カタログ「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」(国立民族学博物館)の中の
写真に「人文科学研究所分館での増築祝いの会」(p103)という一枚がある。
玄関らしきまえに立っている、写真の面々はというと、
会田雄次、桑原武夫、貝塚茂樹、藤枝晃、樋口謹一、梅棹忠夫。
そういえば、藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社・1984年)に
会田雄次がでてくる場面がありました。
はい。その箇所が思い浮かんだので引用しておくことに。
「教官の名札のかかった研究室の並ぶ廊下をあるいて、
『 ここは学者長屋ですな 』といった人がいる。 」(p142)
こうはじまっておりました。
「・・研究所のメール・ボックスもアパートのように玄関ホールの
一隅にあった。銭湯の脱衣を入れる棚を小さくしたようなもので、
その一つ一つにも、先生がたの名前がかかれていた。・・
ときたま、會田雄次先生をお見かけすることがあった。
長身でやせ型の先生が、心もち肩をすぼめるようにして、
玄関ホールの階段の横で、書類のようなものを立ち読みしていらっしゃる。
はじめのうちは目礼をして通りすぎるだけだったが、そのうち
あいさつをするようになった。そのころ會田先生の研究室は二階にあった。
先生は出勤してこられると、メール・ボックスをのぞいて、
なかのものをとっていかれる。あるとき、メール・ボックスの前で
顔をあわせたら、先生はこんなことおっしゃった。
『・・・・ときどき、合田になっていたり、雄二とかいてあったりする
のがきます。とくにダイレクトメールなどにそれが多い。そういうのは、
封を切らずに、階段の下にあるごみ箱へ落していくんですよ。
あて名のきちんとしたのだけ封を切って、ええ、ここで切ってしまって、
階段の下でさっと目を通し、自分のほうから用がないと思ったのは、
その場で処分してしまいます。
階段のところにごみ箱がおいてあるのは便利ですよ。
二階まで持っていく労力がはぶけますから。
いらんものはためこまないこと、これがぼくの整理法ですな 』
・・・『 まあ。それで困られるようなことはないのですか 』
はっきりしているというのか、思い切りがいいというのか、
なんでもすぐにはすてない主義の梅棹先生とは正反対の
會田式整理法に驚いたわたしは、そうたずねないではいられなかった。
『・・・・・・なんでも残しておくと、
今度はそのお守(も)りがたいへんですわ。
入れ物と、それをお守りする人と、それを置いておく場所と、全部
面倒みていかんならん。そりゃあ、たいへんなお金と労力がかかります。
わたしはそんなこと、ようしませんから、
ごらんのようにここで始末をつけていきます 』
そういい残して、會田先生は二階へあがっていかれた。
・・・・・
それにしても一方にフクロのような歯止めの装置を考えてまで
物を残そうとする人がいるかと思えば、
他方には、玄関先で切りすててしまう人がいる。
その両極端を身近で見たわたしは、
ファイリング・システムの番人をしている自分の存在を考えてしまった。」
( ~p146 )
引用がまたしても長くなりました。
最後は、『知的生産の技術』から、ここを引用。
「 そこで、知的生産の『技術』が重要になってくる。
はじめは、研究の技術というところから話をはじめたが、
技術が必要なのは研究だけではない。一般市民の日常生活においても、
『知的生産の技術』の重要性が、
しだいに増大しつつあるようにおもわれる。
資料をさがす。本をよむ。整理をする。ファイルをつくる。かんがえる。
発想を定着させる。それを発展させる。記録をつける。報告をかく。
むかしなら、ほんの少数の、学者か文筆業者の仕事だった。
いまでは、だれでもが、そういう仕事を
しなければならない機会を無数にもっている。
生活の技術として、知的生産の技術を
かんがえなければならない理由が、このへんにあるのである。 」
( p13 「知的生産の技術」の「はじめに」 )
今回の引用から、たまには家のポストを開ける際に
會田雄次氏の顔が思い浮びそうな気がしてきました。
ちなみに、わたしはダイレクトメールでも裏面が白紙のものは取って置き、
メモ用紙として使い。封筒も何かにつかえると思い残しておくタイプです。
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