加島祥造訳「荘子 ヒア・ナウ」(パルコ・2006年)。
はい。古本で200円でしたので購入。
最後の短い著者略歴に、
加島祥造(かじましょうぞう)氏は
「1947年より詩グループ『荒地』に参加」とある。
なあ~んだ。加島氏は詩を書いていたんだ。
そう思いながら、この本をめくりました。
最後には24ページほどの、この本をめぐるご自身の
解説があり、読み甲斐がありました。
うん。全文引用したくなるのですが、
まあ、こんな箇所だけ引用。
「兼好、芭蕉、良寛は『荘子』を深く読んだそうです。
この人たちは体制社会からはっきり踏み出して生きようとした
アウトサイダーであり、『荘子』を真剣な本ととっていたに違いない。
この方向で見るとき、『荘子』は深い人生処方箋となるのですが、
いまは『面白さ』の筋だけをたどりたい。」(p206)
はい。この本について、ご自身の考えは明解でした。
「今年、2006年になって、この仕事に取りかかったのは、
ひとつの方向が見えたからで―――そうだ、『荘子』の
面白さと楽しさ、この1点にしぼってみよう」
(p198)
その方向で、『荘子』の各篇が選ばれて訳されており、
活字もゆったり。おきらくに、寝ながら読んでおりました。
ふたつほど、引用してみます。
「俺の考えていることを言ってやろうか。
そもそも目というものは、美しい色を見たがるもんだ。
耳ってものはいい音を聞きたがるし、
口はうまいものを食べたがる。
体も心も、好きなことをめいっぱいやりたがるようにできているんだ。
人間、いちばんの長生きで百年、中くらいは八十、
少し長生きのやつは六十だ。
一生の間、病を治すとか、死人をまつるとか、
心配ごとや気がかりなこと、そんなことがやたらにあって、
口を開けて大笑いするときは
月のうちで、まず四日か五日しかないんだぜ。
いろいろなめんどうごとをやめて
そのほんのわずかな時間を自由に生きたくないかい?
そういう時間こそ大切なんだが、それはな、
馬が走るのを戸口からちらっと見るくらいの短い時間なんだ。
この短い時間を喜んで嬉しがって過ごす――それが本当の生き方だ!
そういうことを教えられないやつなんか、師匠と呼べるかい?」
(p96)
ここは、どうやら孔子と論争しているみたいです。
最後に、もう一篇引用。
「 胡蝶の夢
荘子は自分が蝶々になった夢を見た。
あちらこちらと嬉しげに飛び回り、花の蜜を吸ったりして、
自分が荘子だということを忘れて動いていた。
と、突然目がさめて、ああ、私は荘子だったと気がついた。
そうして、こう思ったんだ。
そうだ―――
荘子である私が夢で蝶々になっていたんだ。
が、しかし待てよ、
あの蝶々のほうが夢を見ていて、いまここにいる荘子は
蝶が夢に見ている人間なのかもしれんぞ! 」(p37)
まるで、分かりやすい現代詩を、読んでいる気分。
ああ、こうして「荘子」を読んでゆければ楽しい。
そう思うと、荘子がぐっと身近に感じられてくる。
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