安房郡の関東大震災当日。
大山村へ出張していた平川久太氏は、
急遽用務を中止して帰庁します。その平川氏の回顧の文があります。
「・・平群、瀧田、國府と北條に近づくにつれて
潰れ家、土地の陥没、亀裂等次第に烈しく・・・・・
橋は落ち道は崩れてはかどらず4時頃やうやう北條に着いた。
郡役所に馳せ付けて見ると郡衙、警察署、皆影も形もない。
職員はほこりまみれになって皆青黒く
半ば死想を帯び何かとそわそわして居た。・・・ 」
( p826 「大正大震災の回顧と其の復興」上巻 )
急使を買って出た重田郡書記は、県庁へと向かう途中で、
瀧田村役場へ寄って炊出し方の依頼をしてゆきました。
それが翌日届きます。
郡長はまた、救援方を山間部の町村に頼むこととして、
税務署の職員久我氏が、それへの急使を買って出ます。
安房郡長大橋高四郎氏が安田亀一氏に語っております。
「その翌朝未明には、隣接の各町村から約300人の救援隊が到着した。
俺(郡長)は全く嬉しかった。
之を分ちて一部を館山方面の救援に、一部を那古船形方面の救援に配置し、
残る大部分を俺の手許に置いて善後活動に当つて貰った。
俺のかうした覚悟と方針は、相当他の人の心にも影響したらしい。
俺はいつも損害をかこつ人に
『 家や蔵が何だ、目の玉の黒いのが此の上のない仕合せじゃないか、
泣言を云っては罰が当る。死んだ人や重傷を負ふた人に済まないじゃないか 』
と怒鳴るのが常であった。
郡役所の諸員は勿論、その他の官公衙、各団体の人々、
郡有力者諸君も、全く自己を忘れて盡して下さった。
郡民諸君もよく此の微力なる郡長を信じて協力して下さったことは、
永く感銘して忘れられない所である。 」
( p821~822 「大正大震災の回顧と其の復興」上巻 )
さらに「安房郡民に諭く」という諭告を、安房郡長大橋高四郎の名で発したり、
されておりますので、これらは次の機会に紹介したいと思います。
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