谷沢永一氏の対談での言葉でした。昭和4年生れの谷沢さんにとって今現在は貴重な時間であります。ということで
「いつからかは覚えていませんが、本を買うのに、あとで買おう、安いときに買おうとは思わなくなりました。本が出たとき、親の敵とばかりに買ってしまいます。それに、かねてから欲しかった本を手に入れることは、気を落ち着かせる作用があります。何十年も前から和辻哲郎の『古寺巡礼』の初版を持ちたいという気持ちがありまして、昨年、それをやっと手に入れました。裸本ですが間違いなく初版です。長年気にかかっていた本がこの年で手に入るのは非常にうれしいものです。」(p233「人間は一生学ぶことができる」PHP研究所)。
このうれしさの恩恵を、私たちがうけている、と思える箇所があります。
それは、谷沢永一著「読書通――知の巨人に出会う愉しみ」(学研新書)の中の美術史学者・矢代幸雄を取り上げた箇所にあります。
「さて若き日の矢代幸雄は、天の恵みとも思われる三渓原富太郎の知遇を得た。主として東洋美術では近代最高とみなされる蒐集(コレクション)による実地の薫陶(くんとう)によって養われた鑑賞眼が、のちの彼を支える決定的な素地となった。三渓はもっぱら自己独自の傑出した感覚に基づいて粒選りの名品をそろえ、趣味を同じうする選ばれた人たちには惜しげもなく見せて語り合うのを常としたのである。和辻哲郎は三渓と夫人同士が親友であった関係から、自然に三渓の影響を受けた。その結実が彼の奈良旅行による『古寺巡礼』(大正八年初版発行)が生まれた。この書はのち改訂されて今は岩波文庫に収められているけれど、矢代幸雄の眼には、初版の方が、より自然な感情の流露があって興味ぶかく感じられると言う(「私の美術遍歴」)。」(p73~74)
初版『古寺巡礼』を手に入れた谷沢永一氏の具体的な感想はというと、この新書では、それ以上の言及はありませんでした。何だか気になるなあ。まあ、それはそれとして、新書『読書通』のなかに谷沢さんが「いきなり棍棒で殴られたような気分であった」という箇所あります。それは、どうやら谷沢永一氏の信条になっているかのように思えるのでした。最後にその箇所を引用しておきます。
「あれは昭和30年代の初頭であったか、天野(敬太郎)先生が『日本古書通信』に「近代作家書誌案内」の連載を始められた。まことにありがたい快挙である。たまたま私は国文学のうち近代文学専攻という割り当てになっているので、かねてから近代の書誌には多少とも気を配り、やや稀少の材料を手許に置いているが、天野先生の目もそこまでは届かない。そこで私はさかしらに、先生がまだご存知ない近代書誌資料の若干を、天野方式で覚書(メモ)に認(したた)め、図書課長の席へお届けした。先生はにこやかにそれを受け取られたものだから、お役に立ったと私も安心していた。それから三ヶ月余、私の覚書による資料が天野先生の「近代書誌案内」に掲げられた。それを見たときの衝撃は今も忘れられない。私がお届けした資料のすべてを、先生は順に掲げられているのだけれど、それらすべての項目に、(未見)、とはっきり注記してあるではないか。いきなり棍棒で殴られたような気分であった。天野先生は私の覚書なんてはじめから一切信用されていない。ご自分の眼でじかに確かめた物件のみが先生にとっての資料なのだ。我が眼で確かめたもの以外は絶対に信用しない。他人からの伝聞を軽々しく採り上げるようでは、その記載、その資料について、自分は責任を持たないのであるぞ。これが天野先生による私への痛撃であった。そうでなければいけないのだと納得した私は・・・・」(p63~64)
こうして谷沢さんは、天野先生にご自分の蔵書を見せて確認してもらうのでした。
それにしても、初版『古寺巡礼』を読んでみたいなあ。
そう思いませんか。
ここから私は、あらぬことを思い描くわけです。
どなたか名編集者が初版の古寺巡礼を出版しようという企画を出す。
どうすれば、出せるのか文庫のかたちではどうか?
「そうだ 京都 行こう」のJR東海とタイアップするとか。
いまだ高校の修学旅行では(私の地方でもそうです)京都・奈良方面へ出かけるところが、まだ多いかと思われます。そういう高校の先生方が買うのじゃないか(無理か)。そうして、どなたかが「古寺巡礼」の初版の魅力を語る。名書評家がいいですが、ともかくもネット上の書評家各位へと見本刷りを配布するのです。その昔の高校生で修学旅行へ出かけた50代以上の読者も、きっと読みたいと思っているのじゃないか。・・・とまあ、都合のよいことを思うわけです。それもこれも、ひとえに読みたいからなので。どこかの出版社でこの企画を取り上げるところがないかなあ。それにしても読んでみたいなあ。谷沢さんが何十年も前から欲しがっていた本なのですから、時間はどのくらいかかって待ちましょう。
ここはひとつ、谷沢永一氏に推薦文を書いてもらえればなあ。
とりあえず。現在の岩波文庫「古寺巡礼」を、その初版のことを思い描きながら読み直してみるということにぐらいが私にできることかなあ。
おっと、そうじゃなかったのです。
谷沢永一著「読書通」(学研新書)からは、本の峰々がそびえたつ壮観。そのまえでおろおろとしてしまうほどに圧倒させられるのでした。
「いつからかは覚えていませんが、本を買うのに、あとで買おう、安いときに買おうとは思わなくなりました。本が出たとき、親の敵とばかりに買ってしまいます。それに、かねてから欲しかった本を手に入れることは、気を落ち着かせる作用があります。何十年も前から和辻哲郎の『古寺巡礼』の初版を持ちたいという気持ちがありまして、昨年、それをやっと手に入れました。裸本ですが間違いなく初版です。長年気にかかっていた本がこの年で手に入るのは非常にうれしいものです。」(p233「人間は一生学ぶことができる」PHP研究所)。
このうれしさの恩恵を、私たちがうけている、と思える箇所があります。
それは、谷沢永一著「読書通――知の巨人に出会う愉しみ」(学研新書)の中の美術史学者・矢代幸雄を取り上げた箇所にあります。
「さて若き日の矢代幸雄は、天の恵みとも思われる三渓原富太郎の知遇を得た。主として東洋美術では近代最高とみなされる蒐集(コレクション)による実地の薫陶(くんとう)によって養われた鑑賞眼が、のちの彼を支える決定的な素地となった。三渓はもっぱら自己独自の傑出した感覚に基づいて粒選りの名品をそろえ、趣味を同じうする選ばれた人たちには惜しげもなく見せて語り合うのを常としたのである。和辻哲郎は三渓と夫人同士が親友であった関係から、自然に三渓の影響を受けた。その結実が彼の奈良旅行による『古寺巡礼』(大正八年初版発行)が生まれた。この書はのち改訂されて今は岩波文庫に収められているけれど、矢代幸雄の眼には、初版の方が、より自然な感情の流露があって興味ぶかく感じられると言う(「私の美術遍歴」)。」(p73~74)
初版『古寺巡礼』を手に入れた谷沢永一氏の具体的な感想はというと、この新書では、それ以上の言及はありませんでした。何だか気になるなあ。まあ、それはそれとして、新書『読書通』のなかに谷沢さんが「いきなり棍棒で殴られたような気分であった」という箇所あります。それは、どうやら谷沢永一氏の信条になっているかのように思えるのでした。最後にその箇所を引用しておきます。
「あれは昭和30年代の初頭であったか、天野(敬太郎)先生が『日本古書通信』に「近代作家書誌案内」の連載を始められた。まことにありがたい快挙である。たまたま私は国文学のうち近代文学専攻という割り当てになっているので、かねてから近代の書誌には多少とも気を配り、やや稀少の材料を手許に置いているが、天野先生の目もそこまでは届かない。そこで私はさかしらに、先生がまだご存知ない近代書誌資料の若干を、天野方式で覚書(メモ)に認(したた)め、図書課長の席へお届けした。先生はにこやかにそれを受け取られたものだから、お役に立ったと私も安心していた。それから三ヶ月余、私の覚書による資料が天野先生の「近代書誌案内」に掲げられた。それを見たときの衝撃は今も忘れられない。私がお届けした資料のすべてを、先生は順に掲げられているのだけれど、それらすべての項目に、(未見)、とはっきり注記してあるではないか。いきなり棍棒で殴られたような気分であった。天野先生は私の覚書なんてはじめから一切信用されていない。ご自分の眼でじかに確かめた物件のみが先生にとっての資料なのだ。我が眼で確かめたもの以外は絶対に信用しない。他人からの伝聞を軽々しく採り上げるようでは、その記載、その資料について、自分は責任を持たないのであるぞ。これが天野先生による私への痛撃であった。そうでなければいけないのだと納得した私は・・・・」(p63~64)
こうして谷沢さんは、天野先生にご自分の蔵書を見せて確認してもらうのでした。
それにしても、初版『古寺巡礼』を読んでみたいなあ。
そう思いませんか。
ここから私は、あらぬことを思い描くわけです。
どなたか名編集者が初版の古寺巡礼を出版しようという企画を出す。
どうすれば、出せるのか文庫のかたちではどうか?
「そうだ 京都 行こう」のJR東海とタイアップするとか。
いまだ高校の修学旅行では(私の地方でもそうです)京都・奈良方面へ出かけるところが、まだ多いかと思われます。そういう高校の先生方が買うのじゃないか(無理か)。そうして、どなたかが「古寺巡礼」の初版の魅力を語る。名書評家がいいですが、ともかくもネット上の書評家各位へと見本刷りを配布するのです。その昔の高校生で修学旅行へ出かけた50代以上の読者も、きっと読みたいと思っているのじゃないか。・・・とまあ、都合のよいことを思うわけです。それもこれも、ひとえに読みたいからなので。どこかの出版社でこの企画を取り上げるところがないかなあ。それにしても読んでみたいなあ。谷沢さんが何十年も前から欲しがっていた本なのですから、時間はどのくらいかかって待ちましょう。
ここはひとつ、谷沢永一氏に推薦文を書いてもらえればなあ。
とりあえず。現在の岩波文庫「古寺巡礼」を、その初版のことを思い描きながら読み直してみるということにぐらいが私にできることかなあ。
おっと、そうじゃなかったのです。
谷沢永一著「読書通」(学研新書)からは、本の峰々がそびえたつ壮観。そのまえでおろおろとしてしまうほどに圧倒させられるのでした。
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