小林秀雄の本は20代頃に読んだのですが、
はたして、わかっていたのかどうか。
この頃、開こうという気もしないけれど、
本を捨てたわけではないので、小林秀雄はそのまま
本棚にあります。小林秀雄著「考えるヒント」は
短い文でなりたっているので、わからなくても
それなりに、よくひらきました。
はい。そのなかに『青年と老年』という文がある。
青年の時に読んで、今度は、老年の入り口で読むことに。
そのはじまりは、正宗白鳥氏をとりあげておりました。
「・・・・・・・
『つまらん』と言うのは『面白いものはないか』と問う事であろう。
正宗さんという人は、死ぬまでそう問ひつづけた人なので、
老いていよいよ『面白いもの』に関してぜいたくになった人なのである。
私など、過去を顧みると、
面白い事に関し、ぜいたくを言う必要のなかった若年期は、
夢の間に過ぎ、面白いものを、苦労して捜し廻らねばならなくなって、
初めて人生が始ったように思うのだが、さて年齢を重ねてみると、
やはり、次第に物事に好奇心を失い、言わば貧すれば鈍すると言った
惰性的な道を、いつの間にか行くようだ。のみならず、いつの間にか
鈍する道をうかうかと歩きながら、当人は次第に円熟して行くとも
思い込む、そんな事にも成りかねない。」
うん。このあとに、徒然草の引用があって
最後は、堀江謙一著「太平洋ひとりぼっち」に
ふれておわるのでした。その最後の方から、
ちらりと引用。
「断わっておくが、面白いものについてぜいたくになった者は、
面白いものを捜しているのだ。なるほど青年は皆面白い。だが、
自分の力で自分の若さをしっかりつかんでいる青年は、もっと
面白いはずではないか。」
う~ん。
『自分の力で自分の若さをしっかりつかんでいる青年』
でもなかったし、その延長で、
『自分の力で自分の老いをしっかりつかんでいる老年』
でもないのだろうなあ、さてどうしたものか。
この文は5ページほどの短さなので、簡単に読み返せました。
「若年期は、夢の間に過ぎ、面白いものを、苦労して捜し
廻らなければならなくなって、初めて人生が始ったように思う・・」
うん。
『初めて人生が始った』その時期にいるのだと、読むことにします。
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