後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

南樺太も日本が領有権を主張しましょう!

2010年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム

ロシアは昭和26年のサンフランシスコ講話条約に署名していません。国際法の上では、日本とロシアは今だに交戦中です。南樺太の武力占領中です。

ところが日本政府は北方4島の返還だけを宣伝していて、南樺太の領有権を無条件でロシアへ渡したような宣伝を繰り広げています。樺太は1905年から1945年までの40年間、日本の領土でした。

北方4島返還交渉には南樺太の潜在的領有権を持ちだして交渉を少しでも有利にすべきと信じています。それが外交交渉というものではないでしょうか?

「樺太庁」という言葉を検索するといろいろな事実が分かります。Wikipedea の樺太庁の項目の中の一部を抜粋して転載させて頂きます。

宗教関係施設の部分だけです。

仏教には、幾つかの宗派があるが最も多いのは浄土真宗で48寺、それに次ぐのは曹洞宗の20寺であった。 1945年(昭和20年)、南樺太には宗教施設が250箇所以上 (仏教寺院が150、神社が50、天理教会が50、カトリック教会が4、プロテスタント教会が5)あった。 1947年(昭和22年)1月1日現在では153の宗教施設が州内に残っていた。 1948年(昭和23年)1月1日には日本の宗教施設は(仏教寺院が13、カトリック教会が2)であった。


日暮蝉の唱和に中、山小屋へ4人の客を迎えました

2010年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム

お早う御座います。

昨日から4人の男性のお客を山小屋に迎えています。夕方と朝には日暮蝉の声が雑木林に響き、何故かあの世のような感じがします。4人の男性とは息子、とその息子3人です。夕食はバーベキューの肉類と持参のオニギリです。

今朝は香り高いコーヒーを淹れました。牛乳とソーセージとパンの朝食です。今日は山小屋での生活ぶりをご報告いたします。

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上のようなヒマワリの咲く畑の中を通り過ぎ、暗い林の中を根気よく上がって行くと36年通って来た小屋があります。

下の写真はその雑木林の中に続く道の様子です。

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小屋は6畳と4.5畳の2部屋のごく粗末なものです。鉄筋コンクリートにしたのは庭を流れる小川の湿気で腐らないようにしたためです。木造にしたお風呂場やバーベキュー小屋は15年位で腐って倒壊してしまい、鉄筋の母屋だけが残りました。古びた粗末な小屋の写真を下に示します。

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小屋の内部はいつも掃除をして清潔にしています。 6畳の部屋には白い食器棚とテーブルと薪ストーブがあります。テーブルを部屋の壁に寄せて、敷布団を敷いて息子1人とその息子1人が寝ました。となりの4・5畳の部屋には私が寝ました。

山の冷気は寒い位だったので毛布をかぶって寝ました。残りの子供2人は小屋の庭にテントの中で寝ました。

下の写真は6畳の部屋に食事用のテーブルを用意したところです。042

今日は天気も良く、暑くなりそうなので近所の川遊び場へ皆で行って、水浴です。白い砂浜があり、その前を青い清流がふんだんに流れている場所です。よく整備された川遊び場です。

午後からは小川の向こうの急斜面(子供たちはイノチガケノガケと呼んでいます)を登って、上の牧草地で野球をする予定です。本当に何も無い場所ですが、自然だけはふんだんにあります。白州温泉センターはあります。清潔な湯船が幾つもあり、露天風呂もあります。時間があったら寄る予定です。夕方は混む高速道路を根気よくノロノロ帰って行きます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人