講談社学術文庫の寺田寅彦著「天災と国防」の
解説は畑村洋太郎氏でした。その解説の中に、
想定外を語っており、私に印象深かったのは、
この箇所でした。
「柔軟な発想ができる子どものときに
災害や危険に備えるための教育を行ったほうがいい
というのは、私の考えとも一致している。
ここで注意しなければいけないのは、
子どもたちに教える中身は『安全教育』ではなく
『危険教育』でなければならないという点である。
『こうすれば安全になる』という危険回避の方法だけを教えるのではなく、
どこにどのような危険があるかも教える必要があるという意味だ。
これがないと想定外の問題に柔軟に対処するために必要な
内部基準を自分の中につくることができないので、
その点は要注意である。」(p196)
もう一冊引用します。
大石久和著「国土が日本人の謎を解く」(産経新聞出版・平成27年)。
ちなみに、こちらは、新しく前書きを添えて新刊がでているようです。
そのなかにでてくる『想定外』を引用してみます。
ここでは、斎藤健氏の本からの紹介となっております。
「日本の敗戦後、モスクワ近郊の俘虜収容所に・・・」
とあります。すこし飛ばして、ここから引用。
「ソ連での俘虜の例は、
『生きて虜囚の辱めを受けず』という誤った戦陣訓があったこともあって、
『捕虜になった自分』というものを想定することすらしていなかったために、
捕虜となったときに、『何をしてよいのか、何をしてはならないのか』が
まったくわからなくなっていたということもある。
日本軍人として保つべき機密も、日本人であることの誇りも、
すべて消えたのである。なるべきでない状態を想定していないから、
自分自身が消えてなくなってしまったという残念で情けない
象徴的な例となっている。
・・・本来守るべきものが何で、失っているものは何なのか
ということすら、わからなくなったといったことが象徴的に
あらわれている。これは戦陣訓の規定が間違っていたからと
いうだけではなく、私たちの帰属から離れたときの弱さなのである。」
(p186・第七章「なぜ日本人はグローバル化の中で彷徨っているのか」)
うん。ここはまだ続くのですが、引用はここまで。
私がここを読んだときに思い浮かんだのは、
憲法九条でした。かりに隣国が攻め込んできた際に、
ここでも、
『自分自身が消えてなくなってしまったという
残念で情けない象徴的な例‥』がまた繰り返される。
という、これは想定外の出来事ではなく、想定内の出来事。
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