。
しかも、実に静かにだ。
たとえばこの集の中にも、
『 秋風と二人の男 』のような
神品がおさめられている。
こういう小説が書けたら、
どんなにたのしかろうと思うが、
この人のほかには絶対に、誰にもかけない。 」
「丘の明り」(筑摩書房・昭和42年発行)。
各文芸雑誌などに掲載された作品をまとめた一冊でした。
ちなみに、定価は1円+送料350円=351円。
はい。買っちゃいました。
ちなみに、私は庄野潤三の小説は未読。
ただし、庄野氏の学生時代の先生が詩人の伊東静雄であり、
私は詩人を先生に持つ庄野氏がどのような作品を書くのか、
気になっておりました。それで帯の文句に惹かれたのです。
こういう場合、他の作品にも手がでてしまいます。
庄野潤三随筆集「自分の羽根」(講談社・昭和43年)も購入。
随筆集をひらくと、まずは表題となった「自分の羽根」を
読む。はい。4ページほどですから、すぐに読めちゃう(笑)。
そのはじまりを引用。
「 先日、私の娘と部屋の中で羽根つきをやった。
冬休みがもう終りになるという頃だった。
小学五年生の娘は、
私が一日机の前で浮かぬ顔して仕事をしているのを見て、
運動不足になることを心配したらしい。
『 羽根つきをしよう 』 という。
『 もう外は真っ暗だよ。 それに庭はドロンコだ 』
『 部屋の中でやれるよ 』
本当にやれるかと私は危ぶんで立ち上ったが、
なるほどやって見ると、出来る。
少しつき合いをしているうちに、
ひとつどれだけ落さずに続けられるか、
やってみようということになった。
一番長く続いたのが五十回で、
あとは大抵三十回にならないうちに
どちらかがしくじった。・・・・・・・・
・・・弧をえがいて落ちて来る。その動きがきれいである。
『 いいものだなあ 』と思いながら、私は打ち返していた。
『 われわれの先祖はたしかにすぐれた美感を持っていた。
お正月の女の子の遊びに、羽子板でこういうものを打つことを
考え出すなんて。まるい、みがいた木の先に鳥の羽根をつけて、
それでゆっくりと空に飛び上って行き、落ちて来るまで
全部見えるようにこしらえるとは、よく考えついたもんだ! 』
いい年をした親父になって、今ごろこんなことを
感心しているのは、あまり賞められたものではない。 」(p185~186)
はい。これは随筆の始りの箇所で、これからが読みどころなのでしょうが、
私には、この箇所が読めればじゅうぶん(笑)。
さっそく、「日本のわらべ歌全集24・佐賀長崎のわらべ歌」(柳原書店)の
この箇所が思い浮かびました。最後にそれを紹介して終ります。
「 佐賀の子供たちは、初正月のお祝いにもらた羽子板で、
手製の羽根をついて遊んだ。
明治の頃までは、現在のように二人がつき合うのではなく、
一人で羽根を落とさないように、何回つけるかを較べあうものであった。
その頃の佐賀では、子供のいる家では、
羽根つきの羽根は、たいてい手製であった。
それはお正月の主料理に鴨(かも)が多くて、
どこでも鴨の羽毛があったからである。
冬になると有明海に鴨が渡って来て、鴨猟がはずむ、
暮れの街には、乾物や荒物を売っている店にも
鴨がぶら下がり、お歳暮用に売られていた。
子供たちは、ムクロ(無患子・むくろじ)の木の
黒くてかたい実に小さい穴をあけ、
むしった鴨の羽根の中から一番形のいいものを選んでさしこみ、
クサビを打ちこんで抜けないようにする。
かたい羽根はシンに、柔らかい羽毛はフワリと落とすための
抵抗にというふうに気を使ったようである。・・・ 」(p46)
うん。この説明のあとにある、羽根つき歌も最後に引用しておきます。
大黒さんという人は ( 羽根つき )
大黒さんという人は
ここのお国の 人でなし
天竺天から 舞いおりて
一つ俵を ふんまえて
二つにっこり 笑うて
三つ盃 さしよって
四つ世の中 よいやさ
五ついつもの ごとくなり
六つむくろじ 手にすえて
七つ何事 言わしゃんす
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