伊藤唯真著「未知へのやすらぎ〈阿弥陀〉」(佼成出版社・昭和54年)。
そこに「迎講」と題する箇所があり、何だか私には印象深い箇所でした。
「今昔物語集」「沙石集」「述懐抄」などから引用されているのですが、
ここには、「沙石集」からの引用箇所をとりあげてみます。
「・・この上人は、世間の人が正月はじめに
願いごとを祝い事にしている習いに従って、
大晦日の夜、使っている小法師に書状をもたせ、
『 明日元旦に門をたたいて物申せ、
自分がどこからきたかを問うから、
極楽よりきた、阿弥陀仏のお使だ、
阿弥陀からの文があるといって、
この書状をわたしに与えよ 』
といいつけて仏堂へ遣った。
さて元日となり、教えたとおり
小法師に仏堂から来させ、門をたたかせ、
しめしあわせたとおり問答した。
上人は裸足で飛び出て、小法師がさし出す書状を頂戴し読んだ。
それには
娑婆世界ハ衆苦充満ノ国也、
ハヤク厭離シテ、念仏修善勤行シテ、
我国ニ来ルベシ、我聖衆ト共ニ来迎スベシ
と書かれ、上人は涙を流しつつ、これを読んだのであった。
かくすること毎年であったという。
さて『沙石集』は、この元旦の奇特な行為に感心した国司が、
迎講を修したいという上人の願いを聞き、
仏菩薩の装束を整えさせ、かくて『聖衆来迎ノ儀式年久ク』、上人は
『思ノ如ク臨終モ、誠ニ聖衆ノ来迎ニ預テ、目出ク往生ノ本意ヲトゲ』た
と述べている。
そして、これが丹後国の迎講のはじまりであり、
天の橋立で始めたとも伝えていると書いている。 」(p195~196)
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