和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

関東地震の個性。

2013-12-10 | 前書・後書。
武村雅之著「関東大震災」(鹿島出版会)のまえがき。

「地震防災のように日常生活に肉迫しなければならないことに科学はあまり役立たない。実感がもてない説明で、一般の人に地震防災に向けての行動を督促するのは無理難題と言えるかもしれない。・・・・関東地震の個性を少しでも感じ、そのことが日本に住む限り永遠に続く地震とのつき合いへの一助になれば望外の喜びである。」

う~ん。「関東地震の個性」というのは、いいなあ。
そのまま、題名にしたくなります。
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丸山丈作の関東大震災。

2013-12-09 | 地震
丸山丈作の「東京府立第六高等女学校」に

「新しい学校ができて、はじめて私が校長になった年の9月1日に、関東大震災がありました。あの震災は私にもいろんな意味でショックでしたが、なかでも、強く心を打たれたのは、被服廠跡で何万人という人が死んだという、あのことです。その人たちのなかには、もう少し歩けば上野の山なりなんなり、安全なところへ避難できたのに、疲れきってしまって、つい手近な被服廠跡へ逃げこんで、そうしてそこでみんな焼け死んだのです。
それをみて、女だから、歩かないでいいという、これまでの教育はまちがっていた、と心底からそうおもいました。こういうとき、日ごろから足を鍛えておけば、あの被服廠で死んだたくさんの女の人だって、死ななくてすんだにちがいない、うちの学校でもなんとかして足を鍛える訓練をしなければならないと、そう感じたのです。」(p218)

「暮しの手帖」1964冬号 77号
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口承文学の魅力。

2013-12-08 | 前書・後書。
気になったので、
鶴見太郎著「柳田国男入門」(角川選書)を注文。
それがとどく。

あとがきに、

「・・・口承文学の魅力という点で『遠野物語』ほど、日本近代にその価値をしっかり刻みつけた書物はないのであって、その成果を今後伝えていく上でも、同書(注:遠野物語)は刊行され続ける必要があると宮山氏にお話しした。・・本書執筆の機縁はまさにそこにあるといえる。
柳田国男の中には、生活にかかわる眼前の問題に対し、民俗学はそれにどこまで応えることができるか、という問いが常にあった。・・・」

うん。ありがたい。この本は楽しめそうです。
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歩け、歩け、でした。

2013-12-07 | 短文紹介
大橋鎮子著「『暮しの手帖』とわたし」(暮しの手帖社)に
第六高女へ入学することが書かれていて、
そこを引用。


「いよいよ昭和7年二月ごろから、女学校の入学試験が始まりました。
・・・・・・
文化学院より府立第六(現東京都立三田高校)がいいと母が言います。
担任の先生も第六がいいとおっしゃいます。
・・・
第六では、一週間に四、五時間は体操の時間がありました。
それも、歩くことが健康の要ということで、
とにかく歩け、歩け、でした。
体操の時間には歩き方の訓練があり、
背筋を伸ばして、膝を伸ばして、
とくりかえし言われるので、
みんな、すっ、すっと歩くのが身に付きます。
月に一度は遠足があって、
三里(12キロ)ほど歩かされました。
それに年に二度、『適応遠足』といって、
全校生徒がいっしょに行動します。
これは自分の力に合った距離を選んで歩くのです。
年によって、行き先が変わったようですが、
私たちのときは、多摩川の土手を歩きました。
川崎駅が出発点で、終点は日野。
川崎から十里(40キロ)になります。
多摩川の土手を川上に向かってずっといきますと、
私鉄がいくつか交わります。
途中、二里(8キロ)、六里(24キロ)で歩くのをやめて、
それぞれ、もよりの目蒲線の多摩川園前駅、
小田急線登戸駅から電車に乗って帰ってもいいのです。
校長の丸山丈作先生が思いつかれた方法でした。
丸山丈作校長については、「暮しの手帖」77号(昭和39年 1964年)に
特集を載せていますが、とにかく
生徒が大事、生徒の健康が大事と考えられた先生でした。」(p53~54)

この箇所を読んだとき、
さっそく、ネット古本屋で、
1964年冬号77号「暮しの手帖」を手にいれました(笑)。
また、その雑誌の丸山丈作先生の文を読み返しております。
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つぎはぎして。

2013-12-05 | 前書・後書。
鶴見俊輔著「文章心得帖」(ちくま学芸文庫)が届く。
最後の解説(加藤典洋)を読む。

「まえがきに、子供のころから作ってきたという書き抜き帖の話が出てくる。その後、おつきあいが生じてから、いちど見せていただいたことがある。それは文房具店で売っている、中学生が使っているような、ごくふつうの並製ノートだった。『日本の名文家のように日本語を書こうという理想にしばられなくなった』、『人間の持っている様々な表現手段を、つぎはぎしていろいろに使って、自分の言いたいことを言おうというところに気分が落ち着いた』。文章を書くということの軸足が、文章を書くことの外側にはみ出ている。そのぐらぐらした足場に立っている感じ、よろけた感じからくる元気が、私の背中を押したのである。
この本で鶴見さんは、文章をどう書けばよいのか、という問いには立っていない。聞こえてくるのは、私はこんなふうに文章を書いてきました。という物語のなかの登場人物ふうの声である。その声がまたときどき、私は、こんなふうに生きてきました、とも聞こえてくる。」(p205~206)

ちなみに、加藤典洋氏の解説の最後の言葉は、

「・・・・ふくらみのある一言や、二言で、人は当分、元気にやっていけるものなのである。」(p217)
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共有の財産。

2013-12-04 | 前書・後書。
谷川健一著「露草の青 歌の小径」(冨山房インターナショナル)。

「はじめに」は
こうはじまっておりました。


「現代短歌に対する私の疑念は、短歌が文学であるという固定観念に自縛されているのではないか、ということである。柳田國男は、歌は国民の共有の財産で、日本人の精神を豊かに美しくするものとして、日本人がみんなでたのしむものだという考えから、歌を国民の『おもやひのもの』と呼んだ。昔は、共同社会の名も無き人びとによって『よみ人知らず』と書かれた歌が大部分であり、それが文学とは夢にも思わなかった。・・・・」
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1.3倍速。

2013-12-03 | Weblog
昨日の「ニュースウオッチ9」は
バラエティ番組を見てるようでした。
残念。キャスターの肉声が聞けない。
新聞を読んでから、時間がかかるのかなあ。
今日のは、ビデオで録画して、あとで倍速で見てみることにします。

もう、12月でした。
寒いと、夜は布団にもぐりこむ。
本を読まないと、あれこれ、
再読したい本が浮かび、
本が一冊、本が二冊・・・・。
そのうちに、寝てます(笑)。

そういえば、
大橋しず子さんは今年の3月に亡くなっておりました。
そういえば、「暮しの手帖」社って、
スタジオジブリみたいだなあ。
さしあたり、宮崎駿が花森安治で
鈴木敏夫が大橋しずこ。
なんてことを、
大橋いずこ著「『暮しの手帖』とわたし」の
表紙カバーの絵を見ながら
布団のなかで思います。
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頑張れ大越キャスター。

2013-12-02 | テレビ
曽野綾子さんの産経新聞でのエッセイで
同じ産経新聞内での記事や意見を、とりあげる文があったりします。
なんだか、水木しげるの「テレビくん」を思い出します。
テレビくんは視聴者なのに、テレビのなかで、ゴロゴロしています。
曽野さんのエッセイは、産経新聞のなかでゴロゴロしたりします。
こうした書き方があるのかと印象に残る。
さてっと、
今日の12月2日の産経新聞を読んでいたら、そんなことを思い出しました。
個別に署名文を書いているのに、同じような指摘をしているのが面白かったのです。

では、さっそく引用。

岡崎久彦氏が「正論」欄に書いておりました。
その最初の方にこんな箇所。

「・・最近、戦後世代の評論家と対談した。
考え方は私と同じで、人格識見とも非難の余地のない人であったが、一つだけ違和感を抱いたのは歴史上の人物、業績に触れる際に声を大にしてその人格、政策の欠点を批判する点であった。
戦後教育のどこかで、殊更に政治、社会の非を鳴らし、人物の欠点を糾弾しなければならないように教えているのではないか。・・・」

次に引用するのは一面と二面にわたって櫻井よし子さんが書いている「美しき勁き国へ」でした。そこから


「特定秘密保護法案に関する一連の報道にも、同質の偏りを感じる。同法案が衆院で可決された11月26日の『ニュースウオッチ9』を具体的に見てみよう。
同日の『9』は、冒頭で同法案を取り上げたがその論調はおそよ反対一色だった。国会前で拡声器で法案反対を訴える人々の大音声や衆院国家安全保障特別委員会で、委員長席に詰め寄る民主党議員らの映像を見せつつ、『9』は安倍晋三首相以下、自民党の中谷元・特命副幹事長らの意見に、民主、日本維新の会の『強行採決は委員会運営の失敗』『数の横暴』などのコメントを対比させながら報じた。後半部分では浅田次郎日本ペンクラブ会長の『時代に逆行』との非難、採決前日、福島の公聴会に出席した馬場有浪江町長の『はじめに結論ありきだった』との批判を紹介し、政治部が解説した。
補正予算、税制改正、外交日程などで会期延長が困難な中、採決に踏み切ったという国会日程の表面的事象のみの説明だ。
番組キャスターの大越氏が、日程ありきの審議を批判し、中身の濃い議論に期待する旨語って、同コーナーは終わった。約12分間、NHKは法案の内容も、必要論も賛成論も伝えず、結局、反対論ばかりを伝えた。・・・」

うん。こういうニュースにウンザリさせられる私は、バラエティ番組へチャンネルをかえることしばしばなので、よく言ってくださったと思うわけなのです。
今日の『9』では大越氏がどのようなコメントをするかで、これからの『9』のあり方を占うことになる。頑張れ大越キャスター、NHKという組織の中でどれほどのことが言えるのか。はたまた言えないのか。
今日は『9』を見てみよう。こういう新聞での意見がでたあとに、当り障りのない受け応えをするキャスターになるかどうか。大越さんの真価が問われるのですが、番組の最後にちょこっと触れたりするのじゃないかと、いまから心配しております(笑)。

頑張れ大越キャスター。
ニュースに、そっぽを向かれ
バラエティー番組へと替えられるかどうか。
今日の「ニュースウオッチ9」は
最後まで観戦することにします。

うん。「ニュースウオッチ9」を
見るのは、今日でしょ。
今日の産経新聞のご意見を、
真正面にうけての
大越キャスターのゴロゴロぶりを観戦できるかどうか(笑)。
たのしみにしております。
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ポップ・カルチャーの本質。

2013-12-01 | 前書・後書。
鈴木敏夫著「風に吹かれて」(中央公論新社)は
渋谷陽一さんが鈴木敏夫氏へインタビューしたのをまとめた一冊。
「あとがき」に鈴木さんが書いております。

「このインタビューがゲラになったころ、彼から電話を貰った。
『僕のインタビューの中でも三本指に入るモノになった』
嬉しそうだった。勝ち誇っていた。
彼と僕とは二歳違い。同世代に属する。
ずいぶんと昔、彼の使った言葉が印象的だった。
『だれしも時代の洗礼を免れることはできない』
おそらく20年以上前のことだろう。
それを僕はずっと憶えていた。・・・」(p394)

「まえがき」は、渋谷陽一。そこには、

「僕はポップ・ミュージックと長くかかわって来て、
ポップ・カルチャーの本質は、
その表現の中に
他者の視線をとり込む事ができるかどうか
という事だと気付いた。
ポップ・ミュージック以上に、
アニメーションは構造的に
ポップである事を宿命付けられている表現だ。・・・・」(p9)


うん。私はこの「まえがき」と「あとがき」とで満腹。

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