和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

家ごとの祭。

2023-11-24 | 詩歌
定期購読している月刊「Hanada」1月号が今日の郵便で届く。
平川祐弘氏の連載「詩を読んで史を語る」の
第19回は「正月と唱歌と俳句」となっておりました。

うん。この箇所を引用したくなります。

「 ・・他の公的な四大節と違って
  正月とお盆は家ごとの祭である。 」(p324)

このあとに、平川氏は昭和40年代の末に書いて
知友に送った『謹賀新年』の御挨拶の年賀葉書(?)の文面を
引用しております。それは端折って、その次にこうありました。

「 神道は四季の推移と関係する。・・・
  
  西洋でも復活祭と春は結びつくが、
  キリスト教神学は季節無しで成立するだろう。

  だが季節抜きの神道は考えにくい。
  俳句に季語が無くてはならぬようなものだ。
  俳句は神道気分を表現することが多いから、
  神祇(しんぎ)の項目が歳時記にも見える。

  近年の俳句歳時記はその部分が薄目で、それだけ味気ない。
  角川書店版は特にいけない。
  『文化の日』とあって『明治節』はなかったりする。 」(p325)

「 かつて≪君が代≫の悪口を言う首相が日本に登場した時、
  実に厭な気がした。曲が古風に過ぎるという批判だが・・・
  時代遅れ、非科学的という批判だが

  『古今集』に由来する、天皇の治世を寿ぐ和歌であるところがめでたい。
  石にも霊があり、さざれ石が時を経て巌となる、
  という発想がフランスの地方にもあることを
  彼の地の文化人類学者から聞いた時、ほほえましく思った。
 
  そうした古俗の信仰を近代国家の成員が
  うたうところに妙趣がある。         」(p326)


貴重な指摘が、惜しげもなくさらりさらりと語られる連載なのですが、
はじめてきく、うれしい指摘に満ちており、つい引用したくなります。

最後に、もう一箇所、引用しておきます。
それは、この文のはじまりの箇所でした。


「  新しき年の始の初春の
   今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)

 新年を祝う風習は古い。
 『万葉集』巻20の最後の歌は
 大伴家持(717~785)の作だが、
 因幡の国で詠まれた。

 吉事(よごと)とは目出度い事で、
 年の始めの初春の今日、
 降る雪のように、良い事よ、いよいよ積り重なれ、
 と雪にかけて年賀を述べた。
 延暦3年正月の宴の歌で・・・・   」(p316)


はい。雑誌1月号で、平川祐弘氏の文を読めるという幸せ。

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