和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『コピー』の技術。

2021-08-06 | 本棚並べ
梅棹忠夫著「知的生産の技術」なのですが、
再読で、まずはわたしに出来そうなことは、
『コピー』についてでした。

『知的生産の技術』の中の『コピーの技術』。
まず具体的な指摘を新書から、ピックアップ。

①論文公表のまえに、複写して数人の方に読んでもらう。
②手紙のコピー
③原稿のコピー

この順で引用してゆきます。
まずは①。

「・・・アメリカなどでは、論文や著者は、印刷して
公表するまえに、原稿の複写というかたちで、それぞれ
数人の専門家たちに目をとおしてもらう、というのが
ふつうのやりかたである。そういう原稿が、海をこえて
わたしどものところまでまわってくる。
ところが、こちらはそんなことは、したことがない。

印刷され、発表されたものをみているかぎり、
形はおなじだが、内容の吟味という点では、
あきらかに一段階ちがうのである。これを、
技術の不足にもとづく研究能力のひくさと
いわずして、なんであろうか。」(p5)

このあとに、『はじめに』の7ページには

「なぜこういうことが議論の対象にならないのかというと、
おそらくは、それがあまり日常的で、あたりまえのことだからだろう。

たとえば、複写の話しとか、資料の整理法とかも、
とりたてて『技術』というのもおかしいようなことなのだ。」(p7)


②は、新書の第8章「手紙」にありました。

「コピーの問題は重要である。
手紙のコピーをとって保管しておくというのは、
手紙というものにとっての、最小の必要条件だとおもうのだが、

日本では、会社や官庁の公文書は別として、いままで、
個人の手紙のコピーをとることは、ほとんど真剣にかんがえられていない。

これは、まったくおかしいことである。まえにだした手紙で、
自分が何をいったかわからなくなる、というのでは、
あまりにもひどいではないか。

その点、タイプライターなら、まったく問題はない。
・・・・わたしはそのおかげで、どれだけ便利をしたかわからない。

これは、カードとおなじで、われわれを記憶の重圧から
解放してくれるものなのである。すべてを、わすれてしまっていいのだ。
用件を処理するたびに、ファイルをとりだせば、そこには
必要な記録が全部ある。わたしたちは、安心してわすれていられる。

ということは、わたしたちがとりあつかいうる仕事の容量が、
うんと拡大されるということを意味しているのである。」
(p157~158)

はい。タイプライターが、現在はパソコンとしてある幸せ。
パソコンが壊れ、記録が消えてしまったことがある不幸せ。


③は原稿のコピー。
いまでは、手書きの原稿など負の記憶になりつつありますが、
この頃は、まだ手書きの原稿が普通だったころの話しです。

「あるアメリカのジャーナリストと話をしていたとき、
かれは、日本の原稿がすべて手がきであることをしって、
たいへんおどろいた。そして『コピーはどうしているのか』
とたずねた。わたしが、『コピーはとらないのがふつうだ』
とこたえると・・・・・」(p194)

はい。このくらいにして、
『知的生産の技術』の「おわりに」から引用。

「この本にのべたことは、どれひとつとっても、
理屈は、しごくかんたんである。・・・・・

どの技法も、やってみると、それぞれかなりの努力が
必要なことがわかるだろう。こういう話に、安直な秘けつはない。
自分で努力しなければ、うまくゆくものではない。」(p216)

ここに、『かなりの努力が』とあります。
そういえば、鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」に
清水幾太郎著作集を講談社で刊行する経緯が語られる箇所に、
複写機が故障する場面があり、そこが思い浮かびます。
さいごに、そこからの引用。

「岩波書店にも、中央公論にも、文藝春秋にも断られた
という大型企画・・『清水幾太郎著作集』である。・・・

晩年の保守化で清水さんは評判がよくなかったが・・・
それまで刊行されなかった方がおかしい。
会社をなんとか説き伏せて、企画を通してもらった。

さてそれからが大変である。戦前戦後あわせて、
清水さんの単行本は400冊をこえるという。
それを含め、雑誌まですべてコピーした

(複写機が故障し、アルバイトの女性から泣かれ、
結局自分で各3部コピーをつくった)。

それから何を収録するかの選択である。
卒論から遺著まで、ひととおり眼を通した。
厳密なことでは類を見ないお嬢さんの清水禮子さんとのやりとり。
ともかく全18巻・別巻1の全体構成を終え、
一部入稿したところで異動になった。・・・・・」(p28~29)

はい。途方もないコピーで、要した時間が
つい、気になってしまいます。
『結局自分で各3部コピーをつくった』という
鷲尾さんの編集者の仕事を思います。



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4 コメント

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Unknown (びこ)
2021-08-06 13:53:49
歌人小高賢氏が優れた編集者だったということがよくわかりました。
返信する
せめて (和田浦海岸)
2021-08-06 14:10:32
こんにちは。びこさん。

せめてわたしも、
手書きの手紙を書いた際には
すぐに投函することはせずに、
一度コピーしておく習慣をつけたいと
思ったしだいです。
返信する
コピー (きさら)
2021-08-07 08:23:13
重要な書類以外の手書きの手紙には
たいしたことを書いてないので コピーしていませんが たいてい何を書いたか覚えてませんね(笑)

私はこれまでのブログは全て プリントして紙として
残しています。膨大な量です(和田浦海岸さんの書物には 負けていますが)
返信する
ブログのプリント (和田浦海岸)
2021-08-07 08:47:05
こんにちは。きさらさん。

きさらさんは、ブログは全て
プリントして紙で残してるんですね。

うん。ブログを紙として残す。
そんな発想は、このグーブログに
参加してからは思ってもみませんでした。
さて、どうするかなあ(笑)。
ちょっと、考えてみます。

ちなみに、
ブログへのコメントというのも、
手紙の範囲に入れるかどうか?
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