小西甚一による、追悼文のはじまり
「能勢朝次先生から、芳賀幸四郎著『東山文化の研究』という
巨冊を送っていただいた。それに添えて懇切なお手紙があり、
要旨は、本を貰って感心したら、もう一冊を買って、
やはり関心してくれそうな人へ進呈するのが、
感心料の払いかたなのだーーというようなことであった。
なるほど、先生のおっしゃるとおり、
感服のほかはない偉業だ。
これだけの業績をまとめるまでに、どれだけ
細密周到な調べが集積されたことか、
その辛苦がありありと追体験できる。
その時に抱いた芳賀幸四郎像は
『実証に骨身を惜しまない謹直な学徒』であった。
ところが、数年後、わたくしは・・助手を拝命したので、
先任の助手諸兄とだんだん知りあってゆくうち、
先方から『オウ、おまえが小西か。芳賀だ』と名宣る
巨漢に対面した。謹直でもなんでもない。
桁はずれのボスなのであった。・・・」(p23)
芳賀幸四郎追悼文集『一山行盡』からでした。
この芳賀幸四郎の子が芳賀徹。今日の
2020年3月4日産経新聞のオピニオン「正論」は
平川祐弘氏の文「高雅な友 芳賀徹の人柄をしのぶ」。
はい。興味深く読ませていただきました。
その新聞から、はじまりとおわりとを引用。
「・・昭和16年、山形から東京へ転校してきた芳賀徹・・
芳賀と私はその小学四年以来、中・高・大・大学院・留学、
そして勤め先・・同じで、比較文化研究の大学院を
平成4年の定年まで担当した。その芳賀が2月20日、
88歳で草葉の陰に去った。君の高徳をしのび、
敬慕哀悼の微衷を捧げる。
学問に豊かに芸術に敏(さと)く、第一級の人文学者だった。
人柄は優しく、優しいの『優』の字は人偏に憂いと書く。
人の憂いに感じる心が優しさだと学生のころから言った。
・・・」
これがはじまり、
そして終わりは、
「手紙に限らず、丁寧に推敲された芳賀の文章は
言語芸術として香り高い。絶品である。
しかし徹という人間はさらに高雅だった。
君の如き人を友とし得たことを私は生涯の幸福にかぞえる。
君去るも温容髣髴(おんようほうふつ)として目に浮かぶ。
いささか蕪辞を連ね、謝意に代える。・・・・」
もどって、私事。
芳賀幸四郎著「東山文化の研究」(河出書房・昭和20年)。
この古本を、注文することに(笑)。
「感服のほかはない偉業だ」という小西甚一氏の言葉。
「感心料の払い方」というレッスン料を払い。
これから、この古本を読むのが楽しみです。
どういう経緯で、このブログへ
いらっしゃったのでしょうか(笑)。
ブログを書いて、つながらるのは
うれしいことですね。
よろしくお願いします。
芳賀徹先生が亡くなられたのですか・・
駒場の教養で、70年の頃、先生のフランス語の授業を受けました。
外で全学連のみなさんのアジ演説が流れてきたとき、なんか皮肉めいたことを言われて・・。政治的な物言いはやはり避けるのが普通だった当時、「変わった先生だなあ」と思って、あの口を尖らした風貌とともに、よく印象に残ってしまいました。
先生の学問的な業績については、全く知りませんでしたが。「一山行盡」ですか。ほんとに学究的なかただったのですね。私のような凡人にはたどり着けない境地です。
ご冥福をお祈りしたいと思います。