和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

大震災への『座右の書』

2024-04-26 | 地震
『安房郡の関東大震災』の講座までに、身近に置いときたい本が曽野綾子著
「揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録」(扶桑社・2011年9月10日)

これを座右の書に、関東大震災から東日本大震災へ、視野をひろげられれば、
さまざまな切口で、講座時間内に重層的な話題を提供できそうな気がします。

さてっと、直接に関係しないのですが、触発される箇所もいろいろあります。
たとえば、『田舎』というキーワード。そこを引用しておくことに。

「 自分の一存でやるべきことをやって、
  それがいけなかったのなら責任をとって野に還る、
  浪人をするなどという覚悟が昨今のエリートには全くない。

  昔は実際に親たちが田畑を耕している家庭があった。
  勤め先の世界が理不尽だと感じる時は、
  職も地位も捨ててとにかく田舎に帰れば食えたのである。

  今でも過疎になった農村に入ることを覚悟しさえすれば、
  農業一年生として生きることはできるだろうと、私は思うのだが
  ・・・・・
  とすると、いかなる事態になっても、紙に書いてある自分の任務以外は
  何一つできない役人が、緊急事態の被災地のあちこちにいて、
  その活動の邪魔になっても不思議はないのである。」 ( p196 )

今回、この箇所をパラパラとめくって思い浮かんだのは、柔道でした。
私の高校時代の体育の授業では、選択制で柔剣道を選んで受ける時間が
ありました。そこで選んだ柔道は、まずは受け身からはじまりました。
テレビで観戦する柔道は、倒されたら負けになるのですが、
あくまで、柔道の基本をはじめる際には、受け身からでした。
その『受け身』が思い浮かびました。
話しがそれました。

ここには、『田舎』という言葉があるのですが、
『田舎』と同時に『覚悟』という言葉もここにありました。
本の最後に方に『覚悟』という言葉がでてきておりました。
ということで、最後にそこを引用。

「東日本大震災の後すぐ、個人的な事情で
 私は被災地に入れない状況にあった。 」(p266)

そして四カ月目に現場に行くことになります。

「それでも私はでかけることにした。
 だから私は四カ月目の被災地の現場のほんの一部の大地に、
 たった2日間立たせてもらったに過ぎない。
 私は全体像どころか、私が見た限りの狭い断片的光景しか書けない。

 たぶんそれは、ほとんどいつも、記録者について廻る宿命のようなものである。
 つまり私たち記録者は、常に巨象を撫でる盲人で、
 ほかの印象を持つ多くの人の違和感を覚悟の上で
 書かねばならないのである。  」(p268~269)


はい。百年前の『安房郡の関東大震災』を
今度語ろうとするのですが、何だか背筋を伸ばしてくれる
そんな言葉をいただいているような気になります。

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