和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

問題は解けなくてもよい。

2021-06-09 | 本棚並べ
注文してあった古本が、昨日届く。
「編集とは何か」(藤原書店・2004年)。
はい。価格143円+送料350円=493円。

その1部は、四人の編集者が個別に語っております。
粕谷一希・寺田博・松居直・鷲尾賢也の4名。
はい。わたしは最後の鷲尾さんの文だけを読む。
寝床でね。短文で、それでもってわかりやすい。

ちなみに、「編集とはどのような仕事なのか」(トランスビュー)と
同じ年の2004年に出版されておりました。
はい。「編集とはどのような仕事なのか」の
ダイジェスト版として読めます(笑)。
ということで、1部の鷲尾さんの個所のはじまり
「編集は企画発想だ」という2ページの文から引用

「偏差値の高い人間はどちらかというと、問題を解く能力に秀でている。
編集者は問題を解けなくてもよい。問題を発見したり、作ったりする
センスの方が重要だ。あるいは問題を解かなくても、どこに問題があるか、
気づくタイプが編集者なのである。」(p85)

はい。『問題を解けなくてもよい』という指摘は、
今日の青空のように、つい上を向きたくなります。
せっかくなので、このページをもうちょっと引用。

「思いつきはかならずメモしておこう。
そういうノートはかならずいつか、どこかで役に立つ。
ちょっとしたことが、あとで金の卵を産むことがあるからだ。
時代が変わると、以前、箸にも棒にもかからなかった
アイディアが息を吹き返すことも少なくない。」

はい。『息を吹き返す』年齢は必要条件ですね。
年を取れば取るほど吹き返す可能性はたかい(何の話?)。
はい。有難いことに、当ブログがメモがわりとなります。

「企画発想は頭の体操のようなところがある。
訓練をおこたると、急にはなかなか出てこないものだ。
夢すら描けない人は編集者には向いていない。
実現は先のはなしだと思ってもいい。ともかく、
たくさん『妄想』することが必要である。その中から
かならず素晴らしいプランが出てくるはずである。
机上のプランをバカにしてはいけない。
妄想が実現すれば立派な企画なのである。」

はい。これがp85の全文となります。
『編集とはどのような仕事なのか』は、大学での
15回にわたる出版編集論の講義をまとめた一冊でした。
それに対して、こちらは、4人の名編集長の発言の中で、
それなり分りやすい旗幟鮮明さが求められるのでしょう。
ほかの編集者の方の文は未読ですが、引用のこの明解さ、
それだけで、私は満腹。ここまでにします。


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テニヲハ。筆圧。そんきょ。

2021-06-08 | 枝葉末節
尻切れとんぼになってしまいかねないけれど、
枝葉末節に話がひろがるのは、楽しみですね。

goo ブログを拝見させてもらっていると、
花や風景や、食事や調理やと様々楽しめ、
それだけで満腹感があります(笑)。

さてっと今読みかえしているのは
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」(2004年)
なのですが、エピソードを読むのはたのしい。

どれもが、編集者と著者とのやりとりになります。
ここでは、3つのエピソード。

「大河内一男さんの原稿で・・・
ワープロ、パソコンのない時代である。
入稿練習ということで、200字詰めのくしゃくしゃの束を、
先輩のAさんから渡された。・・・
社会政策の大権威、かつ元東大総長である大河内一男さんの
原稿はどこかテニヲハがあやしい。はじめはおそるおそる、
直してもいいですかといっていたが、あとは脱兎のごとく
リライトしてしまった。大家でも、文章のうまくない先生は
いるということをはじめて知った。」(p208~209)

ここでは、元東大総長の肩書をもってきておりますが、
なあに、一般の方々の文章は、どれもテニヲハがあやしいのだと
言っているように読めます(笑)。
はい。ほかならぬ私自身、自分のブログを読み直すと、
間違いだらけのテニヲハをまず直すことから始めます。

2つ目のエピソードは、向井敏さん

「本といえば谷沢永一さんの書庫もすごかった。・・
結局、谷沢さんとは一冊も仕事をしなかった。
その代わりというのもおかしなはなしだが、
谷沢さんと学生時代からの友人である向井敏さんとは
長く仕事をさせていただいた。・・・・
おそらく谷沢さんのご紹介だったと思う。・・・
すぐさまPR雑誌『本』の連載エッセイをお願いした。・・

ただ困ったのは、声がとても小さかったことだ。
電話には苦労した。また筆圧がよわいため、
鉛筆での原稿がFAXでは読みとれないということがままあった。
原稿はあまり早くなかった。というより遅かった・・・」(p219)

うん。遅筆の方は短命なのかもしれません。

3つ目のエピソードは安岡章太郎。

「・・・その後、安岡さんは『群像』で『果てもない道中記』を
連載した。その取材にも同行したのだが、いつもメモなど一切とらない。
カンヅメになっていただくこともあった。・・・・

調子にのると、安岡さんはおかしな格好になる。
相撲の蹲踞(そんきょ)のように腰を浮かせて書くのである。
そうなったらしめたもので脱稿も間近い。・・・」(p229)


はい。けっきょく、エピソードの力はすごいと思います。
この鷲尾さんの本を、すっかり忘れてしまったとしても、
安岡さんの相撲の蹲踞の姿だけは、思い浮かびそうです。
はい。夢にも出てきそうな気がしてくるのでした(笑)。


最後に料理の話。
わたしは自分で調理しなくって、もっぱら食べる方。
そういうのが、ブログで人の調理を見ている。
なんだかなあ、と思うこともありますが、
それでも美味しそうな料理を見ると満足しています。
それでもって、文章作法と調理方法とがダブる記述があると
なんとかく、気になるのでした。
今回は、こんな箇所。

「だいたい原稿のことを、編集者は『生(なま)原稿』という。
生なのである。生のまま刺身で食卓に上げるのがよいのか、
それとも酢で締めたほうがいいのか、あるいは焼いたり、
煮たりしたほうがいいか、読むというのは、
その判断を総合的に下すことなのである。」(p114)

うん。そういえば長田弘の詩集に『食卓一期一会』がありました。
また、いつか引用できますように。ということで、今回は
枝葉末節でも、光るエピソードを引用してみました。





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さてそれからが。

2021-06-07 | 本棚並べ
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」に
鶴見俊輔氏の言葉にふれた個所がありました。

「・・つまりアイディアが同じでも、
企画は別なものになるのである。時代が変わり、読者も変わる。
鶴見俊輔がどこかで、日本はどうも10年ごとにくりかえしている
といっていた。企画をたてるのに、出版の歴史を知っておいて損はない。」
(p87)

何となく、思い浮かぶのは著作集。
桑原武夫全集全8巻は、朝日新聞社(1969年)
のちに、桑原武夫集全10巻が、岩波書店(1980年)。
梅棹忠夫著作集は、中央公論社(1989~1993年)。
今西錦司全集は、講談社(1975年・増補版が1993年~1994年)。
ついでに、清水幾太郎著作集、講談社(1992~1993年)。

さてっと、鷲尾氏のこの本は、退社の年に、
大学での15回の講義をまとめたものでした。
こんな個所があります。

「よく若いひとに企画の秘密をきかれることがある。
そんなものはどこにもない。・・・・・
しかしそうはいっても、と粘られることもある。
そのとき私は、次のようにいうことにしている。
『企画は模倣からはじまる。まず真似だ』。」(p86)

そういえば、岩波新書に
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(1969年)があり
清水幾太郎著「論文の書き方」(1959年)がある。

講談社現代新書の御三家はというと
中根千枝著「タテ社会の人間関係」(1967年)
板坂元著「考える技術・書く技術」(1973年)
渡部昇一著「知的生活の方法」(1976年)

「・・がいうなれば御三家であった。
最盛期は毎年、それぞれ五万~十万部の重版が出た。
中根さんが3冊、板坂、渡部さんにはおそらくそれぞれ
10冊ほど新書を書いていただいている。」(p218)

清水幾太郎氏を語る個所もあります。

「清水幾太郎さんの文章は見事だった。
『本はどう読むか』(講談社現代新書・1972年)という
ロングセラーがあるが、ジャーナリスト出身らしく、
読者をとても上手に誘ってくれる。読んでおもしろく、
役に立つ一冊だ。

・・・清水研究所にもときおりうかがうようになった。
文芸春秋とか中央公論社など、各社の錚々たる編集者が
研究室に集まっていた。清水さんのはなし方は独特で、
またおもしろかった。駆け出しの編集者だったので、
緊張していたことだけは記憶している。・・・」(p209)

「岩波書店にも、中央公論社にも、文芸春秋社にも
断られたという大型企画・・『清水幾太郎著作集』である。

若いころ、新宿大京町の野口英世記念館にあった清水研究所に、
何度もお邪魔したことがある。・・・・

晩年の保守化で清水さんは評判がよくなかったが、
戦後史には欠かすことのできない大物である。
販売的にはメリットはそれほどないが、
著作集刊行の意味はとても大きい。
それまで刊行されなかった方がおかしい。
会社をなんとか説き伏せて、企画を通してもらった。

さてそれからが大変である。戦前戦後あわせて、
清水さんの単行本は400冊をこえるという。
それらを含め、雑誌まですべてコピーした
(複写機が故障し、アルバイトの女性から泣かれ、
結局自分で各三部コピーをつくった)。

それから何を収録するかの選択である。
卒論から遺著まで、ひととおり眼を通した。

厳密なことでは類を見ないお嬢さんの清水禮子さん
とのやりとり。ともかく全18巻・別巻1の全体構成を終え、
一部入稿したところで異動になった。残念ながら完成まで
タッチできなかったが、自分にとっては記憶に残る大仕事であった。」
(p28∼29)

いろいろな著者が登場するので、
次回はそちらも紹介することに。


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タイトル。小見出し。惹句。

2021-06-06 | 本棚並べ
喉元すぎればすぐに忘れるはずが、余にも目にあまる、
新聞・雑誌の見出しの作為に、嫌気のさす御時世です。

ということで、タイトル・小見出しの楽しみを
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」(トランスビュー)に
拾ってみたいと思います。

「タイトルはその本の生命であり、中心である。
 柳田国男はつねづね編集者に、
『よいタイトルをもってきてくれればいくらでも書くよ』
 といっていたそうである。タイトルによって
 著者のイメージが膨らむのであろう。そういえば
 『雪国の春』とか『海上の道』『先祖の話』『遠野物語』
 など、印象深いタイトルが多い。・・・・」(p147)

さて、鷲尾さんの本では『小見出し』を教えてくれております。

「新書・選書などは小見出しを頻繁につける。おそらく
 見開きにひとつぐらいを原則にしているのではないか。」(p130)

「・・小見出しは、著者が考えるのではない。
 編集者が読者のために挿入するものである。

 ・・人間の思考能力は高いものがあるが、
じつは2、3ページ以上、誌面を眺めつづけていると、
誰しもが少し飽きてしまうところがある。

書く方も同様である。せいぜい4、5枚(400字詰め)ほどで、
ひとまとまりのはなしになる。それを越すと、またべつの
素材が必要になってくるのではないか。・・・・

読み手、書き手の意向が合致して、
書き手は思考を転換するところ、
読み手は少し眼が疲れ、読むのに飽きる地点に区切りをいれる。
これが小見出しということになる。

眼を休ませると同時に、いままでとちがうはなしが
再びはじまりますよ、という予告といってもよい。
編集者が入れるのは、読者のための配慮からスタート
しているからであろう。」(p129)

さて、この本で印象深いのは、講談社現代新書のカバー
の話しでした。今の新書カバーではありません。
以前の黄色い講談社現代新書のカバーを思い浮かべられる
方にとっては、なるほどと合点がいく記述でした。

「当時現代新書は、岩波新書、中公新書に大きく遅れをとっていた。
あまりにも売れないので、やめようという社内の意見も多かったそうである。
デザイナーの杉浦康平さんに依頼し、装丁をモデルチェンジして、
起死回生の生き残り作戦の最中だった。・・・・

装丁を切り替える(たぶん200冊以上変えただろう)。
そのために編集部全員、毎日毎日、夜になるとネーム
(新書のなかで現代新書だけに入っているカバーの惹句)
書きに精を出す。当該の本を読み、いわゆる帯のような文章を
一日に何本も書くのである。
それを机に置いておくと、出社の早い編集長の赤字が入り、戻される。
写植化し、資料とともに杉浦事務所に持参する、というシステムであった。

ずいぶんそれは勉強になった。
先輩のネームに感心することも多かった。
また編集長の赤字になるほどと思わせられた。
センスは先天的なものかもしれないが、
磨くことは可能である。そういう
気持が生まれたのはそのころであろう。・・」(p22~23)

このネームや、小見出しや、タイトルなどを思うにつけ。
言葉の触手がひろがって、鷲尾氏は小高賢という歌人になったり、
俳句の会をひらいたりと、その守備範囲の裾野のひろがりに注目します。


はい。講談社現代新書の黄色いカバーだった頃の本は、
もう、古本でしか探せませんが、これも貴重な楽しみ。






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岩波新書の田村義也。

2021-06-05 | 本棚並べ
鷲尾賢也氏が、装丁家・田村義也氏との接点を書いておりました。

「装丁家としての田村さんにはずいぶんお世話になった。
巷間の噂のとおり完全主義で凝るタイプなので・・・・

装丁をお願いしているのであるが、岩波書店のはなしが
よくでた。田村さんが在籍していたのは戦後黄金時代の
岩波書店である。・・・」

こうして、田村さんが担当した岩波新書を紹介しておられます。

「制作の仕事を五、六年経験してから岩波新書編集部に移る。
いわゆる青版。岩波新書の全盛時代である。
  林屋辰三郎『京都』
  坂口謹一郎『日本の酒』
  梅棹忠夫『モゴール族探検記』
  安岡章太郎『アメリカ感情旅行』
  奈良本辰也『二宮尊徳』
  丸山眞男『日本の思想』
  清水幾太郎『論文の書き方』
  岡村晴彦『南ヴェトナム戦争従軍記』
  日高六郎編『1960年5月19日』
  北山茂夫『大化の改新』
   ・・・・・・・

そのほか書名を挙げれば書ききれないほど担当している。
新書を経験した編集者ならこれらがどれほどすごい業績
であるかはすぐ分かるだろう。・・・・・
なかにはいまだに版を重ねている超ロングセラーもある。」
(「時代を創った編集者101」新書館・p184)

上記に取り上げられた岩波新書ですが、私は、
2冊しか読んでおりません。しかも読んだ本
もすっかり内容をわすれてしまってます(笑)。

もどって、鷲尾賢也『編集とはどのような仕事なのか』
に装丁に関する個所があります。そのはじまりは

「日本の書籍が世界に誇る長所のひとつに装丁がある。」(p140)

「装丁という装いには、一冊の幸せな旅立ちを願う気持ちが
こめられている。・・・
私自身は、杉浦康平、田村義也という二人の対照的な
装丁家とながく仕事をさせてもらった。というより
たくさんのことを教わった。お二人ともまことに鋭く、はげしい。」

「田村義也さんは・・編集装丁家と自称していたように、
装丁はあくまで編集者の仕事と考えていた。・・・・
安岡章太郎『僕の昭和史』(対談集まで入れると、全四巻。
ゴールデンバット、ピース、セブンスター、光という
日本の代表的なタバコのパッケージを背景にした装丁で、
田村義也の代表作のひとつである)・・・」(∼p143)

新書と装丁といえば、杉浦康平氏なのですが、
こちらは、つぎの機会に紹介したくなります。

ちなみに、鷲尾さんは、装丁に関して、こう指摘しておりました。

「欧米の書籍ではあまり行われない、カバー、表紙、オビ
それぞれに工夫をこらす。そういった細かな神経の遣い方は、
日本独特の文化意識のあらわれだろう。」(p140)

それはそうと、読んでもらった絵本を読み直す子供のように、
気軽に持ち歩きぞんざいに扱った新書を、もう一度手に取る。
はい。私はそんなに読んでいないけれども、新書の世代です。
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井戸端会議。編集会議。

2021-06-04 | 本棚並べ
板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書・1973年)に
井戸端会議が語られる場面があり、改めて印象深く読み直しました。

「読んだり考えたりして蓄積された知識は、
将来の使用のために整理し管理しておかなければならない。

井戸端会議の達者な人は、情報量には乏しくないけれども、
その整理・管理が自我流に頭の中に入っているだけなので、
せっかくの情報が噂のレベルより先に進むことができない。・・
つまり、井戸端会議の議員さんたちは情報を乱雑にとり入れて、
その取捨ができないで、情報をプールする方法がきわめてまずい
わけである。・・・」(p86)


うん。これは1973年の文でした。
小高賢歌集(現代短歌文庫・砂子屋書房・1995年)の
はじめのほうをひらくと、こんな短歌がありました。

 争いて論じ勝つこと何ならん
    やわらかな言葉選りゆく編集会議 
            (詩集・耳の伝説より)

はい。「編集とはどのような仕事なのか」のなかに
その編集会議らしき箇所がありました。

「編集者にもいろいろなタイプがある。
みずからプランにこだわり、なかなか引かない人間もいる。
駄目だといっても粘る。そのひとりのために苦労し、
編集会議がうまくいかなくなることすらある。

プランを採択するより、ダメだということを
いかに納得させるかに苦労することもまれではない。

その意味において編集会議は闘争でもある。
議論は平等であるが、最後は編集長権限で裁断することが、
それゆえ必要になってくるのである。」(p85)

鷲尾賢也氏の名編集長ぶりはどうだったのでしょう。
その鷲尾氏が退社したのは、2003年(平成15)59歳。
著者略年譜をひらくと、その年に
「上智大学で15回にわたり出版編集論を講義」とあり
翌年の平成16年に
「前年の上智大学での講義を元に
 『編集とはどのような仕事なのか』を刊行」とあります。

な~んだ。この本は大学生への講義が元になっていたんですね。
本を読み、魅力的な講義になったのだろうなあと思い描きます。



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あれもよい、これもよい。

2021-06-03 | 本棚並べ
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」(2004年)の
あとがきに、

「・・現場に即した編集の教科書がほしい。
現役のときからずっと思っていたことである。
企画を発想する。原稿の書ける人を発掘する。
それらは簡単なようでじつはむずかしい。」(p241)

はい。この本は、万華鏡のように、角度をかえるたび、
さまざまな輝きを見せてくれるので、ある意味、鰻を
シロウトが素手でつかまえるような、触感は分るのに、
肝心の本物を捕まえられない。そんな感じがあります。

今日は、限定して第四章「企画の発想法」から引用。

「・・・多様化というと聞こえがよいが、
あれもよい、これもよい、という価値の
平準化・平均化が極度に進行している。・・
それは出版の仕事にも大きく影響している。」(p56)

はい。『あれもよい、これもよい』という発想と
企画の発想法とでは異なることを指摘してゆくのでした。

「いくらすばらしい企画でも、
実現しなければ単なる妄想で終わる。
妄想と企画は紙一重である。
妄想を実現してしまえばすばらしい企画になる。
紙一重の差は、天地の開きにもなるのである。」(p64)

「問題に挑戦してみよう、あるいはそれを
鮮やかに解いてやろうという気にさせねばならない。
企画を立てる場合の大事な前提である。」(p70)

うん。また引用ばかりになりましたが、
「企画の発想法」から、あと一箇所引用してオシマイ。

「企画は流れる川のようなもので、
動かしていかないと死んでしまう。
ひとつだけに固執してはいけない。
 ・・・・
テーマが自動展開していっていいのである。
自分の頭のなかでのブレーンストーミングなのである。
そこに編集会議が加わる。
そうして他人との異種格闘技になる。・・・

私たちはつねに何かを読んでいる。
新聞、雑誌、エッセイ、論文などなど、
読みながら感心したり、はっとしたりすることがあるだろう。
気になることもあるだろう。
それは企画の可能性を意味している。
気になった部分をふくらましたらどうだろうか。・・」(p72)

うん。第四章は、このあとも続くのですが、
わたしはもう満腹。

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ここから先は。

2021-06-02 | 本棚並べ
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」(2004年)。
この本の最後の方に、『本の力の伝播』とありました。

「・・・しかし、本のおもしろさを他人に語ろうとしない。
これでは本の力は伝播しないし、拡がらない。・・・
誰もが読んでおくべき必読書がどんどん書店の棚から消えて
しまう。ロングセラーがなくなってしまうことの背景である。

ここから先は独断であるが、私たち編集者はもっとおせっかい
になってもよいのではないかと思う。

おもしろい、読みごたえのある本を編集することは
大前提であるが、その上で、作った本、かつて手がけた本の
よさを世に押し出す努力が、もっとなされてしかるべきであろう。
・・・」(p205∼206)

う~ん。編集者ではないけれど、
でもね、本を語ることは楽しい。

昨日古本で写真集が届きました。
「川瀬敏郎一日一花」(新潮社・2012年)。
はい。もちろん写真集ですから定価は高く、
新刊は3500円(税別)となっておりました。
その三分の一の値段だったので買えました。

思えば、2011年東日本大震災のあとに
さまざまな方のメッセージがありました。
たとえば、思い浮かぶのは柴田トヨさんの詩。

「あぁ なんという
 ことでしょう
 テレビを見ながら
 唯(ただ) 手をあわすばかりです

 ・・・・・・・

 私も出来ることは
 ないだろうか? 考えます
 もうすぐ百歳になる私
 天国に行く日も
 近いでしょう
 その時は 陽射しとなり
 そよ風になって
 皆様を応援します

 これから 辛い日々が
 続くでしょうが
 朝はかならず やってきます
 くじけないで!」
  (柴田トヨ著「百歳」飛鳥新社・2011年)

はじめて開いた
「川瀬敏郎一日一花」のあとがきは、
こうはじまっておりました。

「東日本大震災からひと月後、
テレビのニュースを見ていたときでした。
画面に剥きだしの大地に草が萌え、花が咲く、
被災地の遅い春を映していましたが、
私の心をとらえたのは、
花をながめる人々の・・笑顔でした。

じつは震災のあと、私は生れてはじめて
花を手にすることができずにいたのですが、
その笑顔にふれて、むしょうに花がいけたくなり、
気づけば『一日一花』をはじめていました。
 ・・・・・
それらの花をどのように伝えてゆけばよいのか思案していたとき、
『インターネットで配信してみませんか』と新潮社の菅野さんから
提案を受けました。・・新潮社『とんぼの本』のホームページでの
配信が決まりました。・・・」(p386)

毎日の日づけ入りで一年間366日の『なげいれ』の花が
一冊にまとめられておりました。
はい。これをひらくまで、震災と生花とがむすびつくとは
思いもしませんでした。あとがきには、こうもありました。

「生者死者にかかわらず、毎日だれかのために、
この国の『たましひの記憶』である草木花をたてまつり、
届けたいと願って。」(p386)

はい。『草木花をたてまつり、届けたい』とは
いったい、どんな生花の形となって届けられたのか。

ここから先は、私が語れるわけでもなくって、
日々の生花の写真が語ってくれておりました。


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はい。『新書の世代』

2021-06-01 | 本棚並べ
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」
(トランスビュー・2004年)を読み直してる。

ひょっとしたら、私が育った時代というのは、
これは『新書の時代』だったのかもしれない。
それを、おぼろげながら、気づかせてくれる。

「出版という衰退産業のなかで、
編集者はいかにあるべきなのだろう。きわめて難しい問いである。
そこに居直るべきなのか、それとも活路があるのか、判断に迷う。

書店をおとずれる多くは年齢の高い人々である。聞くところでは、
新書などの平均読者年齢は50歳をこえているという。
いまの学生には新書はむずかしいというのだ。・・・」(p40)

はい。本のはじめの方にこうあった。この本の出版が2004年。
ということは、そのころ50歳ならば、今頃は60歳代後半です。

うん。うれしいことに、新書の隆盛期に私は育っておりました。
ということで、この本の新書にまつわる箇所を引用してみます。

「新書はできたらロングセラーになってほしい。
 ながく読みつがれることが第一目標である。
 一回あたりの重版部数は少なくても、25刷りとか、
 30刷りなどというのはそれほど珍しくない。
 しかし、昨今の新書合戦で、そのような常識は
 崩れてしまったようだ。いまは売り切れ仕舞いの
 様相になっている。」(p177)

はい。個人的ですが長く読みつぐ新書を持っております。
うん。これは新書の時代に育ったという証明になるかも。

「むかし山本七平さんにうかがったことがある。
日本の出版の優れているところは幅の広さがあることだ。

学術的なものから劣悪なものまで、すべてが本と呼ばれ、
書店に同じように並ぶ。欧米にはそれほどの多様性や幅はない。
  ・・・・・・・
書店も、出版社も、読者も、軟派から硬派まで無限に抱擁できる
キャパシティが、日本の出版界にはあった。

それが日本の公共性を作り、
ひいては強さになっていたのではないか。
新書・選書に象徴される中間的文化的好奇心は、
どこの国にも負けない強さのあらわれである。
 ・・・・
おそらく読者、著者をまきこむ共通基盤は、
そのような本がもつ幅の広さによって支えられ、
かつそれによってまた、より基盤を広げたのでは
ないだろうか。そんな意味のことを山本さんはいっておられた。」
(p197)

はい。『共通基盤』といい、『中間的文化的好奇心』といい、
知らない間に、新書の揺籃期にわたしは遭遇し育ったらしい。
はい。今回の再読では、そんなふうに思えてくるから不思議。

「新書は書籍なのだが雑誌のようなところがある。
毎月決まった日に決まった点数を刊行しなくてはならない。」
(p221)

そのような、新書の新刊広告に目を走らせていた時代。
そんな世代は60歳後半へと押しやられてしまったのか。
新書の世代に育ったという誇りが、何だか湧きあがる。
われら『新書の世代』といってみたい。

はい。これではずみをつけて、
本棚の古い新書を読み直せますように、
というか、長く読みつがれますように。
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