定期購読している月刊「Hanada」1月号が今日の郵便で届く。
平川祐弘氏の連載「詩を読んで史を語る」の
第19回は「正月と唱歌と俳句」となっておりました。
うん。この箇所を引用したくなります。
「 ・・他の公的な四大節と違って
正月とお盆は家ごとの祭である。 」(p324)
このあとに、平川氏は昭和40年代の末に書いて
知友に送った『謹賀新年』の御挨拶の年賀葉書(?)の文面を
引用しております。それは端折って、その次にこうありました。
「 神道は四季の推移と関係する。・・・
西洋でも復活祭と春は結びつくが、
キリスト教神学は季節無しで成立するだろう。
だが季節抜きの神道は考えにくい。
俳句に季語が無くてはならぬようなものだ。
俳句は神道気分を表現することが多いから、
神祇(しんぎ)の項目が歳時記にも見える。
近年の俳句歳時記はその部分が薄目で、それだけ味気ない。
角川書店版は特にいけない。
『文化の日』とあって『明治節』はなかったりする。 」(p325)
「 かつて≪君が代≫の悪口を言う首相が日本に登場した時、
実に厭な気がした。曲が古風に過ぎるという批判だが・・・
時代遅れ、非科学的という批判だが
『古今集』に由来する、天皇の治世を寿ぐ和歌であるところがめでたい。
石にも霊があり、さざれ石が時を経て巌となる、
という発想がフランスの地方にもあることを
彼の地の文化人類学者から聞いた時、ほほえましく思った。
そうした古俗の信仰を近代国家の成員が
うたうところに妙趣がある。 」(p326)
貴重な指摘が、惜しげもなくさらりさらりと語られる連載なのですが、
はじめてきく、うれしい指摘に満ちており、つい引用したくなります。
最後に、もう一箇所、引用しておきます。
それは、この文のはじまりの箇所でした。
「 新しき年の始の初春の
今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
新年を祝う風習は古い。
『万葉集』巻20の最後の歌は
大伴家持(717~785)の作だが、
因幡の国で詠まれた。
吉事(よごと)とは目出度い事で、
年の始めの初春の今日、
降る雪のように、良い事よ、いよいよ積り重なれ、
と雪にかけて年賀を述べた。
延暦3年正月の宴の歌で・・・・ 」(p316)
はい。雑誌1月号で、平川祐弘氏の文を読めるという幸せ。
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