和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

もしぼくが谷内六郎論を書くのなら。

2018-12-15 | 道しるべ
古本ですが、
新潮文庫「谷内六郎の絵本歳時記」は
谷内六郎・絵と文。横尾忠則・編となっております。
解説は横尾忠則さん。
そのはじまりは、
「谷内六郎さんは『週刊新潮』の表紙を
二十五年間一回も休まず千点以上も描き続けてこられた。」

興味深かったのは、この箇所

「・・・もしぼくが谷内六郎論を書くようなことがあれば、
こんなふうに全作品についてメモを取ったものになるでしょうし、
それがそのままひょっとしたら
ぼくの自伝にもなってしまうかもしれません。
子供の頃にかえりたい時、
また失ったものを取り戻したい時、
そして本当の自分を知りたい時、
そんな時、谷内六郎さんの絵が
あることをぼくは最高に幸せだと思います。」


この文庫は、
「週刊新潮」の表紙絵の膨大な作品の中から
横尾忠則さんが91点の作品を選び、
「『表紙の言葉』(谷内さんの文)とあわせて、
見ながら読みながら、谷内六郎さんの世界を
旅していただきたいと思って
ぼくなりの目で編集しました。」
とあるように、

魅力的な文庫になっております(笑)。


「25年間一回も休まず」描き続けたとあります。
うん。この谷内六郎さんの言葉も引用しておきます。

新潮社とんぼの本「谷内六郎 昭和の想い出」に
「ぼくの絵とアイデア」という文が引用されておりました。
はじまりは
「ぼくの表紙絵は一つのポイントとかアイデアをもっています、
普通絵画は造型性だけによってあらゆるもの、思考とか感性とか
を表現しますが、ぼくのには漫画で言えばギャグとかウィット
みたいに何か一つのニュアンスによる焦点を出します、
それが重要なぼくの絵の方法でもあります・・・」

真ん中はカットして、最後の方も引用

「そんなわけでどこに行くにもたえず鉛筆とノートは
用意しております。アイデアのストックがあればあるほど
気は楽だし安まります、
締切り前日までアイデアが一つもない状態などということは
なるべくしないようにします、
そんなことをしたらすぐに病気になるからです。
・・・・」(p15)


この頃ブログを休んでばかりいるので、
この箇所、特に、気になりました(笑)。
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谷内六郎と読売歌壇。

2018-12-14 | 道しるべ
はい。本を読んでいないと、
あれこれ、言葉が浮んだり、
結びついたりします(笑)。

この前、古本で
「没後25年谷内六郎の軌跡」展図録
(編集は財団法人NHKサービスセンター
と、財団法人そごう美術館)を購入しました。

その時に、古本屋で段ボールのミカン箱に
本をまとめていれ、その空いたスキマに、
紙を丸めて、ところどころに、詰め込んで
本が動かないようにしてくださっておりました。

その丸めた紙に新聞紙が混じっておりました。
ひろげてみると、読売新聞。ありがたい。
11月19日の読売歌壇がありました。
この頃の私は、産経新聞だけとっているので、
久しぶりの読売歌壇とのご対面。
シワクチャの新聞紙をのばしながら、
読み始めました(笑)。

さてっと、本題。
歌壇の栗木京子選に

 天井の木目のおばけをこわがりて
     一人寝ていた風邪引きの床
       (下野市 原信子)


この歌が、五首目に載っておりました。
そうそう。谷内六郎の絵に「天上の記憶」がありました。
子供が布団に寝ています。上の方に、子供の目線で
天井が描かれています。その木目がゾウや鳥や
ゆがんだお化けなどがいろいろと描かれいます。
その脇には、天井から吊るされた電球の傘があったりします。

ああ、そうなんだ。
特に、読売歌壇の栗木京子選と俵万智選の短歌を
読むと、まるで、谷内六郎の絵を言葉で表現しているように
そのように、読めてきました。

ということで、栗木京子選から引用

 一面のひまはり畑を布地裁つ鋏のやうにゆくトラクター
      帯広市 荒木八洲男

 しあわせははと麦茶色きみ帰り今日の出来事聞いてる夕べ
      越谷市 滝岡めい

 遠き世の花かと思う烏瓜あやしきまでに月影さそう
      所沢市 鈴木照興

 乳液の少なくなればその瓶を逆さにしたりこのはかなごと
      深谷市 青木三千代

 鳴いている虫もまばらに宵寒し網戸のやぶれ繕わぬまま
      埼玉県 正木克美

はい。ある種の短歌は、谷内六郎の絵を見てるような
気分にさせてくれるのでした。

俵万智選からも引用

 ふり向けばまたねまたねとコスモスを
          揺らして風が手を振る川辺
     平塚市 小林真希子

 あの人の雲の色したセーターが雨雲となり私を濡らす
     燕市 田巻由美子



うん。古本と古新聞で、谷内六郎が浮びあがってきました。

よし。これで谷内六郎の絵が読めるぞ。
これも古本屋のミカン箱の御利益(笑)。
     
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夢と古本。

2018-12-06 | 他生の縁
数がまとまると、送料無料となる
古本屋さんへと、注文を出していたのが、
昨日届く。
うん。もっている本も、
もう一冊持っていてもいいかな。
そう思う本なら、送料無料の数合わせに
つい買ってしまいます(笑)。

今回の「もう一冊」は
河合隼雄著「おはなしおはなし」(朝日新聞社)でした。
新聞連載された随筆の、はじまりの一篇の最初を引用。

「『おはなしおはなし』はアフリカの中央部に住む
フルベの人たちの昔話のはじまりの言葉である。
随筆を遠藤周作さんから受けつぐことになり、荷が重いな
と思ったが、性来の『はなし好き』なので気楽に
『おはなし』するようなつもりでお引き受けすることになった。

心理療法家として、私は心の深層を知る上で、
夢を大切にしている。
鎌倉時代の名僧明恵は、生涯にわたって
自分の夢を記録したことで有名である。
彼の残した『夢記』を読んで、
彼の自己洞察の深さと、それを実生活に生かしてゆく
倫理性の高さに私は感動し、
彼を心の師と仰ぐほどになった。
・・・・」

はい。結局、送料無料のために12冊の古本を
まとめて購入し、それがミカン箱に入って
昨日届きました。3000円以上が送料無料の古本屋です。


ちょうど、その中に、
「明恵上人没後750年 高山寺展」(主催京都国立博物館ほか。1981)
がありました。
ぱらりとひらくとはじまりに
林屋辰三郎氏が、鳥獣人物戯画から書き起しております。
そのはじまりも引用。

「高山寺と云うと、鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)の全四巻が
まず想い起される。・・・そしてこの戯画が、
高山寺の所有となった経路は、
平安末期から鎌倉初期にかけて高野山西谷月上院の僧であった
賢観房玄証が図像の製作と集成に大いに活躍し、
その遺作が古く高野山から高山寺へ移されていた・・・」

うん。ここおもしろそうなので、もう少し引用。

「この戯画甲巻の主人公といえば、猿と蛙であり
その間に兎が介在して、絵巻を展開させている。
平安末期には、こうした動物に対して特別な関心が
よせられており、舞楽などのなかにも渾脱舞(こんだつまい)
と云って動物のぬいぐるみを被った舞があった。
相撲節会の余興に行われる舞楽などは。
『猿楽』という名の猿の渾脱舞と、
『桔カン(きつかん)』という蛙の渾脱舞が行われたもので、
そのときから猿と蛙とは番舞(つがいまい)にされていた。
そのことを考えると、鳥獣戯画はそのころの
猿楽絵(さるごうえ=滑稽画)のようなもので、
兎はさしあたり行司役にも当るのである。
平安末期は、まさに変革の時期で、社会秩序は大きく動揺し、
至るところで当世風の『今様』がよろこばれていた。
戯画の描いた風刺も、規則正しい図像の世界に対する
今様の視点からの発想にほかならなかったのであろう。」

つい、引用がながくなりました。
この次に
「高山寺の再興開山、明恵上人高弁(1172~1232)」
が語られております。
うん。ここだけを引用。

「明恵は、建久2年(1191)19歳から、入滅前年の
寛喜3年(1231)59歳頃まで、約40年間にわたって
自己の夢を記録して、『夢記(ゆめのき)』をのこしたことで、
きわめてめずらしい存在である。しかし一歩進めて考えると、
明恵の生涯は、全く無我夢中のうちに過ぎ去ったと
云えるかも知れない。・・・・」


うん。同時に購入した
法然上人誕生850年記念
「知恩院と法然上人絵伝」のはじまりも
林屋辰三郎氏が書いております。

それはそうと、今回購入した中で
一番高かったのは
「没後25年谷内六郎の軌跡」でした
こちらだけ1300円。

そういえば、谷内六郎に
「夜の公衆電話」と題した絵があります。
大きな枝ぶりの木の前に公衆電話があります。
下の方に男の子と女の子が傘をさしている上半身が
描かれています。夜なので、雨が降っているのかも
わかりません。公衆電話のなかが明るくって
その光が漏れて後ろの大木を下からボンヤリと
浮かび上がらせています。
公衆電話の中で受話器を耳にあてているのは白狐。
公衆電話の四角い窓にダイヤルと受話器と白狐が
明るく浮かび上がっておりました。


ひょっとして、この絵、谷内さん
の夢に、登場したのかもしれない。


それにしても、
舞楽に登場する、動物のぬいぐるみ。
といえば、連想は現代へと容易につながってゆきます。
そうそう、平成末期の、ご当地キャラの着ぐるみたち。





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廃校再生。

2018-12-03 | 地域
昨日。教えてくださる方がいて、
その本を、さっそく注文。
「廃校再生ストーリーズ」(美術出版社)。
発行2018年8月8日とあります。はい。新刊。今日届く。

私の住んでいる近隣地域の小学校も登場していて、
興味深い。

まず、開いたのは、本に関する箇所でした。
「地域の知の痕跡を、収蔵する書庫。」(p218~227)

場所は山口県・山口市。
山間にある集落・阿東。
こうあります。

「2006年頃から廃品回収の仕事をしていた吉見さんは、
阿東で大量に廃棄されていく書籍を守るため、
すでに手狭になった自宅倉庫とは別に保管場所を探していた。
そのうちに、当時の教育長の好意で、閉校直後の
旧亀山小学校の1室を借りることとなる。・・・・」

この吉見正孝氏のセリフがしびれる(笑)。
こうあります。

『地方が衰退しつつある時代においては、
これまでのように行政へ丸投げする方法は
うまくいかない。【こうしていきたい】という
自分たちの想い、またそれを実現できるかどうかは、
地域の力が重要です。今の地域には
その突出した力がなく、良くも悪くもフラット。
ある意味、平等なんですよ』と話した。


吉見さんの話はつづきます。

「・・・この変革の時代に、
多くの大学教員が自らの蔵書を寄贈できる場がなく、
焼却処分せざるをえない状況にも表れています。
先日も東京・高田馬場の雑誌図書館『六月社』が閉館し、
約10万冊の所蔵雑誌が行く当てがないというニュースを
耳にしました。いわゆる郷土資料館ではないけれど、
世界中を探してももう二度と出会えない貴重な資料が
ここにはある。今見えている問題に対して、
私は自分ができることをやろうとしているんです」(p225)


拍手。


うん。自宅から1時間ほどでいける廃校の小学校の再生も
紹介されているのですが、私が気になったのは、集落・阿東でした。


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こんな、夢を見た。

2018-12-02 | 他生の縁
この頃、ブログ更新をしていないためかもしれない(笑)。
それで、夢をみた。
こんな、夢をみた。

店じまいする画廊があったので、立ち寄る。
ある絵のまえで、立ちどまる。
その絵の何とも言えない構図を、
そばにいた画廊の女性に語りかけていると、
いつかも、そうして、その絵を語っていたような
気がしてくる。
すると、その女性が、はじめて会った時も、
あなたは、そう語っていらっしゃったと、
語りかけて来る。
えっ、とその展開に驚いていると、
いつのまにか、その絵は、その女性が着ている
Tシャツの絵模様になっていて、
他のお客さんたちが、しきりに
その女性と、そのTシャツの絵柄とを
誉めている。
それらの会話を聞きながら、
私は後ろ髪をひかれながら、画廊を後にする。

その絵柄を、はっきりと見ていたのに、
夢からさめ、こうして書いていると、
忘れている、その絵柄。


こんな、夢をみた。


そういえば前夜、テレビで、
フェルメールの絵の紹介番組を見て寝ました(笑)。
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